08






 なんて言おう。なんて言って、阿良々木を口止めしよう。ぐるぐるぐるぐる、焦りと恐れが渦を巻く。

 俺と理一が人目を忍んで会っていたことが知れたら、まず親衛隊が騒ぐだろう。
 ……まあ、それはいい。親衛隊が騒いだところで被害を受けるのは俺だけだから、別になんてことはない。
――問題は、それによって親衛隊の騒ぎを知った一般生徒の反応だ。
 ほとんどの生徒会役員が佐藤灯里にうつつを抜かして、学園内の空気が最悪になっている今。最後の頼みの綱だと思っていた生徒会長が、第二の転校生である俺にうつつを抜かしていただなんていう噂が広まったら、理一の信頼がガタ落ちするのは目に見えている。

 それを防ぐにはどうしたらいい? いま目の前にいるこの男に、なんて言えば良い?
 焦燥感ばかりが先走って、思考が空回りする。本当に危機回避したいときに限って、体は全く動いちゃくれないということを、俺は今初めて知った。
 土下座なんて、今のこの状況じゃあたとえ頼まれたとしても出来やしない。

「…………の、む」

 長い沈黙のあとに、かろうじて喉から絞りだせたのはそんな掠れた声だった。

「頼む。頼むから、言うな」

 誰にも言わないでくれ、なんて。どうしてこんな、ほぼ他人に等しい男にすがりついているのだろう。
 か細く震える自身の声を聞きながらそんなことを考える。他人に等しい相手だからこそ口止めが必要なのだという当然の事実に気付いたのは、阿良々木がハッと鼻で笑ったときのことだった。

「別に、誰にも言わねェーよ。ボケ」
「……そんなの」
「信用できないってかァ?」
「当たり前だろ」

 信用なんてできるはずもない。特にこの佐藤灯里信者の男相手じゃ、無理な相談というやつだ。考えるまでもなく返した俺に、阿良々木は舌を打つ。めんどうくさそうな顔。

「テメェになんかキョーミねェし。いちいちンなこと言いふらしてるほど、こちとら暇じゃねぇっつの」

 あんな転校生の尻を追っかけている暇はあるのにか。一瞬そう言い返しそうになって慌てて留める。
 そんなことを言ってしまったら、言いふらされるされない以前の問題だ。生きて北棟から出れるかすら怪しくなってくる。

「……そうだなァ。じゃあ、こういうのはどうだ?」

 やっぱり素直にイエスとは言えない俺に、にたりと笑って阿良々木はこう提案した。

「今回のことは誰にも言わねェ。その代わり、今度俺になんか不都合なコトがあったら、お前が協力しろ」
「……つまり、貸し一つってことか?」
「言い方なんざどうでも良い」

 俺の言葉をばっさり切り捨てて、阿良々木は口元の笑みを深めた。まるで悪魔と契約しているみたいな気分だ。思ってから、俺はそれがただの錯覚なんかじゃないことをすぐに思い知る羽目になった。

「俺がてめぇの弱みを握ってるっつー事実さえありゃあ、ンなモンに意味はねぇだろ」

 なにが最善の答えだったのかは解らない。ただ、前回の土下座と違って危機回避の方法を間違えたことだけは、明確であった。













「…………なんか、とんでもないことに、なったような」

 ひさびさに理一と会ったことで癒されたはずが、一気にぐったりしてしまった。これから一体どうなるのか。先が見えない不安に、足取りは自然と覚束ないものになる。

 ふらふらと本校舎まで戻ってくると、人ごみを掻き分けて階段をのぼった。一歩、また一歩と持ち上げる足がひどく重い。

 どこに行こう、誰のところへ行こう。迷いながら宛てもなく進む途中、一年の階で見覚えのある背中を見つけた。
 周囲より頭ひとつほど小さく細いそのシルエットは、お昼仲間である後輩、斎藤くんのものだ。確かなにかの飲食店をやると言っていた彼は白いシャツに黒いギャルソンエプロンを付けている。

「斎藤く――」

 少し離れた斎藤くんにそう声を掛けかけて、ふと俺は、上げた手を下ろした。理由は簡単。はにかむように笑う斎藤くんの隣にシュウの姿があったからだ。
 二言三言、話すたびにちいさく笑い合う2人には、どこか親密な空気があった。それはたぶん、親しい先輩後輩というだけではない、もっと特別ななにか。

「……あー……なるほど」

 なんとなく、なにかがわかった気がする。
 規則違反なんてとてもじゃないがしそうにないシュウが、無茶苦茶な俺の提案に乗ってまで斎藤くんを助けたがっていた理由とか、そういうのが。

「青春してんなぁ……」

 よきかなよきかな、とぼそりつぶやく。年寄りくさいことも、そんなほのぼのしてるような余裕がないことも承知の上だ。
 けれどそれでも、俺は思ったのだ。いつ来るかも解らない阿良々木の災にずっとビクビクしているよりかは、今はそういうのは忘れてしまって、ただ素直に文化祭を楽しんだほうがずっと良いだろう――と。

 半ばやけくそなのは自覚した上で、俺は再びざわめく人ごみの中を歩き始めた。

「おっ、めーちゃんやん。おけーりー!」

 結局、どこに行くでもなく2年A組の教室までまっすぐ戻ってきた俺を迎えたのは西崎だった。長い棒に紐でこんにゃくを付けただけの古典的な脅し道具を手にした西崎は、ひらひらと空いた片手を振りながらこちらへ近付いてくる。

「ちょ、おま! こんにゃく!」

 お前が歩くたびに、通行人にビシンバシン当たってるから! 西崎の考えなしな行動に盛大に突っ込む。
 今だって、すぐそこを行くおじいさんに当たりそうだし! ひえっと青ざめる俺の対し、西崎はまったくそのおじいさんに気付いていないようだった。
 そうこうしている間も、こんにゃくは確実におじいさんに迫っていく。俺は慌てて駆け寄って、おじいさんにぶつかる直前にこんにゃくをキャッチした。

 うえ、なんかぬめっとするぅ。
 顔をしかめつつ、西崎のこんにゃくアタックを受ける直前だった腰の曲がったおじいさんにすいませんと頭を下げた。すると、はっはっはっ、と頭上から朗らかな笑い声。

「いやぁ、高校生は元気が良くていいのう」
「はあ」
「青春、というやつかのう」

 よきかなよきかな、と取り出した扇子を口に当てながら、おじいさんはにっこり微笑むと、着ていた着物の裾をひらりと翻して去って行った。

「……なんだ、今の」

 もしかして、俺って感覚年齢あのおじいさんくらいなのかな。考えると、ちょっとぞっとした。

「いやぁ、スマンのう、めーちゃん」
「お前、あんま反省してないだろ」
「あ、バレてた?」

 悪い悪い、と軽い口調で言う西崎をじとりとねめつければ、あっさりとそんな答えが返ってくる。お前なぁとツッコミたい気持ちでいっぱいだ。だけどあまりに開き直りすぎているその態度に、そうする気も徐々に萎えていく。けろっとした西崎の笑顔は、いっそすがすがしいくらいだった。

「……おろ?」
「あ?」
「めーちゃん、あの人どうしたん?」

 みやぎさん、と続ける西崎。それに俺は、苦笑を返すことしかできなかった。だって、それ以外にどう説明しろというんだ。あのカオスな状況を。

「あー……ちょっと、色々あって」
「色々? 色々ってなんなん」
「ヒミツ」
「ヒミツて。そんな殺生な!」

 殺生なって、おおげさすぎだろう。オーマイゴッドと今にも叫びだしそうな西崎の顔面に、とりあえずこんにゃくをなげつけておく。べちゃり。

「まあ、いろいろあって、帰った」
「いったぁ! めーちゃん ほんま容赦なさすぎやわー…………って、帰ったァ?!」
「おお、変化激しいな」

 相変わらず、一人でアレコレと騒がしいやつだ。

「ええっ、帰ったて! まだ来たばっかやん!」
「そうなんだけどさ」

 うん、まあ、帰った。たぶん。

「ひょっとしたら、まだうーたんとかと校舎内にいるもだけど――」

 ……あれ?
 そこまで言ったところで、俺はふと気付いた。
 もしかして、理一の言ってた『風紀のトップツーは他の案件で出払っている』の「他の案件」って、宮木さんのことなんじゃ。

「…………理一の休日出勤もどきって、ひょっとして俺のせい?」

 できればそうじゃないといいなと願いつつも、どう考えてもそうでしかない現実が切なかった。





 ごめん、理一。今度会うときなんかおごるから、頑張ってくれ。声には出さず、小さく謝罪した。





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