04






「ちなみに、その前はなんだ」
「……5日前に、バナナを」
「その前は」
「7日前……たしか、ウィダーイン」
「なんで一日置きなんだよ! せめて毎日にしろッつーの!」

 そんなんだからぶっ倒れんだよ貧弱者が、と続けた男に思わずムッとする。ムッとした勢いのままに、俺は言葉の塊を男に投げつけるように吐き出した。

「仕方ねぇだろ、忙しかったんだから」
「なにがだよ。高校生なら、時間なんぞいくらでも有り余ってんだろ?」
「仕事だ! 生徒会の!」

 それも、今はないけれど。ぼそりと小声でつけ足せば、男が僅かに目を見開くのが解った。

「……お前が、アレか」
「どれだよ」
「生徒会の」
「そうだ」
「会長」
「ちがう、元だ」

 たったの漢字一文字。されどその一文字の有無による違いは、ひどく大きい。もう何ともない筈の胃の辺りがずくずくと痛んだ。
 自分でわざわざ訂正をしたくせに、なんて無様なのだろう。

「ハア……それでか」

 それで、だから。と、男はなんだか妙に納得したような声を重ねる。

「なにが『それで』なんだ」
「どーりで、偉そうな態度の奴だと思ったわ」
「……なんだと?」

 ハッと鼻で笑う男に、ひくりとこめかみあたりの筋肉が引きつるのがわかった。

「ずっとまともに食ってなかったクセに、いきなりパスタ頼むとかいうバカやらかすしよォ」
「知らなかったんだ、今日の日替わりメニューがパスタだなんて」
「だからって、日替わりメニューで粥が出るわけねェだろうが」
「そもそも、食堂のメニューはわかりづらすぎる。なんなんだ、『夏の余韻〜線香花火とともに〜』っというのは」
「ちょっと豪華な素麺だよ」
「なら素麺と書けばいいだろう!」
「ちなみに線香花火はデザートのプリンな」
「なんだそれは!? 表記詐欺にも程があるだろうが!!!!」

 素麺のどこが夏の余韻でプリンのどこが線香花火なんだ。わけがわからない。ここが病室であることも忘れて思わず声を荒げる。
 すると男は、数秒の沈黙ののちにパッと破顔した。

「よかった、元気だな」
「……は、」

 安心したような表情。男の大きな手がまた懲りずに伸びてきて俺の髪を撫でつけた。料理人らしい切り傷や火傷だらけのその手は、今度は俺の体温が低いからという理由だけではなく、ひどくあたたかく感じられた。
 しばらく俺の髪の感触を堪能するように髪を撫で続けてから、男はふと思い出したかのように言う。

「……俺さ、今日はウェイターなんかやらされてたけど、本当はコックなんだよ」
「その服装を見れば解る」
「お、マジか?」

 俺の返答に少しだけ嬉しそうな声をあげて、なら良かった、と男はおどけたように肩をすくめてみせた。

「まあ、まだ見習いだからっつって大したモン作らせてもらえねえし。忙しいとウェイターやらされたりもするけどさ」
「今日みたいに、か?」
「そう、今日みたいに」

 揶揄する俺に、男はニヤリと不敵な笑みを返してくる。

「まあ、仮にも料理人なわけだから、それなりにうまい料理作れる自信はあんだよ。だから、さ」
「……」
「今度、上手い粥作ってやるから」

 だから? と問い返すように男を見返して、俺はすぐに見るんじゃなかったと後悔した。
――なぜなら。もう一度「だから」と繰り返した男の声が、眼差しが、表情が。男の存在の全てが、異常に……ここ最近ずっと敵意に晒され続けていた俺にはいっそ怖く思えるほどに、ひどく優しかったから。

「もう、我慢しなくていいんだぞ」
「……っ、」
「よく頑張ったな」

 やっぱり優しい声で言って、男はそっとこちらへと腕を伸ばした。暖かいその腕が震える俺の体を包み込む。俺の体は、抵抗なんて言葉を綺麗さっぱり忘れてしまったかのように身じろぎ一つできなかった。

 背中に回された男の大きな手のひらが、優しく二回、ぽんぽんと背筋を撫ぜる様に俺の背を叩く。その軽い震動に、俺は、今までひたすらに唇を噛んで耐えてきたなにかが、ぶわりと溢れ出すのを感じた。
 頬を伝った熱い雫に、事実として涙が零れてしまっていることに気付いたのは、それから数秒後のことだった。と同時に、今まで抑えつけてきた様々な想いまで流れ出す。



 幼馴染で、良い友人だと思っていた副会長にリコールされても別に何とも思わなかった。新しい同室者にびくびくされても、食堂で遠巻きにヒソヒソされても。
 でも、それでもきっと、俺はただ、この一言だけがずっと欲しかったのだろう。そのことに今更気付いて、俺はまるで幼い子供のように泣きじゃくった。

 まだ名前も知らない男の真っ白なコック服に顔を押し付けて、みっともなく声を上げて、泣いた。













 俺が泣き止んだ後、彼は「また来る」とだけ言い残して去って行った。結局名前を聞かずじまいになってしまったことに気付いたのは、俺が倒れたことを聞きつけた両親が病院に駆けつけて、一体だれが助けてくれたのかと俺に問うてきたときのこと。

 病院で点滴を打ってもらった俺は、一週間後にはもう退院できることとなった。弱り切った胃のほうは少しずつ慣らして行くことを医師と約束した上で、という条件付きではあったけれど。
 ちなみに、料理の味が解らなくなってしまっていたのは精神的な要因によるものらしい。病院でしっかり睡眠をとってゆっくりしているうちに自然と治っていた。

 そんなわけで、体調面に関しては大事になったわりに大したことはなかった。どちらかというと、俺がこんなになるまでに一体何があったのかを知り「あの学園、潰しちゃおっか」と語尾に音符でも付けそうな軽さで、けれど決して冗談とは思えない顔で言った両親を、もう大丈夫だからと宥める方が大変だったりもした。

 そして俺は、結局あれきり姿を見せなかったコック服の彼のことを思いながら、学園へ戻ったのだった。



 一週間ぶりの学園は、何も変わっていなかった。

 相変わらず、廊下を歩けば遠巻きにざわざわされるし、食堂へと足を踏み入れれば棘のように視線が突き刺さる。やっぱり食堂は少し苦手かもしれない。けれど、もう寒さを感じないのが唯一の救いだった。

 できるだけ視線を気にしないようにと自分へ言い聞かせて、堂々として見えるように意識して背筋を伸ばし食堂内を進んでいく。
 目指すのは食堂の一番奥。ウェイターたちがキッチンから料理を受け取るための窓口があるあたりに佇む、彼のもとだ。

「おう、来たか」

 俺の存在に気付くと、彼は「よう」なんて手を上げて朗らかに笑った。俺は、コック服の彼がまたもやホールに出てきていることに苦笑い。

「またウェイターやらされてたのか、アンタ」
「ちっげぇよ」

 まさかと思って口にすれば、男は物凄い勢いで否定する。

「今日はお前のためにわざわざこっちに出てきてやってんだっつーの」

 わざわざ、を無駄に強調して言うあたり、彼はウェイターをやらされることをそれなりに屈辱的に感じているらしい。

「それに、またお前が吐いてもすぐに対応できるようにでもあるんだよ。生徒会長サマ?」
「だから、元だって言ってるだろ」

 馬鹿にしてんのかこのやろう。じとりと僅かに背の高い彼を睨みあげれば、「ちげぇよ」とぶっきらぼうな声が返ってくる。

「敬意を込めて言ってんだよ。お前が一人でがんばって学園を支えてた偉大な生徒会長サマだってこと、俺は知ってるからな」

 からかうように言って、彼はニヤリと不敵な笑みを浮かべる。口調こそふざけた調子のものだったけれど、その目は決して冗談を言っているような目ではなかった。一週間前に、あの真っ白な病室で見せてくれたのと同じ、優しい瞳。
 再び彼から与えられた労りの言葉に、視界の隅が涙で滲んだ。ぐっと奥歯を噛みしめて堪えれば、彼はそれを見止めてたちまちのうちに表情を愉快そうなものへと変える。

「お? また泣くか? いいぜ、今日はキチンとハンカチティッシュともに装備してきたからな」
「誰が泣くか。というか、人がいつも泣いてばっかいるみたいな言い方をするな。誤解を招くだろう」
「誤解もなにも事実だろうが。少なくとも、俺はお前に会ってからお前の泣き顔してか見てない」
「しれっと嘘をつくな! 少なくとも今は泣いてないだろうが!」

 売り言葉に買い言葉。まさにその言葉の通りに言い合っているうちに、なんだか段々とおかしくなってきた。こんなことを話すためにわざわざ食堂に来たわけじゃないのに、という思いと、こんな下らない言い合いさえ楽しいと感じてしまう心がせめぎ合う。

――なんだか、二人してばかみたいだ。

 そう思ったのは俺だけじゃなかったらしい。ふっと言葉を切った彼と視線が交わる。そして次の瞬間、俺たちは顔を見合わせて笑い合っていた。
 ぶはりと盛大に零れた笑い声に、どこからか囁き声と共にどよめきが聞こえてくる。

「会長さまのあんな笑顔、初めてみた……」
「すごい、なんか会長、楽しそう」

 ざわざわ、ざわざわ。噂話でもするような囁き声の数々は、まともに輪郭を残すことができず、ただ雑多な音の塊となって俺の耳に届いた。
 ひとしきり笑い続けたのち。彼は「腹痛ェ」とわき腹のあたりをさすりながら、俺に右手を差し出してくる。

「ホラ、こっち来いよ会長サマ。約束通り、上手い粥食わせてやっから」

 ちょいちょいと、小さな子供か小動物でも相手にしているみたいに手招きする彼に、俺はふっと笑って、こう返した。

「会長サマじゃない。松原螢だ」

 差し出された手に自分の手を重ねて、かたく握りしめる。一週間前にはいっそ熱いとすら思えたそれは、今は俺の手と同じあたたかさでもって、俺に安心感を与えてくれる。

(……大丈夫、だ)

 たとえどれだけの視線が俺を襲おうとも、どんな罵声を浴びせられようとも、俺はこの手のあたたかささえ知っていれば、きっと、笑っていられる。そう思った。

「よろしくな、ウェイターさん?」

 ニッと彼を真似して吊り上げて見せた口角は、きっと、見るものに不敵な印象を与えたことだろう。内心ほっとする俺をよそに、彼ははーっと大きく溜息を吐き出すと開いた手でガシガシと後頭部を掻いた。

「だっから、俺はウェイターじゃねぇ、コックだっつうのに……ああ、まあ、いいか」

 なにやら小声でグチグチ言ってから、最終的に諦めたように彼はこちらへ向き直る。

「浅井雪永だ。よろしくな、螢」

 あさい、ゆきなが。
 一週間の時間を経てようやく知れた男の名前を繰り返す。舌先で、まるで飴玉でも転がすように。愛しい彼の名前は、俺の耳にひどく優しく響いた。

「ああ、よろしく……雪永」

 その後食べた、彼――雪永の作った粥も、やっぱり、ひどく優しい味がした。





泣かぬ螢が身を焦がす おわり





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