03
(そういえば、ワタル……)
ワタルにはまだ理一と付き合い始めたことを言っていない。
そのほかに迷惑をかけた一人であるミドリにはアカネ経由でばれていたけれど、ワタルにもなにか言った方が良いのだろうか。
もしかしたら風の噂で知っているかもしれないし、思い切り傷口に塩を塗りこむような行為であることを思うと、どうしたらいいかわからなくなる。
うーんとひとり唸っていると、トントンと忍に肩を叩かれた。
なにかと思って隣を見れば「ん」と顎で正面を示される。
示された先を見てみれば、まさに今考えていたワタルが、花道の向こう側にいた。
そういえば、向かいの列は一年生だったのか。忘れていた。
「そういえばさあ、こないだ俺、ワタルに会ったよ」
「はっ!? いつ?」
「卒業パーティーの次の日だったかな。放課後の、部活から帰ってくるとき」
なー、と忍は離れた先のワタルに同意を求めるも、そんな声が聞こえるはずもない。
それどころか、ワタルはこちらに気づいてすらいないようだった。
「あいつ、めーちゃんによろしくって言ってたよ。色々ごめんって」
「よろしくって言われてもな……」
「あと、なんか聞いたとこによると、めーちゃんに振られてからずいぶん落ち着いたらしいよ、ワタル」
「えっ」
そうなのか、と。聞こえないのはわかっているのに、俺までついついワタルに向かって問うてしまう。
「ちょっと大人しくなってから、クラスで友達もできたらしいし。なんかもう大丈夫そうだねって、うーたんとも話してたんだ」
「そうだったのか……」
「ちょうどめーちゃんと柏木さんが付き合い始めたあとだったし、ワタルもそれ知って……るのかはわかんないけど、なんか思うとこあったんじゃないかな」
思うところ、があるのだろうか。じっとワタルの姿を見つめる。
言われてみれば確かに、ワタルは今もクラスメイトらしき男子生徒と談笑していた。
見た目はワタルと同じくちょっと不良っぽい子だけれど、ごく普通の素直そうな子だ。
その子がなにか言ったのを受けて、けらけらとワタルが破顔し、その子の背中をぱしぱしと叩く。
ごくふつうの、どこにでもある「友達」の姿だった。
「……そっか。そうだったんだな」
良かったな、ワタル。
と、なんだかワタルの母親にでもなったような心地で、心からそう思った。
そのとき、不意にざわめきが大きくなる。
きゃあっという歓声と割れんばかりの拍手喝采が起こった。
あまりの勢いとエネルギーに、うわ、と思わず後ずさってしまう。
誰が来たのかなんて、拍手の向こうを見なくたって一瞬でわかった。
元生徒会の二人だ。
「柏木さまー!」
「会長様っ!」
「卒業、おめでとうございまーっす」
いくつもの声を受けた理一は、ゆったりとした歩調で花道を歩きながら、やや苦笑まじりに手を振り返している。
その隣には元副会長の姿もあった。
「俺はもう、『元』会長だっつーのに……」
「いいじゃないですか、今日くらい」
「けどなあ、本村に悪ぃだろうが。それに、早くあいつが会長だって浸透してくんねえと」
生徒会の威厳がどうの、と元副会長相手に理一はぼやいている。
その姿を見ていると、どこまでも人の上に立つ人間なのだなと強く感じさせられた。
けれど、しょっちゅう一緒にいる元副会長としては、理一のぼやきは鬱陶しい以外のなにものでもなかったらしい。
ハァと大きな溜息をついたかと思うと、理一になにやら耳打ちする。
と、理一のヘーゼル色の瞳がなにかを探すようにきょろりと彷徨ったのちに、こちらを向いた。
「ハル!」
周囲をはばかることなく大声を呼びかけられてぎょっとする。
「え、ちょ、待てよ」と、一昔前のキムタクのモノマネのような状態になってしまった俺の背を、忍が割と容赦なく押した。
人混みをかき分けてきた理一の目の前にどんっと突き飛ばされて、俺はあっという間に理一と向き合わされる。
あのパーティーの日以来、メールや電話はしたけれど、卒業手続きやら引越しの準備やらで理一がドタバタしていたせいで、俺たちはまともに顔を合わせることができずにいた。
だから、理一の顔をこんなに間近で見るのはあの日以来なのだ。
改めて真正面から捉えた理一の嬉しそうな顔に、動揺を超えて、どうしようもない恥ずかしさに襲われる。
(くそッ! なんで俺の恋人はこんなにイケメンなんだよ……!)
薄茶の髪も、あまい色をした瞳も、すっと通った鼻筋も、穏やかな笑みを形作る唇も。
目の前にある顔のすべてが整い過ぎていて、逆ギレしそうになってしまう。
あ、あ、とカオナシのように途切れ途切れな声をあげていると、ほら、と忍が俺を促した。
「めーちゃん、せっかくだしなにか言いなよ」
「お、おう」
こうまで言われたらもう逃げることはできない。ごくり、と息を呑む。
思い切って一歩踏み出せば、ぱああっ、と理一の周りに桜が舞う幻覚が見えた気がした。
「あ、あのさ、理一」
「ああ」
「卒業、おめでとう」
「……ああ」
「うん……」
「…………」
やばい。完全に沈黙してしまった。
ていうか俺、おめでとう以外にもっと気が利いたことは言えないのか?
自分の語彙力のなさを嘆きながらも「えっと」となんとか会話を続けようとしたとき、それを遮るように「ハル」と理一が俺を呼んだ。
「ハル、これ」
理一は俺の右手を取って、そっとなにかを握らせる。
いったいなんだろう。てのひらを開いて中身を見てみれば、そこには一枚の薄いカードが置かれていた。
「おま、これ……っ!」
「ハルの部屋のスペアキー、俺はもう使う機会がないからな。返したほうがいいと思って」
「や、でも」
でも、なんだろう。
理一がこれを使わなくなってしまうのは事実だし、それなら返してもらって誰か他の――例えばシュウとか、そういう身近な人に持っていてもらうほうがいいに決まっている。
冷静にそう思う一方で、でも、やっぱりそれは理一に持っていて欲しいと思ってしまう自分がいた。
なんの役に立たなくとも、どこのドアも開けられなくても、理一の手元に在ってほしい、と。
複雑な気持ちに苛まれる俺に、理一はただ穏やかに微笑むばかりである。
なにも言ってくれないのがまた苦しかった。
(……ほんとに卒業しちゃうんだな、理一)
この学園で出会って、近づいて、恋をして、結ばれた。
その理一が学園を卒業してしまうという事実を、今更のように実感する。
先ほど忍に聞かれた時には「寂しいけど大丈夫だ」みたいなことを言っていたくせに、なぜだか急にだめになってしまった。
理一と一緒にいられなくなるのが寂しい。
寂しくて寂しくて仕方がない。理一の背中にすがりついてしまいたい気持ちでいっぱいになる。
ぐっと、カード状のスペアキーを折らんばかりの勢いでてのひらを握りしめる。
震えそうな唇を噛み締めていると、「それから」と、なぜか今度は左手を持ち上げられた。
「こっちは俺からの、ちょっと早いホワイトデーだ」
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