これの続き



ドアが閉まり、残されたのは液晶ディスプレイの中で未だ笑い声を漏らしているエネと、ぽかんと口を開けたセトの二人。

「ふふ、ご主人ってば、拗ねちゃいましたね」

穏やかなエネの声は、まるでシンタローの姉か母かのように優しい愛情に満ちていた。
そんな彼女を見つめて、セトはぽつりと呟く。

「なんか、びっくりしたっす」

「びっくり、ですか。ご主人の見た目が十年経っても変わってなかったことに?」

それもあるんすけど、と曖昧に返す。エネが続きを促すように首を傾げた。

セトは言葉を探す。結局思いがまとまりきらずに、返したのは拙い答えだった。

「シンタローさんって、あんなに…小さかったかなって…」

「…ああ」

なかなかいいところを突く、とエネは苦笑する。

―それはね、きっとあなたが大きくなったからですよ。ご主人は何一つ変わっていないというのに。

胸の内にある思いは口には出さない。

シンタローはエネがそれをセトに告げることを望まないだろうから。

「ご主人の方が背、ちっちゃいですもんね!」

「いや、そういうことでも…」

「おおっと、いつまでも脱線しているとご主人に怒られてしまいます。ちゃっちゃと話を済ませてしまいましょうね」

セトが言葉を挟む隙を埋めるようにエネは喋りたてる。こういう時、酸素を必要としない体は便利だな、と思ったり思わなかったり。

「先程ご主人が言った、この部屋に隠れて機を待つということについてですが。この研究所には至るところに監視カメラが設置されています。これはご存じですよね」

「勿論っす」

「しかし、それにはただ一つの例外があります。それが、この部屋。なんとこの部屋のカメラのデータは既に私の手の内にあるのです。と言っても、管制室の映像が永遠リピートする録画と入れ替わってるってだけですけど。それから、たまにちょいちょいと映像をいじったりして」

ふふ、とエネは嫌味ったらしく笑う。心底下衆い…いや、楽しそうな顔だ。
元来そのようないたずらを好む性格なのだろうか。シンタローの気苦労が少し知れた気がする、とセトは曖昧な笑いを浮かべる。

「別の場所では人の出入りが激しく複雑なので、どうしてもそれだけでは誤魔化せないんですが、その点ご主人は大体椅子に座ったまま動きませんからね」

「相変わらずそんな生活を送ってるんすね…」

何かと世話を焼かされていた幼い頃を思い出して、呆れてしまう。

不摂生な生活は慎むようにと後でちゃんと言っておかなくては。

「それにしても助かりました。あなたがご主人の端末を持っていてくれて」

「へ…、わっ!」

突然エネの声がポケットから聞こえて、セトは驚くあまりに素っ頓狂な声を上げる。

ついさっきまで液晶ディスプレイに表示されていたエネの姿は消えている。

まさかと思って取り出した端末の画面の中で、エネが相変わらず楽しそうに笑っていた。

「いやあ、びっくりしました。未確認の電子機器が研究所の区域に持ち込まれたと思ったら、実はご主人の端末で、忍び込んだらあなたの顔が見えたものですから。慌ててご主人に知らせに行きましたよ」

ちなみにカメラの機能をお借りしました、と付け加えられた。

次々にまくし立てられていよいよ混乱してきたセトは、かろうじてごくごく単純な質問を投げかける。

「何者なんすか、エネさんって…」

端末や液晶パネルを行き来したり、監視カメラを乗っ取ったり。

そもそも、プログラムの類とは思えないほど、人間でないと言われた方が疑ってしまうほどに、人格が完成されている。

それなのに肉体のない彼女を、どうカテゴライズすればいいものか。

エネは画面の中でくるりと回り、再び液晶パネルに戻ると自慢げに胸を張って答えた。

「ふふん。時には超高性能AI、時には超危険なウイルス、そして時には超絶美少女!この私には不可能など無いのです!」

「…?な、なるほど…?」

なるほど、よく分からない。

セトの顔にありありとそう書いてあったのだろう、エネはけたけたと笑い声を上げて、詳しいことは私も分かんないです、と白状した。

「まあ、説明することはこれくらいですかね。要はここにいると絶対に安全ってことです。ああは言いつつもご主人は絶対にマリーさんを助けるつもりでしょうし、手が見つかるまでのんびり待ちましょう」

「のんびりって…。そんな余裕無いっすよ…!こうしてる間にも、マリーがどんな危ない目に合ってるか分からないのに…!」

シンタローと口論した際と同じく、思わずセトは声を荒げる。

エネはシンタローのように激高することはなく、ただ静かに溜息をついてみせた。

「…あのですね。私も、計画もなく先走るのは愚かなことだと思いますよ。蛮勇であることは時に災いをもたらす。ご主人はそんなあなたを心配して怒ったんです。どうか分かって下さい、でないと困ります」

冷ややかと言っていいほどの淡々としたエネの言葉。

楽しげに甲高く騒いでいた姿は何だったのかと言いたくなるくらい、大人びた返しだった。

セトはふいに冷水を引っかけられた気分になる。自分ばかり子供のように喚いて、恥ずかしい、申し訳ないといたたまれない。

「…すみません」

「いえいえ。慣れてますから。ご主人だってあなたと似たようなものですしね」

頭を下げたセトに微笑み、エネは、ところでと話を切り替えた。

「さっきも言った通り、説明は以上ですが。何か聞きたいことがあれば、私に出来る範囲でお答えしますよ」

「え…。えっと、シンタローさんは何でここにいるんすか」

「ご主人に聞いてください」

「じゃ、じゃあ。コノハさんって一体何者なんすか。只の人間じゃないっすよね」

「ご主人に聞いてください」

「ケンジロ…」

「ご主人に聞いてください」

「………」

「おやおや。役に立たないなこいつ、とか今思ったでしょう」

「いえ、そんなことは」

思ったけど。セトは心の中でぼそりと付け足して、それでも食い下がるように質問を探す。

「あ、そうっすよ。俺、監視カメラ以前に他の人に姿を見られてるんすけど。本当に大丈夫なんすか?」

「ええ、大丈夫ですよ。問題なのはバレてるかバレてないかってことじゃありませんから」

「え…と?」

セトが首を傾げると、エネは苦笑した。

「向こうも馬鹿じゃ無いですから。あなたの侵入は勿論、カメラの工作についても十中八九バレているはずです。私の存在がバレているかどうかは分かりませんけど。とにかく、そのようなことを知っていても尚、彼らは手出しをしてこないんです。彼らにとって、ご主人は出来ればあまり触れたくないデリケートな部分なので」

どうして、とセトは問う。エネは誇らしげに笑った。

「ふふ、それはですね。ひとえにご主人が優秀な頭脳を持っているからですよ。この研究所においてご主人と肩を並べるレベルの頭脳を持つ研究者は最早誰もいません。それどころか全員が全員、ご主人の足元にも及ばないでしょうね」

「…シンタローさんが、そんなにすごい人だったなんて」

セトは呆気に取られて呟く。

初めて出会った時、シンタローはまだ十四、五歳くらいというところだった。それは研究者にしては若すぎる年齢。
子供と表現するのが正しいであろうそのくらいの年の研究者は他にはいなかったから、よほど優秀な人間なのだろうとは思っていた。

けれど、それほどまでに。

「多少従順でなくとも、優れた研究成果を上げているご主人のことは是非ともキープしておきたい。今のこの状況を保っておきたいからこそ手を出しあぐねているんです。自分たちに従うことを強制するあまりに、例えば自ら命を絶ったりされては困りますからね」

ご主人がなかなか思い通りにならなくて悔しいみたいですよ、とエネは笑う。

それから一息ついて、ことりと首を傾げる。

「さて。さっきの質問への答えはこのくらいにして、他に聞きたいことがあればどうぞ?」

「あ、ああ…。じゃあもう一つだけ」

エネの話を聞きながら生まれた疑問。

バレている、バレていないが問題じゃない、と彼女は言ったが、それは一体いつからそうなったのか。

セトがまだ幼く、研究所にいた頃は、シンタローは常に監視カメラを気にしていた。別室だけでなく、自室でも。

彼が従順でなくとも許されるようになったのは、いつから。

尋ねるのが少しだけ恐くて、小声になる。

「あの、俺たちを逃がしたことがバレて…お咎めを受けたりとかはしてないんすか…?」

「ええ、していませんね」

セトの問いかけに、エネは間髪入れずにそう答えた。



■□■



次の朝。

セトに寝室を貸して自分は何処で寝るのかと思えば、やはりというか何というかシンタローは机の上に突っ伏していた。しかも、少し丈の長い白衣の上には何もかけずに。

部屋の中にコノハの姿は無い。彼には別に部屋があるという。

壁に貼られた液晶ディスプレイを見ると、画面の中で煎餅布団を引いて眠っているエネの姿が。つっこむところだろうかと悩んで結局セトは口を閉じる。

隣の部屋から毛布でも持ってくるか、と踵を返そうとすると、むくりとシンタローが起き上がった。
いつにも増して目つきが鋭く、黒髪がぼさぼさと跳ねている。

シンタローは目の前にセトが立っていることに気付き、面白いほど肩を跳ねさせて驚いた。

「うわっ!? だ、誰だお前!…ってああ、そっか昨日」

「駄目っすよ、シンタローさん!こんなところで寝ちゃ体痛めるって何回言えば気が済むんすか!」

「何回って…お前昨日来たばっかりだろうが…」

「十年前も同じことしてたっす!」

「あー、はいはい、そんなこと忘れました。で、エネ。お前何してんだ、ツッコミ待ちか」

セトの後ろの画面を見てシンタローは呆れ顔をする。あ、つっこんでよかったんだ、とセトはこっそり心の中で思う。

エネは掛け布団を跳ね除けて起き上がった。彼女が寝ていた布団はばらばらとドット状に崩れて画面の青色に溶けていく。

「へっへー。おっはようございます、お二人共!もう、なかなかツッコミが来ないからエネちゃん寂しかったですよう。しかし何というか、仲良しですねえ。十年ぶりの再会とは思えませんよ」

「いや、別にそんなこと無…」

「まあ、何年も一緒に過ごしたわけっすからねえ」

「…」

「どうかしたっすか?シンタローさん」

シンタローの睨むような鋭い視線を感じて、セトが首を傾げる。

別に本気で否定しようと思ったわけでは無いのだが、あっさりと仲良し認定を受け入れるセトには少し反発してしまうような。

きょとんとした顔に何でもないと突っぱねるように答えると、エネが楽しげににやついた。

「さて、これからどうしたもんっすかねえ」

「何だ、随分吹っ切れた顔してるな。昨日はマリーを助けたいってキレてたのに」

「シンタローさんに迷惑かけちゃいけないっすから。昨日は心配してくれてどうもありがとうございました」

セトはぐんと伸びをしながらシンタローに笑いかけた。

シンタローが唖然とした顔をして、その後顔を赤く染める。昨日照れて部屋を出て行ったのと同じパターン。セトは単純な人だと吹き出しそうになるのをこらえる。

「…エ、エネ。お前、余計なことまで喋ってないだろうな」

「いいえ?ただご主人は素直じゃないからあんな言い方しか出来ないんですよ、って言っただけです」

「それが余計なんだよ!」

「何ですか、私はただコミュ障のご主人が自らの言動であらぬ誤解を受けぬようにと思ってですね」

「だから余計な世話だ!」

エネとシンタローの会話にセトはくすくすと笑う。今も昔も、シンタローは好ましい人だと。

しかし、そんな安らいだ気分を他でもないシンタローがたった一言でぶち壊した。

「で、セト。取り敢えずはマリーの居場所からだが…」

「え」

セトは一声漏らしてぴしりと固まる。シンタローは怪訝そうに彼を見上げた。

「は?どうした、セト」

もう一度、シンタローはそんな風に目の前の少年を呼ぶ。

セトはぱくぱくと口を動かした。どうにかして声を搾り出す。

「ど…した、って…シンタローさん、俺の名前」

「普通に名字で呼んだだけだろ…。え、まさか…!ま、間違ってた!?」

シンタローは慌てて机に向き直り、パソコンのマウスを動かしてスリープモードを解く。
手早くデスクトップ上のファイルを開き、表示されたリストをスクロールして眺めた後ほっと息をついた。

「なんだ、間違ってねえじゃん。お前、『瀬戸幸助』って名前だろうが」

「いやいや、ご主人。そういうことじゃないと思いますよ」

「お前まで何だよ。オレが何か悪いことしたか?」

「悪いというか…。残念です、すごく…」

「ええ…?」

エネは可哀想な子を見るような瞳でシンタローを見つめる。

心底分からないと疑問符を浮かべるシンタローは、ショックで頭が真っ白なセトの目には映っていない。

幼い頃に大嫌いだった下の名前。十年前外の世界に出てから、誰にもそれを呼ばれたことは無かった。
シンタロー以外の人には使われたくないと思って呼ばせなかったのだけど。

それはセトの一方的な思いだ。だけど、当の本人が忘れているだなんて。これはあんまりなことではないだろうか。

セトは頭を抱えてへなへなとしゃがみこむ。

「いや…もういいっす。何か…疲れたっす…」

「おい、セト!? し、しっかりしろ!」

心配そうに慌ててかける声が更に彼をへこませていることに、シンタローは気付かない。

まったく、残念な人ですみません、とエネが合掌した。




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