これの続き




蛇が女王と呼んだ少女―小桜茉莉は、今回の一連の事件について何一つ知らなかった。
それどころか、自分が『女王』なる存在であるということすら。

親を亡くして街外れの家に一人住む彼女は、一度外出した時に日本人離れした容姿のせいか他の子供に絡まれ、以来外を極端に怖がるようになり必要に駆られた時しか家を出なくなったそうだ。

一人ぼっちでいる時間が多くなった彼女は、頭の中で色々な物語を想像するようになった。

彼女は外出する際、必ず頭の中で物語を創りながら描いた絵や文字が詰まったスケッチブックを抱きしめて持ち運ぶ。

想像でいっぱいのスケッチブックは彼女に勇気をくれた。物語の中では彼女は何にでもなることが出来る。


そんな想像を始めてからしばらく経ったある日。

その日、外出した彼女は運悪く以前苛められた子供に出くわした。その子供はスケッチブックに目を付け、取り上げ、中を開いた。
けれど彼女は必死に抵抗してそれを取り返し、逃げ出した。一枚ページが破られてしまっているとも知らずに。

それが後にどのような事態を引き起こすか、誰もまだ知らなかった。


小桜茉莉は『影を喰う蛇』の物語を想像した。

それは蛇に慄く人間を最後には勇敢な少女が助けてしまうお話。けれど。


【蛇は突然現れ人間の影を喰う】
【影を失った人間は誰にも干渉出来なくなる】
【影を失った人間は七日後に誰も彼もの記憶から消えてしまう】


奪われたページに書かれていたのは、そんな物語の設定だけ。


きっと彼女からページを奪った子供は、面白半分に友達にそれを見せたに違いない。
そこからどんどん話は広がり、オカルトチックな噂として面白がられるように変わり、人から人へと伝播した。


これが『影を喰う蛇の噂』の始まり。けれど、それは只の噂では終わらなかった。


女王の言葉は、それを知る者を縛る力を持つ。


噂はいつしかこの街の中高生で知らない者はほとんどいないくらいに広まった。
噂を知った者は女王の想像に縛られる。彼らは『影を喰う蛇』の物語の登場人物となった。

それから、物語には欠かせない存在―――蛇が生まれた。これもまた女王の力。
女王の想像を知る者が増えれば増えるほど、彼女の力は強くなる。想像は、現実になる。


こうして創り手である女王自身がそんなこととは知らぬまま、物語は動き始めたのだった。





少女は目を閉じる。

「話が、あるの」

病床で笑った母親に泣きじゃくりながら首を横に振った。遺言なんて聞きたくないと病室を飛び出した。

次の日、容態が急変して―――母は死んだ。


―ああ、あの時話を聞いていれば。


逃げ出したことへの後悔は更に大きくなって、今更少女に襲いかかる。

あの日母が言わんとしていたことを聞いていたならこんなことにならずに済んだのに。


少女はこみ上げそうになる嗚咽を我慢する。自分に泣くことは許されない。


―なんて罪深いことをしてしまったのか。


血が出るくらいに、唇を強く噛んだ。





シンタローががくりと膝を折った。

「………っ」

声にならない悲鳴と共に上体を曲げ、蹲る。何かが体を這い上がるような気持ちの悪い感覚と同時に吐き気がして歯を食い縛る。汗が頬を伝った。

シンタローさん、シンタローさん、と懸命にセトが体を揺さぶって呼ぶ声が徐々に遠のいていく。

シンタローは左手首を逆の手で強く握った。以前殴られたそこに、傷が付くくらい強く爪を立てる。痛みと共に意識が少し正常に戻る。ぐ、と膝に力を込めて立ち上がった。

「…へえ、よく耐えたな。普通はそのまま眠っちまうんだが」

くらりと目眩がするのを耐えながら、ぱちぱち拍手をする蛇を睨みつける。

「だ、大丈夫…?」

少女はシンタローを心配そうに見つめてくる。

最初はシンタローの姿が見えていなかった彼女だが、「自分が女王である」という自覚をすると共にセト同様怪異を見る能力が身に付いたらしい。全く、女王の力というのは極めて概念的なもののようだ。

「ま、これで預かり物は返したぜ。外にでも出て確かめて来いよ」

「…その必要は、無いみたいだ」

肩を竦めるクロハの前で、シンタローはズボンのポケットからバイブ機能で震えている携帯を取り出す。
届いたメールを読んでもう一度ポケットにしまうと、被っていたフードを脱いだ。

「ちょうど妹からメールが来た」

「じゃあこれで元に戻ったんすね!よかった!」

顔を輝かせて飛びついてこようとするセトを、シンタローはめいっぱい腕を伸ばして遠ざける。人前で気恥ずかしい事をするなと睨めつけて。

「ごめんね、シンタロー。私のせいで…」

「…オレは別に何とも無い。けど、自覚してなかったじゃすまされない話だってある」

シンタローの黒目がひたりと少女を見据える。眼光は酷く冷たい。静かな怒りを感じて少女は体を震わせた。
セトはシンタローを制止しようと口を開きかけて止めた。シンタローの怒りはもっともだと感じて。

シンタローは無事に影を取り戻した。けれど、シンタローの前に失踪した人間はもう戻って来ない。九ノ瀬遥は、もう帰って来ない。

「そう怒るなよ、シンタロー。お前って冷静なようで焦ると結構周りが見えてないのな」

「は?」

目を丸くするシンタローをクロハは馬鹿にしたように笑うと、少女を振り返った。

「じゃあ、俺はそろそろ消えるかな」

「消えちゃうの?どうして、あなたはもう解放されたのに―」

少女ははっと途中で言葉を飲み込んだ。沢山の人間の死を招いた彼女が言っていい言葉では無い。震える瞳に蛇は頷く。

「俺はお前の想像の産物だ。人でも怪異でも無い、ここにいていい存在じゃあないんだ。女王、お前が『消えろ』って念じればそれだけでいい。頼むよ」

少女はこくりと頷いて胸の前で手を組む。泣きそうな顔で。

「…ごめんなさい」

「謝るなよ。俺だってお前と同罪さ」


―ほら、女王。願えよ。


促されて少女はぎゅっと目を閉じた。

徐々に蛇の姿が霞んでいく。シンタローもセトも、目を逸らさずにその様を見つめていた。


消える寸前、クロハが小さく口を動かした。


「ありがとうな、遥。まあ元気にやってくれ」


「………え?」


シンタローは目を瞬く。


次の瞬間に蛇は消えた。

消えて―――白い光と共に、一人の少年が現れた。


「クロハ、僕の方こそありがとう。それから………さよなら」



九ノ瀬遥は胸の前に手を当てて、そっと呟いた。





続き



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