「へ?」
いきなりの話題に何の話かと丹羽はつい和希の方へと視線を戻す。
そこには、丹羽を真っ直ぐに見つめ返してくる和希の瞳。
決して茶化す訳でもなく見つめてくる視線に、体が急に動かなくなった。
狡い。普段はまったく関心がないようにこちらを向かないくせに、ふとした瞬間にだけこうして真剣に見つめてくる。
まるで飴と鞭だ。
うまく使いこなして、丹羽の心を離さない。
何度でもまた、惹きつけられる。
「貴方が辿り着くまで、俺はちゃんと待ってます」
そうしてもう一度、和希が言葉を繰り返した。
それを聞いて丹羽はようやくそれがさっき自分が言った事への返事なのだと理解した。
「ずっと、か?」
「ええ、ずっとです」
「因みに声援とかは?」
「そりゃ、目一杯しますよ」
どちらにも助かって欲しいですから。
欲張りな和希の答えに、なぜか満足する。
(そうだな。お前の悲しむ顔は、見たくねぇから…)
だったら全力で、全てを守る。
和希も、和希の大事な物も、全部だ。
俺ならできる。それが出切る男になってみせる。
「ところでよ…」
決意した所で、欲が出た。
「なんです?」
「その、ちゃんと辿り着いたらご褒美なんかはもらえたりするか?」
「はい?」
「だからよ、啓太を連れて和希の元まで帰ってきたらよ…、その…」
それはもちろん想像でしかない例え話。けれど、もしもきちんと辿り着いたなら、和希も少しは振り向いてくれるのか。
「そうですね。それなりに」
少し考えた後に、和希はほんのりと頬を染めてそう答える。
その反応がとても可愛らしい。
これはあれか?もしかしてちょっとは脈ありだったりするのか?
丹羽の期待が膨らむ。
「だったら…」
「だったら?」
「少しだけ前払いで!」
「できるはずないでしょ!」
再びガバリと飛びかかろうとした丹羽に、和希は手元にあった毛糸玉を掴んでその顔面に投げつけた。
毛糸とは言え塊で力一杯投げればそれなりに痛い。
しかも顔面にクリーンヒットした丹羽は、そのまま後方に倒れてもんどりうった。
「もう…油断も隙もない…」
ついつい呆れた声を出しながら、しかし口調とは裏腹にその顔はどこか楽しそうに笑っている。
けれどもその事を、顔面を押さえて倒れていた丹羽は見ることができなかった。
「さて、と。俺もう行きますね、王様」
そのまま、倒れた丹羽を放置して和希は立ち上がる。
飛んだり跳ねたりで多少汚れてしまった制服を叩き、手作り感満載の巾着袋に投げつけた毛糸や編みかけのセーターを素早くしまい込んだ。
「え?もう行っちまうのかよ?」
立ち上がった和希を見て丹羽も慌てたように起き上がる。
ここに来てからまだ30分程しか経っていない。
すると和希は申し訳なさそうに眉を寄せ、
「すみません、これから仕事で…ああ、失礼」
そう丹羽に言っているうちに、和希の制服のポケットから急かすようなケータイの着信音が響いてきた。
「はい」
ケータイを手に取り電話に出れば、途端に和希の顔は鈴菱のトップに切り替わる。
こうなるともう、手が届かない。
和希はやはり大人なのだと、見せつけられた気分だ。
口を挟むことも許されない雰囲気が、この時の和希にはある。
「ああ、うん。わかった。すぐに戻る」
何度かケータイの向こうの相手に頷いてから切る。
そうして丹羽の方に視線を戻せばまた、学園で見せる丹羽の後輩、遠藤和希の顔に戻っている。
いったいどっちが本当の和希なのだろうか。
(いや、多分、どっちも和希…なんだろうな)
「それじゃあ王様、俺はこれで」
「あ、待てよ和希!明日!明日は学校に来れるのか?」
そのままそそくさと仕事に戻ろうとする和希に、丹羽が待ったをかけて聞いた。
和希が忙しい身だと言う事は分かってるが、それだけはどうしても聞きたかった。
分かっていても、それでもやっぱりできるかぎり側に居たい。
だから、約束が欲しい。
明日も会えると、約束が欲しい。
それが子供のような我儘だと分かっていても…それでも。
どうなんだと見つめてくる丹羽の熱い視線に、和希は一瞬キョトンとてから、けれどもすぐに花が綻びるような笑顔になって「はい」と頷いた。
「午後には、きっと」
「お…おう!約束だぜ?」
うっかりその笑顔を正面から見てしまった丹羽は、自分の心臓が一瞬止まったような錯覚に落ちる。
ああ、なんてこった。
これは完全に撃ち落とされた。
完敗。まさにお手上げ状態。
それほどの破壊力だった。
しかし、弾を放った本人はそれとは気づかずにまたさっさと丹羽に背を向け、
「ああ、そうだ王様。今日は点呼に間に合いそうにありませんから、篠宮さんにうまく言っておいてくださいね?」
さらにはとどめのウインク一発。
嫌味なくらいに似合うその一連の動作に、丹羽は返事も忘れてただ人形のようにコクコクと頷く事しか出来なかった…
そうして和希の姿が消えた頃、ようやく何かの呪縛から解放されたように丹羽がよろよろと立ち上がる。
大きく息を吐いて、それからまた大きく息を吸うと、
「待ってるからな!和希!」
もうそこにはいないけれど、届けとばかりに大声で叫んだ。
その顔はとても、生き生きとしている。
まだまだ自分は未熟で、気がつけば振り回されてばかりだけれど、
「いつか、な」
手を伸ばせば届く距離のはずなのに、なかなか触れる事が出来ない和希の心。
それは高く高くそびえ立つ防壁の向こうにあって、まだ丹羽には見ることさえ出来ないけれど。
「その壁を越えて、本当のお前を捕まえて見せるからよ」
いつかは必ず越えてみせると固く誓う。
だからそれまで、あともう少し。
もう少しだけ、待っていてくれ。



「和希様、楽しそうですね?」
サーバー棟に戻り、制服からスーツへと姿を替えた和希に、和希付きの秘書である石塚が声をかけてきた。
「そうか?」
とぼけたように和希は笑うが、その理由は分かっている。
実際、楽しいのだろう。この二重の生活が。
「ああ、そうだ石塚。明日は午後から学園の方に行く事にしたから、その予定でスケジュールを調整してくれないか?」
「学園の方に、ですか?」
確かに明日は会議や会食などの予定は入っていないが、それなりに仕事は入っていたはずだ。
だが、どうしても明日にと言う仕事ではない。とは言え、その後の予定を考えれば、できるだけ早急に終わらせてしまいたい仕事ではある。
石塚は少し考えた後、改めて和希を見た。
和希は代わらず笑みを携えて石塚を見ている。
「どうしてもですか?」
「うん。大事な約束があるんだ」
はにかんでそう言われれば、もうノーとは言えない。
「かしこまりました」
一礼して、スケジュールの調整に入るために一度部屋を退室した。
(和希様がああして喜怒哀楽を表に出せるようになったのも、この生活のおかげなんでしょうね…)
ふっと笑みを浮かべる。
出会った頃は、感情など何処かに置いてきてしまったような顔しか出来なかった和希が、今はあんなに楽しそうに笑っている。
「でしたら、貴方の笑顔のために私が出来る事は、ただひとつです」
この生活を、出来るだけ守る事。
それが貴方の幸せであるならば、全力でそれを御守りする。
それが、自分に与えられた指名だと、そう信じているから。
「ホント、困ったなぁ…」
サーバー棟から校舎を見下ろし、和希は小さくそう漏らしながら自分に対して呆れた笑みを浮かべる。
本当に困った。
もうやめられそうにない。
そう思うくらいには、ハマっているのかもしれない。
きっと今ごろは文句を言いながらも学生会業務に励んでいるであろう丹羽を思って、小さく笑う。
いつの間にか、愛しいあの子の事を考えている時間より、丹羽の事を考えている時間が多くなっていると気づいて、ちょっとだけ恨んでしまいそうになった事もあったけれど、それでも、あの子に大切な人ができた時、立ち止まってどうすれば良いのか分からなくなった和希の側に、誰よりも先に手を伸べて一緒にいてくれたのは、他の誰でもない、彼だったから。
「殴らせろとか、最初は物騒だったくせにね」
まぁあれは、黙っていた自分が悪いのだけれど。
「俺をハメた責任、とってくださいね?王様」
けれどまだ、返事はしない。
してやらない。
ちょっと意地悪だとは思うけど、これは大人の意地と言うか、まぁ、簡単に返事をしたら自分が悔しいから…と言うのが本音だったりするんだけど…
もう少しだけ。
あともう少しだけ、このままでいたい。
こんな生活が長くは続かない事は知っている。分かっている。
いつか皺寄せが来ることも、どこかで終わりにしなければならない事も。
「でも…」
それでも。
このぬるま湯みたいな心地のよい生活を。
あともう少しだけ。
幸せの象徴のような、あの子たちと、一緒に。


(終)




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