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「落ち着いたか?」
「ああ、悪い……つい」

 理一の肩の震えが治まったところで声をかければ、ふっと息を吐いて、理一は俺の背中に回した腕から力を抜いた。少し距離を置いて向かい合ってみれば、至近距離で、しかも真正面に座っているという状況がちょっとだけ恥ずかしくなってくる。

「すまないな、取り乱してしまって……お前のほうが、つらいだろうに」
「いや、べつに……そんな、つらいってほどじゃ」

 そりゃまあ、ここ最近起こった色んなことが全然つらくないってわけじゃないけど。でも、だからってそんな大袈裟な。そんな風に笑い飛ばしそうになったところで、理一が妙に真剣な顔をしていることに気が付く。

「なぁ、ハル」
「お、おう?」
「怖いのなら俺が傍に居る。今度は何があっても俺が守る。だから――出てきてくれないか?」
「……うん?」

 出てくるって、何が?
 なんだか、雲行きがあやしくなってきたような。一体何のことだと首を傾げるが、理一は決して冗談を言っているような雰囲気ではない。
 理一との間に、なにかものすごい誤解があるような、そんな気がした。

「今回起こってしまったことは、確かにショックだったろう。お前がまた引きこもってしまいたくなる気持ちもわかる。だが、ハル。こうしてずっと部屋に引きこもっているだけでは何も解決しな――」
「え、ちょちょちょ、ちょっと! 理一、ストップ!」

 早口に言う理一を慌てて止める。
 『また』? 『引きこもる』? 誰が? ――もしかして、俺が、か?

「あのさ、理一。えーと、なんか間違ってるっぽいんだけど……」
「ああ?」
「お前、俺がワタルとのことがショックで引きこもってるとでも思ってんの?」

 いや、ははは。まさかなぁ。そんなわけないよなと思いながらも問うてみた俺に、理一は。

「……違うのか?」

 嘘だろう、と呟いてきょとんとした表情になる。

「イヤイヤイヤ……」

 嘘だろうはこっちの台詞だ。まさか本当だったのか、本当に理一はそんな勘違いをしていたのか。予想外すぎることに言葉が出てこない。

「――あのな、理一。まず俺は、別に引きこもってるわけじゃない」

 ワタルとのことがあったりして、風紀側の警戒体制がまだ整っていないから、それまでしばらく自宅療養をしていろと言われただけだ、と。この間の忍との会話にも触れつつ説明する。
 すると理一は、明らかになった事実に目を見開いたのちにじわじわと顔を赤く染めた。

「あンの……クソッ、本村のやつ!」
「本村? 本村アカネがなんか言ったわけ?」

 よく考えたら、理一が自分一人だけでそんな突飛な考えに至るわけがない。本村アカネが変な入れ知恵でもしたのかと聞けば、理一は苦々しそうに頷く。

「あいつが、お前がここ数日教室に来てないことを教えてくれたんだ。それで、」
「……それで?」
「お前は元引きこもりだから、今回のことがショックでまた引きこもっているんじゃないかー、とか……適当なこと言いやがって、あの野郎……っ!」

 きっと、俺が元ひきこもりだということはミドリあたりから聞いたんだろう。
 それにしても理一、信じたのか、そんなんを。ていうか、そもそも風紀はそのあたりの事情を生徒会に報告とかしてないのか? 忙しくてそこまで手が回らないのだろうか、お互いに。

「あー……つまり、心配してくれてたわけだ?」

 俺のことを、と付け足してみれば「当たり前だろう」とすぐさま頷き返される。

「大事なやつの心配をしないやつがどこにいるんだ」

 きっぱりと即答してみせた理一。思っていた以上に心配され、大事に思われていたらしいことに少しだけ照れてしまう。ここまで心配していてくれたなら、近況報告かねてメールの一つでもするべきだったなと今更ながら思った。
 なんだか、なんとも言えない雰囲気に妙な沈黙が落ちる。お互いに言葉を発したり動いたりするタイミングを見失ってしまった。

 どうしたものかと考えあぐねていると、その痛い静けさを破るように玄関のほうから物音が聞こえてきた。
 ガチャガチャ! ドタン、バタンッ! とやかましい音が続いたのちに、ドタドタドタッと廊下を駆ける足音が聞こえてくる。
 かと思えば、

「めーちゃーん! めーちゃんめーちゃん、めーちゃあん!!!」

 俺の名前を連呼する奇声が聞こえてきて、そのままガチャリとドアが開いた。
 ノックくらいしろよと思う俺をよそにドアの隙間からひょこりと顔を表したのは、やっぱりというかなんというか、忍だった。

「めーちゃん! ただい――あれ?」

 室内に理一の姿を見止めて「会長」とこぼした忍に、理一は「おう」と片手を上げて気さくに答えた。

「会長! こないだぶりです、どうも」
「ああ。あのときは助かった。ありがとうな」
「いえいえー、めーちゃんのためですし」
「……んん?」

 さも「先日会ったばかりです」みたいな会話をし始めた二人に違和感を覚える。

「ていうか、お前ら会ったことあったっけ?」
「あるよー。こないだ、三日前に!」
「ああ」

 ズビシ! と三本指を立てた手を前に突き出して得意げに言う忍。理一もそれに同意する。三日前、というと。それってつまり。

「理一、もしかしてあの日風紀室に来たのか?」

 三日前ということと二人の会話を照らし合わせて考えてみると、そうとしか思えない。

「ああ、行ったぞ。最も、お前は寝ていたからハルとは会っていないが……」

 それがどうかしたのかと首を傾げる理一に、俺は三日前のことを思い出す。

 夢うつつな意識の中で感じた、誰のものかもわからないてのひらの体温。そっと触れてきた指先の感触と、ふわりと辺りに漂う甘ったるい匂い。
 断片的でおぼろげながらも優しい記憶に、つい先程、寝ぼけていたときに嗅いだあの甘い匂いが重なる。充電と称して理一の体を抱きしめたときにも、確かに同じ匂いがした。

「じゃあ、やっぱり――」

 あの甘い匂いは、理一からしていたものなのだろうか?
 身を乗り出して、ベッドの端に腰かけていた理一の腕をぐいと引っ張る。理一の体は簡単にバランスを崩しこちら側に傾いてきた。

「ちょっ、おいっ……!」

 動揺する声を聞きながら、俺は理一の首元に鼻先を埋める。ほとんど抱きしめあっているのと変わらない距離ですうっと息を吸いこめば、あの匂いが鼻先を掠めた。

(……やっぱり)

 この匂いだ、間違いない。

「め、めーちゃん……?」

 一人確信していると、急にどうしたのかと忍が問うてきた。当惑したようなその声にあっと我に帰る。つい後先考えずに行動してしまったことを反省しつつ体を離せば、理一が困ったようにこちらを見下ろしてきた。

「悪い、急に……」
「いや……なにか気になることでもあったのか?」
「気になること、っていうか」

 気になることと言えば、まあそうなんだけど。微妙に説明しづらくて言葉が出てこない。

「理一から、甘い匂いがしたからさ」
「甘い匂いィ?」

 オウム返しにして、忍はすんっと鼻を鳴らした。

「風紀室で寝てた時も同じ匂いがしたから、あれが理一だったのかーって思って」
「……甘い匂いなんかする? 会長、自分でわかります?」
「さぁ、自分ではさっぱり……」

 未だにすんすん鼻を鳴らし続ける忍にならって、理一も自分の袖口あたりを嗅いだりしている。が、二人とも俺の言う「甘い匂い」は感じられないらしく不思議そうな顔だ。

「たぶん、結構近く寄んねぇとわかんないんじゃないかな。俺も今この距離じゃ全然しないし」

 本当にそんな匂いはしたのかと言わんばかりに二人ぶんの視線に見つめられて、咄嗟にアドバイスのようなものをしてみる。それに忍は「ふむ」とわざとらしい声をあげたかと思うと、つつっと理一の元まで歩み寄って理一の髪の匂いを嗅ぎはじめた。
 さっき首筋の匂いを嗅いだ俺が言えたことじゃないけれど、なんだかすごく変態くさい構図だと思う。

(……ていうか、なんか、アレだ)

 いくらなんでも近すぎねぇか、と。匂いを嗅ぐためだとはわかっていてもちょっとイラッとする。

「あー、言われてみれば」
「するか?」
「はい。ほんとに近くじゃないとわかんないですけど、確かにちょっと甘い匂いしますね」

 確認するとすぐに離れた忍に内心ほっとしつつ、理一のほうを振り返る。

「理一、前まではこんな匂いしなかったよな? 洗剤でも変えたのか?」
「洗剤……は、寮のクリーニングサービスを利用しているから、どうかわからないが」
「じゃ、他になんか心当たりとかねぇの?」
「心当たり、なぁ」

 理一は腕組みしながら唸り声をあげて「甘い匂い、甘い匂い……」と数回呟くように繰り返した。そしてしばらくして、ハッとなにかに気付いたかのように目を見開く。





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