Risky Game


※シンタローに自傷癖があります。嫌悪感を抱かれる方は閲覧を避けて下さい。流血描写がお嫌いな方も閲覧を避けて下さい。
※セトが黒い。どす黒い。爽やかが逃げ出した。
※エネがシンタロー大好きで良い子。



―じゃあオチたほうが負けってことで。

唇の端を吊り上げて、そいつは愉快げに言い放った。

―ふざけんな。

顎を掴まれたオレは、間近にある顔を睨みつけて吐き捨てる。


そんな風にして唐突に、最悪の恋愛ゲームは幕を開けた。



■□■



ぽたり、ぽたり。

手首から血が次々と溢れて、フローリングの床を汚す。

「…ご主人」

固い、咎める声。オレはそちらを振り返る。

かしゃん。硬いものが床にぶつかる音。

「ご主、人」

二度目の声は、驚きに震える声。

涙が頬を流れて、顎を伝って、床に落ちる。

そして、三度目の声は。

「ご主人…っ」

AIでも泣くんだなと、ぼんやり思った。

意識が朦朧とする。いっそ夢ならばいいものを。
残念ながら、ずくりと悲鳴を上げる手首が現実だってそれこそ痛いくらいに叫んでいる。

「…ごめんな…」

あの頃のオレなら絶対に口にしなかっただろう台詞を、嗚咽を漏らす少女に告げて。

―やめてくれよ。

乞い願う。他でもない、自分自身に。



■□■



上を見上げれば、暑かった今年の夏と何ら変わりのない青空。
秋に変わろうとしているこの時期でも残暑は厳しく気怠くて、だらだらと足を引きずるように歩く。

ご主人、歩き方が変態っぽいです、とイヤホンから声がする。
変態っぽい歩き方ってどんなだよ。ちょっと心配になってくるだろ。なんてつっこむ気すら暑さに奪われて、黙りこくってただ足を進めた。

「…わざわざこんな暑い中アジトに行かなくたって」

「いつまで閉じこもっているつもりですか、ご主人」

「うぐ…」

散々弱みを握られているエネに冷ややかな声で言われてしまえば逆らえない。
しかもこいつがオレのためを思って言ってくれているのは分かっているから、余計に。

赤ジャージの長袖の下、包帯を巻いた左手首がずきずきと痛い。

―確かに、いつまでも閉じこもっててもどうにもならないよな。

重苦しい溜息をつく。

別にアジトに行くのはいい。
カノにからかわれるのは少々腹立たしいが、キドやマリー、コノハあたりと一緒に過ごすのは楽しい。モモやヒビヤもまあ、生意気だが可愛い奴らだ。

一人を除いては、皆良い奴らなんだ。カノはボーダーぎりぎりくらいだが一応そっち側に入れるとして、あと一人を除いては。

「ちわ…」

107、最早馴染みの数字が書かれたドアを開ける。細く、細く開けて中を覗き込む。

誰もいない。

しかし、鍵が空いてるんだったら誰かいるはずだ。願わくば、あいつじゃ無いことを祈る。

ふっとまた自然に出てくる溜息を吐き出してアジトの中に足を踏み入れた。

誰かいるのか、と迂闊に声を出すことはしない。万全の警戒態勢でいつでも逃げられるように…。

「あ、シンタローさん」

「何っ!?」

―まさかの後ろから入ってきた…だと…!?

玄関口を振り返る。緑のつなぎにフードを被った男がいた。黒髪を分ける黄色のピン、それから金色に光る丸い瞳が印象的な。

早速逃げ場を塞がれた。これは大ピンチだ。

「…どこに」

行ってたんだ、とこっそり冷や汗をかきながら、余裕ぶって睨みつける。
セトが唇を歪めた。取り繕ってもばればれですよ、と。

「ちょっと外に、お客さんが」

「客?こんなところに」

「あー…。いやまあ、客というか」

言葉を濁すセトが近付いてくる。やばい、逃げられない。

ご主人、とエネがイヤホン越しに呼びかけてくる。大丈夫、大丈夫だから。答えてぷつりと携帯の電源を落とす。
いい子、とでも言いそうな満足顔でセトが微笑んだ。お前の方が年下だろうが。腹が立つな、偉そうに。

「…何だよ」

「嫌われたもんっすね」

見上げて睨んで、唸るように牽制すれば肩を竦められた。

オレのこと嫌いなのはお前だろうが、とは言い返すまでもなく向こうに伝わっているはずだ。だから返事の代わりにふいと目を逸らした。

セト。顔が良く、性格も良く、学は無くても頭はそれなりに回る、逞しい働き者。引きこもりの童貞ニートには妬ましいハイスペックさだ。
例えば女を取っ替え引っ替えしていると聞いても、あいつなら仕方ないなと納得してしまうくらい。

ところが、初対面の時はお人好しの爽やか青年に見えたこいつにも、嫌いな相手はいるようで。まあ、オレのことだけど。

最初は普通に仲良くしていたのだ。遊園地に行った時には体調を崩したオレを介抱してくれたりして。

そんなこいつが突然ころりとオレへの態度を変えたのは出会ってから一ヶ月後、今から二週間ほど前にアジトで二人きりになった時だった。

ソファでうたた寝していた時についあいつの名を呼んでしまった、らしい。オレが赤ジャージを愛用する理由である―――あいつ。

その名前に妙に反応したセトは、オレを乱暴に叩き起こすと、力を使って無理矢理心を覗き込んだ。

ああ、最低な出来事だった。見つめるだけですむ厄介な読心術に抗うすべもなく、頭の中身を踏み荒らされて。
今でも思い出すだけで体が震える。あれ以来悪夢にうなされることが増えた。

多分だけど。オレとあいつの思い出を、全部読まれたんだと思う。

セトはアヤノ姉さん、と呟いて、それからしばらくぎゅっと眉を寄せて考え込んでいた。
その時のオレは、あいつと知り合いなのか、と詰問する気力はとうに尽きていて、その後あいつとセトがどんな関係にあったのか聞いたが、一向に答えは返って来ない。結局謎のままだ。

それ以来、セトのオレへの態度が反転した。それも、二人きり…もしくはエネと三人きりの時だけ。
多分その理由は十中八九、あいつのことだ。セトがあいつを大切に思っていたのなら、オレが見殺しにしたと知って怒るのも道理だ。

嫌われるのは慣れている。独りにも。むしろ縛られるものが無い分、気が楽でもある。もう死んでしまったあいつ以外の人間なんて、正直どいつもこいつもオレにとってはどうだって良い。勝手にやってろって感じだ。

しかし、セトはこうして二人きりになる時があれば、必ずオレに絡んで噛み付いてくる。嫌いならいっそ無視して欲しい。煩わしいし、実害も出るから。
皆でいる時はその時で、猫を被っているからオレにも普通に接してくるし。

突然ジャージの襟が掴まれる。赤色、と呟いた。

どうやらオレが赤ジャージを常に着ているのが気に食わないらしい。これも二週間前に分かったことだ。

「…離せよ」

睨みつければセトはふうと息をついて、半ば突き飛ばすように手を離した。よろめいて壁に背中を打ち付ける。

手から携帯が落っこちて床にぶつかる。がしゃん、と嫌な音が鳴った。

傷が入ってたらどうしようか。エネが中で怪我してたりして、まさかそれは有り得ないけど。お前のせいだ、セト、とこれみよがしに顔をしかめて膝を折る。


―多分、襟を掴まれていた緊張から解放されて油断したんだと思う。


目の前にいるのがメカクシ団の団員の中で一番厄介な奴だってことは、頭の中にちゃんと置いてあったはずなのに。

左手を伸ばして携帯に触れようとする。

その時、音が聞こえるくらい大げさに、セトが息を呑んだ。え、とそちらを見上げる。

目が大きく見開かれて、ある一点を凝視している。
その視線の先にオレも目を向けて、しまった、と思った。

何年も愛用しているジャージはオレの体の成長についていけずに相対的に縮んでしまって、袖は腕を最大限に伸ばせば、ずり、と上に引っ張られて、長袖というより七分袖くらいの見た目になる。

携帯を拾おうとした今のオレの腕がまさにそんな感じで。

その下の手首があらわになっていた。真っ白な包帯を巻いた手首が。

「シンタローさん…。それ…」

「…っ、何でもねえ。ちょっと怪我しただけだ」

「へえ?」

「…、あ」

セトがすうっと瞳を細くする。

瞳にじわりと赤い色が滲みかける。かたり、と体が震えた。

「や…っ、やめろ!」

無理矢理心を覗き込まれた最悪の記憶が蘇って、思わず制止の声を上げていた。
次の瞬間、何事も無かったかのように金色に戻る瞳。

「シンタローさん、俺、嘘が嫌いって言ったことあるっすよね」

「…ああ、そんなことも、あったかな…」

ふ、とセトが微笑む。優しさの欠片もない剣呑な笑顔。

―見せて、その下。

腕を見つめてそう囁かれて、観念してぐっと瞳を一度閉じ、唇を噛み締めた。

ここで誤魔化したって力を使われてしまっては同じことだ。
促されるままにするりと左手首の包帯を解く。

まだ血が滲んでいるような生々しい傷が、幾筋もひかれている。小ぶりの刃物でつけられた傷。
オレは僅かに目を逸らす。もう二年も前からの習慣だというのに、我ながら慣れない。

セトを見上げると、真顔で食い入るように傷を見つめている。
こいつのこういう顔は苦手だ。何を考えているかさっぱり分からなくなる。

「…誰にも、言わないでくれないか…。頼む」

傷を隠すように手で覆い、懇願する。

このことを知っているのはオレとエネだけだ。もし母さんや、モモに知れたら。メカクシ団の奴らに知れたら。
きっと皆お人好しだから、何かしてくれようと頭を抱えるだろう。それは避けたい。

これは誰にも踏み込んで欲しくない領域だから。好意から手を差し伸べられたとしても、いらない世話だ。

しかしよりにもよってセトにばれてしまうなんて。

オレを嫌っているこいつだ、オレの嫌がることなら喜んでやるだろう。
猫を被って、天然ぶって、うっかりを装って、あいつらにばらしてしまうに違いない。

「いいっすよ」

「…え…」

だから、まさかこんな返事が返ってくるとは思わなかった。

セトがにっこりと笑う。いつもの爽やかスマイル、なのだが。


―なんだか、嫌な予感がした。


「ただし、こっちにも条件があるっす」

「…何だ、言ってみろ」

ほら来た。オレは身構える。


だがしかし。


「俺と付き合って下さい」


耳に届いたのは予想外の言葉で。


「………は?」


オレはぽかんと大口を開けてセトを見つめた。






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