これの続き



宵闇プロローグ



幼い子供四人で、手に手を取り合って必死に駆けた記憶。それを辿りながらセトは肌寒い地下の道を歩んでいた。

時折聞こえる、どこかから滴る水の音に肩が跳ねる。警戒に張り詰めた心は頭が痛くなるほど。
自分の息の音と鼓動の音がひたすらうるさい。靴の底が立てる音を極力押さえようとそろそろ足を進める。

道は迷路のように入り組んで、暗く、明かりは何一つない。
触れた壁は冷たいコンクリートで、明らかな人工物だが、使われている形跡は全くない。

かつ、と自分の靴の踵が立てた音に息を詰める。それから辺りの気配を伺って、ゆっくりと大きく息を吐き出した。

―もう一度ここに来てしまったのが、果たして良かったのか悪かったのか。

自分の中では既に解答は決定済みの問いなのに、腹の底にとある人への罪悪感が燻っている。

迷いを断ち切るように、ある少女の笑顔を思い出す。セトがこんな場所を歩いている理由である少女。
ぎゅっと目を閉じて、マリー、とその名を呼んだ。


遡ること三日前。

同じ家で暮らしていた少女が、突然いなくなった。

臆病な性格でいつも引きこもりがちな彼女が、一人で何処かへ行こうなどという勇気を持っているとはとても思えない。

きっと何かがあったのだと確信したセトは、同じく一緒に暮らしている友人二人と彼女を探し回った。

あちこちで走り回って聞きまわって、得られた目撃証言はどれも役に立ちそうもないものばかりだったが、たった一つだけ有用な証言があった。


堅苦しいスーツを着込んだ二人組の男に彼女が話しかけられていた、と。


それは、セト達三人が最も恐れていた内容だった。

彼女は攫われてしまったのだ。かつて捕らわれていたあの地獄のような場所に、もう一度連れて行かれてしまった。

彼女も、そして自分たちも。生まれた時にはそこにあったどうしようもない不幸、その理不尽から抜け出して、これから絶対に幸せになろうとしていた。

それなのに、大人たちはいとも簡単にそんな希望を踏みにじった。幼いあの頃と同じように。

頭の中がかっと熱くなった。大人たちの身勝手さにも、自分の無力にも、理不尽な世界にも腹が立つ。


友人たちの制止の声を振り払い、セトは一人、感情の赴くまま、少女を助けるためにかつて逃げ出した場所に帰ってきた。



どのくらいの時間、歩いただろうか。

全く変化を見せない暗闇と、延々張り詰めたままの緊張が、時間の感覚を鈍らせる。

つなぎのポケットから端末を取り出して電源を入れた。時間と共に画面に表示された不在着信に未読メールの山。

残してきた友人二人はどれだけ自分を心配しているだろうか。やっと戻ってきた冷静さが浅はかだと自身を責め立てる。

端末が零す白い光で目の前を照らした。行き止まりの壁。

やっとか、とセトは上を見上げる。鉄の梯子が足元から遥か上まで伸びている。梯子の向こう側は蓋で塞がれていた。

―さて、ここからどうするか。

向こう側に飛び込めば、そこは研究所の中だ。自分以外は皆敵と考えるのが至極当然。
二人ほど味方になってくれそうな顔を思い浮かべるが、彼らはこんなところまで出てくる権限を持たないはずだ。

「キドと一緒に来るべきだったっすね…」

セトは独りごちる。目つきの鋭い友人を思い出して溜息をついた。

今なら引き返すことも出来る。それが最善だとも分かっている。たった一人で乗り込んだって単に捕まってしまうだけだろう。

友人二人に助けを乞うか。だが、出来れば彼らを巻き込みたくはない。

そして、彼らと天秤にはかけられない大切な少女を見捨てることもしたくない。

唇を噛み締める。片手を持ち上げて目を覆った。

―二人に比べて、なんて使えない。大嫌いな力。こんな時くらい少しは役に立てば良いのに。


拳を握りしめて梯子に手を伸ばそうとした瞬間、それは起こった。


轟音。


爆風と一緒に、セトの立っていた位置の、右側のコンクリートの壁が粉みじんになって吹き飛んだ。


「なっ…!?」

セトは腕で顔をかばいながら目を凝らす。粉砕されたコンクリートの屑が、砂埃のように舞い上がる。

端末を掲げて無くなった壁の向こうを照らした。

人影が見える。セトは息を詰めた。早々に見つかってしまった。ここは研究所の人間の大半が知らない道だと思っていたのに。

警戒心を顕わに身構えながら睨みつける。

そんなセトの耳に届いたのは、ゆっくりで間の抜けた、少年の声だった。

「あ、いた」

彼は拳を握ったり開いたりしながら、こちらに歩み寄ってくる。

彼はセトと同い年くらいだろうか。

すらりとした長身に、真っ白な髪。白の長袖に黄緑色のズボン、大きな黒のベルトを腰からだらりと提げている。

右頬に複数の赤丸のペイント、耳にはまるで頭に直接貼り付いているかのようなヘッドホン、首に黒いネックウォーマー。

何だか漫画の世界から出てきたような、少し浮いた格好だった。

感情の乏しい無表情が、セトをまじまじと見て安堵したように緩く笑んだ。

「君、だよね?」

「な…」

何がっすか、と問おうとした声が、甲高い少女の叫び声で遮られた。

「ちょっと、コノハ!あんた何やってるんですか!」

「え!?」

セトはぎょっとしてその声が発された方を見る。コノハ、と呼ばれた少年の肩がびくりと跳ねた。

「な、何って…。迷っちゃって、壁、邪魔だったから」

「邪魔だったからって普通破壊しますか!というかよくコンクリートを素手で粉砕出来ましたね!エネちゃんびっくり!」

「エネ、声でかいよ」

「ふ…。あんたが壁を壊したのが既に騒音なんですが…?」

「………ごめんなさい、許して下さい」

冷やりと背筋の凍る声に、眉をハの字にして謝る少年。

セトはぽかんと大口を開けて成り行きを見守っていた。

それもそのはず、目の前の少年はコンクリートをどうやら自らの拳で粉砕したと言う。
そして、そんな彼を怒っている少女は、何故かセトが手にした端末の中にいた。

端末の画面を見下ろして言葉を失っているセトに気付き、全身青色の少女は微笑んだ。

「お久し振りです。大きく、なりましたね」

「貴女、は…」

姉が弟を見るような慈愛の瞳。
穏やかな澄んだ青色に、懐かしい記憶が鮮明に思い出された。

―私が案内できるのはここまでです。どうか皆さん、強く生きて。

セトたちが研究所から脱出した日、そう言ってこの端末から姿を消した彼女。

湧き上がる色々な思いが一気に込み上げて言葉にならない。

少女はそんなセトを励ますようにおちゃらけた顔をして、とんとんと画面を叩く素振りをした。

「まあ、取り敢えず積もる話は後にしましょう」

「うん、そうだね。ねえ君、一緒に行こう。…シンタローが、待ってる」

「―――っ」

人の二倍くらいゆっくりとした口調で、コノハが言った台詞。

その中に懐かしい名前を見つけて、セトは息を呑んだ。


十年前、自分を突き放すように外の世界に送り出した人。

不器用に頭を撫でる手。自分を身勝手に捨てた親に与えられた、大嫌いだった名前を呼んだ声。勇気を出せ、という別れ際の言葉。

何もかもが十年経った今でも色褪せない。忘れたことは一度として無かった。


拳を握るセトを、エネは複雑な表情で見ていた。優しい笑顔を浮かべて、けれど今にも泣き出しそうにも見える顔で。

しんみりとした空気の中で、コノハは一人何も考えていないような呑気な無表情で口を開いた。

「じゃあ取り敢えず、ここから出ようか」

「…え?ああ、そうですね。時間も無いことですし」

感傷に浸っていたエネは我に返る。コノハは彼女の返答に頷いて、さっさと梯子を上り始めた。
自分はどうしたらいいものか。慌ててセトは声を上げる。

「あの、俺…」

「行きましょう。大丈夫、私たちはあなたの味方ですよ」

「………っ。ありがとう、ございます」

不覚にも涙腺が緩みそうになって、唇を噛む。

泣き虫は卒業した、もうあの頃の自分じゃない。そう自分に言い聞かせて、端末をポケットに入れて梯子に手を掛けた。




コノハが蓋の間から這い出るように体を引きずり出す。追ってセトも同じように自分の体を床に引っ張り上げる。ごとりと蓋の閉まる音。

三人が出た場所は、地下の道同様に真っ暗だった。

埃っぽい空間。長らく使われていないようだ。

端末の光が辺りをぼうっと照らす。

動きを止めた巨大な機械が山と積まれている。ここは、名付けるなら機械の墓場とでも言うような場所。

コノハがセトを振り返る。首を傾げてエネに問うた。

「エネ、ここから出たらどこを通ればいいかな」

「ああ、えっとですね。北側のフロアは一応全部カメラをジャックしてるんで、右手の階段を上って五階に行くだけです。問題はどうやって人に見られずに…」

「そう。じゃあ、行こっか」

コノハはそう言うと、セトの肩に手を掛けた。

「へ?…うわああぁあ!?な、何やってんすか!」

きょとんと目を丸くしたセトの体が宙に浮く。気付くとコノハの肩に担がれていた。
彼はとても軽いとは言えないセトの体を、いとも簡単に持ち上げている。

「ちょっ…コノハ!?まだ人払いが出来てな…!」

エネが制止の声を上げる。が、コノハはそれを聞いていない。

状況が飲み込めずじたばたするセトを担いだまま、コノハはずんずんと出口に歩いていき、扉を開けた。

先程までの暗闇から急に眩い光が突き刺さって、セトの目が眩む。

指紋認証式の扉が立ち並ぶ、真っ白で無機質な廊下には、幸いなことに誰もいない。冷ややかで、胸が圧迫されそうな重い空気が漂っている。

「しっかり掴まっててね」

「コノハ!人の話を…」

「は…、う、わああっ!?」

コノハはエネの言葉もセトの抵抗も無視して膝を折り、足の裏に力を込めて跳躍した。

耳元で風を切る音。重力がぐっとかかって、内蔵がかき混ぜられる感覚。
セトはうぐっと詰まった声を漏らす。

だん、と大きな音。コノハがドアノブのついた扉の前で着地して、反動でセトの体はしこたまダメージを食らう。

だが、そんなことよりも。

たった一回の跳躍で、それも男一人を担いで、コノハは廊下の端から端まで渡ってしまった。

「な、ななななな…」

―こんなのどう見ても人間業じゃない。

セトはコノハの肩の上で絶句する。

コノハは非常用、と緑の光が告げる扉を、片手でドアノブを引いて開ける。
薄汚れた狭い階段がその先に続いていた。

エレベーターが完備されているこの施設で、好き好んで階段を使おうなどという物好きは皆無に等しい。

だから、誰かに見つかるということはまず無い。…階段では。

再びコノハが跳躍して、浮遊感にセトの意識は持って行かれそうになる。

一回のジャンプでコノハは踊り場まで全段飛び越していく。それを繰り返して、あっという間に五階に辿り着いた。

何の躊躇いもなく五階のフロアに出るドアを開けようとするコノハに、エネが焦った声を上げる。

「馬鹿、馬鹿コノハっ!五階にはいっぱい人が」

「だって急ぐんでしょ?」

「ばれないようにって言ったじゃないですか!」

「えっ」

「………」

「………」

「………あの、………コノハ………?」

「…そういえば、そうだったね…」

「っ、この野郎やっぱ忘れてたんですかあああ!」

「どうしよう、シンタローに怒られる…!」

「ええ、しっかり怒られて下さい!どうぞどうぞ!」

立ち止まったまま、気の置けないやり取りをする二人に、担がれたままのセトは声をかける。

「あのー…これから、どうするんすか…?」

「待って下さい…。ああっ、一階に人がっ!」

エネは端末から姿を消したり現れたりを繰り返す。
どうやら何処かへカメラの映像を確認しに行っているようだ。

「ど、どうする、このまましばらく隠れる?」

「そんな長いこと、カメラのギミックとジャックは隠せませんよ…。ばれた時に真っ先に疑われるのは絶対にご主人です」

「うう、シンタローが疑われるのは困る…」

「主にあんたのせいですけどね」

辛辣、とはいえ至極当然なエネの言葉にコノハは項垂れる。と思ったら、何やら思いついた様子で顔を上げた。

「ああっ、エネ!分かったよ」

「は?」

「へ?」

エネと一緒にセトが間の抜けた声を上げた。

コノハが勢い良くドアを押し開けたからである。

早速視界に飛び込む人影。エネが焦った声を出す。

「ちょっ、ちょっと何やって…!」

「え、目に見えない速度で行けばいいんじゃないかなって」

言うが早いか、コノハが足を踏み切る。次の瞬間には、唖然とした顔の人の群れに突っ込んでいた。


「…っ、んなもん出来るか、馬鹿ぁああぁあっ!」


一瞬絶句したエネが悲鳴のような声を上げた。


視界に入った人の姿が一瞬で後ろに過ぎていく。


セトはもうどうにでもなれと死んだような顔で担がれていた。





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