02





「新井さまもっ! スポーツ特待で入学しているのに、ずっと部活をさぼっていて……大丈夫なんですか? もうすぐ大事な大会があると聞きましたけど。いいんですか、このままじゃ――」
「うるっ、さいな!」

 よどみなく続けられる同室者の言葉に、堪えかねたように新井が声を張り上げた。いつも穏やかで、怒鳴ることなんてなかった新井の大声に、俺はあっけにとられてしまう。
 ふと隣を見ると、新井は震えていた。勇気を振り絞って抗議する同室者以上に、ぶるぶると肩をふるわせていた。

「お前になにがわかるんだよっ! 頑張って頑張って、誰よりも努力してっ……それでも、天才だから才能があるからって、生まれつきの能力みたいに言われて。俺の努力は認めてもらえなくてっ! その上、ちょっと調子が悪くなったらすぐ見放されて……そんな俺のことを、あいつは認めてくれたんだよっ!」

 そんなやつと一緒に居たいって思ってなにが悪いんだと、そんな風なことを新井は叫んだ。泣いているのかと錯覚するほど弱々しい声。これがあの新井の声なのかと驚く。
 それと同時に、新井がずっとそうやって悩んでいたということに言いようの無い衝撃を受けた。知らなかった、とかそんなんじゃない。ひどい、そう思ったのだ。

 だって、ひどいだろう。新井が転校生を好きになったのがそんな理由でなら、それが転校生でなくたってよかったわけじゃないか。もし俺の方が先に新井の努力を認めていれば、もし俺が転校生より先に新井に接触していれば。

 新井が好きになったのは俺だったのかもしれない。俺だって新井が誰よりも努力していることを知っていたのに。さすが天才だなって誰かに言われるたびに、ちょっと傷ついたような顔で新井が笑ってたことを知っていたのに。スランプに陥って真剣に悩んでいることだって、それで涙を流していたことだって知っていたのに。

 なのに、どうして俺じゃ駄目なんだろう。
 そんなことを考えていたから、反応が遅れてしまったのだと思う。気がついたときには、隣に居たはずの新井が一歩前に踏み出して、同室者の彼に向かって拳を振り上げているところだった。

「新井……ッ!」

 暴力沙汰は、駄目だ。そんなことをして問題になったら部活ができなくなる。最悪、さっき話題に出た大会に野球部自体が出場できなくなる可能性もある。
 それになにより、新井の手は野球のボールを投げる手だ。そんな大事な手なのに、暴力なんかのせいで怪我でもしたらどうするんだ。

 慌てて床を蹴って前に飛び出し、新井の手を背後から掴む。そのまま同室者から引き離すように引っぱれば、肩越しに鋭い視線で睨まれた。

「菅原っ、邪魔するな!」

 そのまま腕を振りほどかれ、存外に強い力で突き飛ばされる。まさか突き飛ばされるなんて思わなかった俺は、なんの対策を取ることも出来ずに無様に廊下に転がった。背中に走った鈍い痛みに顔をしかめながら視線をあげれば、こちらを見下ろしている新井と目が合った。
 心底鬱陶しそうな、イヤそうな表情。邪魔だと言わんばかりの表情。俺を突き飛ばしたことなんて、なんとも思っていないみたいだった。

――ああ、俺はこいつに本当になんとも思われていないんだな、と。
 そんな事実を改めて突きつけられた次の瞬間。かあっと目頭が熱くなったかと思うと、俺の両目からぶわりと涙が溢れ出ていた。

「えっ? す、菅原……?!」

 突然泣き出した俺に、動揺したように新井が声を上げる。ひどく慌てたその顔に、やっぱり新井は新井なんだと、根本は変わっていなかったことに場違いながらもほっとしてしまう。
 それと同時に、すべてがどうでもよく思えた。

「……で、だよ……っ」
「え?」
「なんで、なんだよっ!」

 さっき転校生の同室者と新井がそうしたみたいに、俺も、心のなかを吐き出すみたいに声を張り上げた。

「なんで、どうして俺じゃだめなんだよッ! 俺だってお前が努力してることくらい知ってる! 朝は誰よりも早く来て顧問にカギもらってグラウンドの整備から一人でやって、放課後も一番最後まで残って寮の門限ギリギリに帰ってって、そうやって頑張ってたこと知ってンだよっ! なのにお前、なんでそんなんであの転校生に惚れたりすんだよ!?」

 あの転校生は、たしかに新井の努力を認めてくれたかもしれないけど、そのあとはすぐ次の美形に行ってしまって、結局新井のことなんてちゃんと見てくれてないじゃないか。それをお前は時折さみしがっていたじゃないか。
 俺だったら、お前に寂しい思いなんてさせない。ずっとずっと新井だけを見て、支えて、好きで居続けるのに。なのに、どうして俺じゃだめなんだ。

「俺のほうが、お前のこと、好きなのに……ッ!」

 泣きながらひたすら叫ぶように言う俺を、新井はずっとポカンとした間抜け面で眺めている。
 転校生の同室者や生徒会役員もここに居るっていうことは、俺の頭の中からは綺麗に抜け落ちていた。涙を拭うことすら出来ず、なにか答えてくれという一心で新井をじっと見つめ返す。
 長い沈黙の後に、新井がようやく口を開きかけた、そのとき。

「ハイ、そこまでー」

 聞き慣れた声が頭上から降ってきて、視界を遮るように目元に手を当てられた。

「はー……ヒョウ、お前なぁ」
「ショウゴ、」
「頼れって言っただろうが」

 背後から俺を抱きすくめるようにしたショウゴの腕に無意識のうちにすがりつく。

「うるっせぇよ」
「って言いながらまたビービー泣きやがってよォ……お前、ほんっと昔っから泣き虫だよなぁ」
「だから、うっせぇっつうの。ショウゴだって昔は肝試しとかするとき『あきらくんこわいよー』っつって年下の俺の後ろついて回ってきてただろうが」
「ハッ、いつの話だよ。覚えてねぇなァ」
「早くもボケてきたんじゃねぇの、年増」
「お前なぁ!」

 コノヤロウ、なんて口では言いながらも俺の頭を撫でる手つきは優しい。こんなに優しくされたら、今だけは、そのまま甘えてしまいたくなる。

「お前らも、こんな目立つとこで昼間っから堂々と騒ぎおこしてンじゃねーよ。手間かけさせんなっつの」
「っ、発端は私たちではありません! そこの平凡です!」

 ショウゴの言葉に、おそらく副会長だろう声が言い返す。確かにそれはその通りだけれど、そんなことを言ったって、副会長という立場にありながら迅速に騒ぎをおさめられなかった時点で失格なのだということにどうして気づけないのだろうか。

「はぁ……まぁいい。くわしい話は風紀室で聞く。あとで全員そろって風紀室に来いよ」

 逃げんじゃねぇぞと念を押してから、ショウゴは俺の目に当てていた手をどかした。久しぶりに入ってくる光がまぶしくて目を細めれば、やさしい表情で俺を真上から見下ろしてくるショウゴの顔が視界に映った。

「もう大丈夫か」
「……あぁ」
「ならよかった」

 そのまま自然な流れで手を差し出されて、素直に自分のものを重ねる。ぐっと力を込めて立ち上がれば「行くぞ」とそのままそっと背中を押された。

「ちょっ……おいっ!」

 そのまま立ち去ろうとしたところで、新井の声が俺の足を引き止める。

「ンだよ、まだなんかあんのか」

 後ろを見ることが出来ない俺の代わりに、ショウゴがそれに答えた。

「……委員長。そいつ、どこに連れていくんですか」
「俺の部屋。まだ泣きたりねぇだろーから、思う存分泣かせてやろうと思って」
「はあ?! ちょ、ソイツはっ!」
「――そいつ、は?」

 突如色を失ったショウゴの声に、俺はごくりと息をのんだ。ショウゴは風紀委員長なんてやってるだけあって、強い。学園最強の不良だとか言われている。けれど、そんなショウゴも俺の前ではただの幼なじみのいい兄ちゃんだったから、俺がショウゴのそんな声を聞くのは初めてだった。
 幼なじみの俺でさえ思わず固まってしまったくらいなのだから、そんなショウゴと真正面から向かい合っている新井なんてきっと、固まるどころじゃ済まないだろう。事実、聞き返したショウゴの声に新井は答えることができなかった。

「ヒョウが、なんだってんだよ。なんだろうと、お前にはカンケーねぇだろ?」

 だって、とショウゴは言葉を続ける。

「お前はあの転校生が好きなんだよな? だから転校生にいつでもどこでもついてまわって、ヒョウの制止も聞かずにそこの同室者に暴力ふるおうとしたんだよな? なら、こいつはいらねーだろ?」

 いらねぇなら俺がもらってもいいだろうが、なんて非常にらしくないことを言って、ショウゴはわざとらしく俺のことを抱き寄せた。
 ショウゴがいつもつけている香水のにおいがふんわりと鼻先をかすめていく。ほんの少し甘さを含んだ柑橘系のにおい。落ち着くにおいだなとは思う。けれど俺は、土と埃と汗のにおいが混じったようなにおいの方が好きだな、とも。

「ショウゴ、」

 新井に顔を見られたくなくて、ショウゴの服をひっぱり急かす。今日が金曜で良かったと心の底から思った。少なくとも土日の間は、同じクラスである新井とどんな顔をして会えばいいのか悩まなくて済むから。



 そんなことを考えていた俺は、ショウゴに導かれるようにしてその場を去っていく俺たちを、新井が、よく転校生と一緒にいるときに見せていた嫉妬にまみれた表情で見つめていたこと。
 そんな新井に、ショウゴが勝ち誇ったような笑みを返していたことを、微塵も知らなかった。





***

たぶんこのあと新井とショウゴが菅原を巡って熾烈なバトルを繰り広げるんだと思います(なげやり)




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