18 | ナノ





私には、よく仏頂面と評される親友がいる。彼が仏頂面なんて言われるのが親しい人にしか表情の変化をみせないからなのだと気付いたのは、やはり親しくなってからだった。
…なので、目の前の光景は、少し信じがたいものなのです。いや、少しじゃない。かなり信じられない!

「いきなり呼び出して悪かったな…、忙しくなかったか?」

「いや…うん、生徒会の仕事も一段落ついたから大丈夫」

そうか、と笑う彼こそ、私の親友である。頬を染め、眉を下げて…嬉しいという気持ち全開の彼こそ、だ。
なんであんなあからさまに懐いてるんだろう。意味が分からない、理解したくない。視界の隅っこ辺りにしかうつしたくない。

「で、尾浜も連れてきちゃって…何の用なのさ、久々知。」

どうやら彼の様子に戸惑いを隠せないのは私だけでなく、彼の好意を全面的に受けている、その人もらしい。私はこの時、震える体で絞り出したような声をだす不破に、初めて同情をした。


今日は、夏休みが終わる五日前。前から三郎とお昼を食べる約束していた日である。お昼を食べた後、以前から約束していたことを果たすために三郎と八左と別れて向かった先は、学校だった。といっても、私服では中に入れないから、一度家に帰ったんだけど。
因みにその約束というのは、兵助との約束だ。「少し話したいことがあるんだ」と指定された日が、その僅か一時間後に三郎からお昼に誘われる日と被るなんて知らずに、二言で了承してしまったのである。

さて、話を戻そう。そんなこんなで、私はどんな話なのかだとか改めて私を呼び出す必要があったのかだとか、そういったことを何も教えられずにここまで連れて来られたのだ。取りあえず一つ分かったことは、この男に会うために学校に来た、らしい。それならば三郎が「実は誘おうと思っていたやつがいたんだが、忙しいからと断られたんだ」と言っていたのは、この男のことか。確かにこいつは生徒会に入っているから、忙しいのは仕方ないかもしれない。

「大事なことを、言っておこうと思って」

まるで推理小説みたいに、兵助が不破に何の用事があるのかと考えていた最中。私がうんうん唸って考えてもでなかった答えを、兵助はあっさりと言ってしまった。

「俺は、勘右衛門と付き合っていないよ」

しかしその答えは、わざわざ改めて話があるというくらいなのだから、きっと重大なことに違いないと思っていた私にとって至極当然のことで、酷く拍子抜けしてしまったのだけど。



「え」

久々知の告白に、冗談抜きで目玉が飛びでるかと思った。久々知と尾浜が付き合っていない、なんて。何の冗談だと笑い飛ばそうとしたとき、尾浜の拍子抜けしたような顔が視界に入った。と思った途端、彼女は眉を顰めて首を傾げる。それはどう考えても、納得がいかない、という仕草だった。
やっぱり。どうせ意外にもお人好しなところを発揮して、僕に気遣うために言ったんだろう。まったく、とんだ奴に懐かれたものだ。自己完結した僕は、漸く詰めていた息を吐きだす。そして一つおかしな点に気付いた。久々知の言葉を嘘だと分かっていたのに、息を詰めるほどに緊張していたこと、だ。
答えが思い浮かばず、尾浜に習うよう首を傾げていると、そんな僕の心情なんてすべてお見通しだと言わんばかりに微笑んだ久々知が、また口を開いた。そして後に紡がれた言葉のお蔭で、僕が緊張していた理由が、いやでも分かってしまうことになったのだった。

「嘘じゃないよ。俺も、勘右衛門も…その子が大事だから告白が出来ないだけで、個々に好きな人がいるんだ。俺たちは本当に付き合っていない」

ガツンと、脳が殴られる感覚がした。
…分かってしまったのだ。久々知のその言葉だけで。たびたび疑問に思っていたことが、答えへ繋がり、鮮明になっていく。知りたくなかった答えが、頭に浮かんでくる。それを信じたくなくて呆然とする僕を余所に、久々知は生徒会室の出口へとむかう。僕はそんな彼の背に向かって、知らない内に声をだしていた。

「久々知の、好きな人って…」

酷く静まった室内で、僕の声だけが響く。久々知は、僕の言葉の続きを待つことなく、笑って見せた。

「また学校でな。雷蔵、勘右衛門。」

勘右衛門。
…ああ、そうだ。そういえば尾浜もこの部屋にいるのだった。僕が無意識に忘れていた尾浜の存在を思い出したと同時、ドアは無情にも久々知によってパタンと閉められた。

今の今まで話していた相手がいなくなり、訪れる沈黙。一瞬にして部屋へ静寂を誘ったドアは凄いものだな、なんて変に関心してしまった。だけど、その意味の分からない関心は、すぐさま頭からぬけていった。と言うのも、尾浜が僕に詰め寄ってきたからである。

「っ…!?」

「あんた、私と兵助が付き合ってるって、本当にそう思ってたの?」

驚いて声も出せなかった僕に、尾浜は顔を上げず、でも真剣な声で聞いてきた。途端、ぶわり、と異常なほど汗がでる。それが冷や汗なのだと頭が理解した時には、僕はいつの間にか目一杯頭を下げていた。尾浜には見えないのに、だ。

「ごめん、本当にごめんなさい…!知らなかったんだ、知らなくて!ずっと、…ずっと、羨望してるだけだって勘違いしてて…!」

脳で整理することなく、ひたすら思いついたことを口にする間中、尾浜はただただ黙っていた。顔さえ見ることが出来れば、尾浜がどんなに怒っているか、僕を憎んでいるかが分かるだろうと、頭を上げようと思うのだが、どうにも上手くいかず。まるで大きな圧力がかかったかのように動かない頭に、視界が勝手に潤んでくる。こんな時まで自分を守ろうとする自身に怒りと情けなさがこみ上げてきて固く目をつむるも、「そうだろうなと思ってたよ」なんて呆れた調子で放たれた言葉と共に何かで頬を包まれ、固くつむっていたはずの目は、いとも簡単に見開かれた。そしてそのあたたかくて固い『何か』によって強制的に頭を上げさせられる。あんなに感じていた圧力はどこへいったのか、とてもスムーズに。

「ぷっ、変な顔ー」

そして視界にうつったのは、怒りや憎しみに顔を歪める尾浜ではなく、くすくすと楽しげに笑う尾浜、だった。
はじめて間近で見る笑顔に、ドキンと心臓が跳ねる。状況を考えろと叱咤しても、心臓は勝手に跳ね続けた。だが、続いた尾浜の言葉のお蔭で、活動を停止したのかと思うほどぴたりと心臓は大人しくなった。

「さっきさ、ちょっと声が高めな、あんたのおにいさんから電話がかかってきたの。それで教えてもらったんだ。あんたが私や三郎にいじめ同然のことをしてきた理由、全部。」

心臓に次いで脳みそまで活動を停止してしまったのか、尾浜の言葉を聞いた瞬間、僕の思考は固まった。僕が思っていた以上にお人好しであることが判明した『おにいさん』を、明日にでも問い詰めようと心に決めてから、だったけど。



「くしゅん、」

いきなり出たくしゃみに、これは何処かで私の可愛い『おとうと』が噂をしているに違いないと確信しつつ、鼻をすする。

「なに、風邪?」

そして、ぱちくりと瞬き、「夏風邪は馬鹿が引くんじゃなかったっけ」と首を傾げる男の頭を、ドアの隙間から腕を伸ばしてぺしりと叩いてやった。男は痛いと頭をさすりながらも、もう片方の手に持っている袋を差し出してきた。

「何これ」

「買いすぎたから、どうかなと思って」

「…全部やけ食いしようとしたけど折角だから色んな味を味わいたいから私に料理して貰おうと思って、の間違いだろ」

「何だ、分かってるじゃないか」

流石、話が早い。と勝手に私が料理を作ることを決めているような発言をする男に、痛くなる頭を抑える。まだ夕飯は作っていなかったから別に構わないと言えば構わないのだけど、同じものを扱って違う料理を作るのは手間がかかって大変面倒なのだ。あと夕飯云々よりもその背にあるリュックの意味が分からなさすぎる。もしや時間がかかるのを見越して泊まるつもりか、こいつ。
今日は色々あったせいで精神的にとても疲れているというのに。そんなことを一人ごちりながら、ふと視線をやった先に『七松スーパー』とかかれたビニール袋を震える腕の中におさめている彼の姿があって。大事そうにビニール袋を見つめる男を見て、彼女はとうとう盛大なため息を吐いた。

「…分かったよ。どうぞゆっくりしていって下さい、お人好しさん」

それから家のドアを完全に開け放てば、男は再度ぱちくりと瞬いた後、嬉しそうに笑ってみせた。

「ありがとう、三郎」

「どう致しまして、兵助」

三郎はビニール袋を受け取ったとき、白い物体が敷き詰められているのを目にしてしまい、やっぱり許可するんじゃなかったと後悔しながら、兵助が靴を脱ぐのを横目で見やりつつ、パタリとドアを閉めた。



僕らの青春恋愛事情に戻る。


2012.0905
- ナノ -