01
ただじっと待つという、ただそれだけのことがどうやらひどく苦手らしいことを、俺は理一に告白してから初めて知った。
どうにも落ち着かず、理一の入試までまだ二週間はあるというのにそわそわし続ける俺がよほどうっとうしかったのだろう。
バレンタインから数日後のある日、シュウは俺にこう言った。
「やることがなくて落ち着かないっていうなら、テスト勉強でもしたらどうだ?」
ちょうどテスト二週間前だし、とも続けられる。
いつもなら「嫌な現実を思い出させないでくれ!」と憎らしく思うところだが、今回に限っては、俺にはシュウが救世主に見えた。まさに渡りに船といったところだろうか。
タイミング良く配布されたテスト範囲一覧表をもとにシュウにおすすめの勉強法を教えてもらうと、そこからは再び勉強、勉強、勉強の日々だった。
理一のように自習室にこもろうかとも考えたが、そこでうっかり鉢合わせでもしてしまったらとてもじゃないけれど心の平穏を保てそうもなかったから、寮の自室で、一人で、だ。
前回の中間より一問でも多い正解を。一点でも高い得点を。
そして――理一と並んでも、遜色のない成績を。
堂々と理一と並び立てる人になりたい。
その一心で机に向かって、俺はペンを握り続けた。
一問解いて、一つ新しい解法を覚えて、目眩がするほど長い英文を読んで、年号を覚えて。
そうこうしているうちに、めまぐるしく時間は過ぎていき、試験期間が終わった。
「めーちゃん、テスト結果出たって!」
「もう? 前と比べて随分早くねぇ?」
「いっつもこの年度末のやつだけは発表が早いんだな! って、もうめーちゃんったら、そんなことどうでもいいから!」
早く早く、とスーザンが俺を急かしてバンバンと机を叩く。
わかったわかったとそれをなだめながら、俺はがたりと席を立った。
今日、三月二日は数日前まで行われていた学年末テストの結果発表日である。
そして――くしくも、理一の第一志望校の合格発表日でもあった。
ざわめく人混みをかきわけて、中間テストのときと同じように順位の掲示されたパーテーションの前に立つ。と、
「えっ!?」
その上位に並んだ名前を見て、隣で忍が大声を上げた。
チラチラと俺の様子を伺いながら「えっ? これ、えっ?」と掲示の内容と俺の横顔とをしきりに見比べている。
「なあ、めーちゃん? 俺の見間違いじゃなければめーちゃんの名前が二位のところにあるんだけど、夢でも見てんのかな?」
「ほっぺたつねってやろうか?」
「ううん遠慮しとく……って、いたたたた! つねってやろうか? って言いながらもうすでにつねってくんのやめてよめーちゃん! 痛い! あっ、てことは夢じゃない!?」
嘘だろう、と信じられないといった声を出す忍に、失礼なやつだなとばかりに最後にひときわ強く頬をつねってやってから、俺はぱっと手を離した。
「めーちゃんが二位? うそだろ!?」
「だからお前な、失礼だろうがって」
そう。二年のランキングの上から二番目、総合二位の欄に俺の名前はあった。
さすがにそれで学費免除してもらっているシュウには勝つことができなかったが、前回と比べると忍と志摩を抜いて二つ順位を上げたこととなる。
人混みをかき分けている時の視線の痛さや、ざわめきに混じった俺の名を呼ぶ囁き声から結果はある程度予想できていたけれど、実際にこうして自分の努力が目に見える形となると嬉しいものがある。
口元が緩むのを抑えきれずにいると、不意にカーディガンのポケットで携帯電話が震えた。
反射的に取り出して二つ折りのそれをぱかりと開けば、一通のメールを受信したことを教えてくれる。差出人は理一だ。
「めーちゃん? どうかしたのか?」
「あー、うん。ちょっと……」
忍への返事もおざなりに、カコカコと携帯を操作する。
早く見たいと焦る自分と、まだ心の準備ができていないと怖がる自分とが入り混じる。
僅かな葛藤の末に、勝利したのは「早く見たい」という気持ちだった。
ごくりと喉を鳴らして覚悟を決める。
ぐっと決定ボタンを押し込んでメールを開封すると、ごくごく簡潔な一文が俺の目に飛び込んできた。
『To:やぎ
本文:合格した』
「……なんで、こんなときばっかり……」
どうしてこういう時に限って、きちんと漢字変換して送ってくるのだろう。
あのひらがなばかりのメールを見て安心したいと、そう思っていたのに。
どことなく歯がゆさを感じていると、更に立て続けにメールが届く。
『To:やぎ
本文:明日 話がしたい』
「明日……」
明日は三月三日。
理一の誕生日であり、理一たち三年生を見送るための卒業記念パーティーが行われる日であった。
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黄銅学園の卒業式には、在校生は基本参加できない。
例外は生徒会や風紀委員の役職持ちだけである。
なんでも、全体的に人数が多すぎる上に、過去に人気の生徒をめぐって大騒ぎになってしまい、式どころじゃなくなってしまったことがあったのがその理由らしい。
けれど、どうしても卒業生を祝いたい、なにかそういう行事がしたい、という多くの要望を受けて数年前から始まったのがこの卒業パーティーだ。
一口で言ってしまえば「三年生を送る会」のようなものだが、例のごとく高級ホテルを貸し切って、一流レストランのシェフやパティシエを呼んで行うあたり「パーティー」以外のなにものでもない。
会場はクリスマスのときと同じあのホテルだった。
学園が出したシャトルバスから降り立ち、正面からホテルを見上げていると、前回の醜態を思い出して苦々しい気持ちになる。
そしてそれ以上に、緊張のあまり胸が苦しくて仕方なかった。
人並みに流されてロビーに足を踏み入れ、クロークにコートを預けるところまでは良かった。
けれど、いざパーティー会場となるフロアへ足を踏み入れようとするとどうしても尻込みしてしまった。
両足が鉛のように重くなって、入り口付近で立ち止まってしまう。
何人もの見知らぬ生徒たちが、邪魔そうにどんと俺の肩にぶつかっては俺を追い抜いていった。
本当に、迷惑極まりないところで立ち止まってしまって申し訳ない。
けれど、今ばかりは自分で自分がコントロールできなかった。
理一は「明日」と言っていたけれど、それはこのパーティーでということでいいのだろうか。
どのタイミングで、理一は俺に話をするつもりなのだろう。
そして理一は――俺に、なんと話をするつもりなのだろう。
考え出したら止まらなかった。
いっそ、このままひとりで学園に帰ってしまおうか。
そんな考えまで浮かんだそのとき、ぽん、と誰かが俺の肩に手を置いた。
「めーちゃん」
振り返れば、忍が俺を安心させるように微笑んでいる。
「ほら、ハル」
「行くで、めーちゃん!」
続けてシュウが、西崎がその隣に立ち、俺をそっと促した。
今日なにがあるのかなんて誰にも話していないというのに、どうにも俺の友人たちは察しが良すぎる。これは一生適いそうもない。
早々に諦めて頷き返すと、パーティー会場の入り口へと向き直った。
忍のてのひらがそっと背中を押してくれているのを感じながら、ゆっくりと一歩足を踏み出す。
そうして会場内に身を投じると、一気に華やかな空気が俺を包み込んだ。
きらびやかなパーティー会場も、揃いも揃って仕立ての良い高級そうなスーツを着ていることも、会場内の浮かれた空気やざわめきも、むしろそっちがメインなんじゃないかと思うほど豪華な軽食コーナーも。
何もかもが、クリスマスの仮面舞踏会のときと同じだった。
ただ唯一違うのは
「ハル」
フロア最奥の大階段をゆっくりと降りてきて、あの日と同じように俺の前にひざまずいた理一の顔に、仮面がないことくらいだ。
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