これの続き
※セトのターン
―意味が分からない。
前を歩くカノの顔を斜め後ろから見つめる。いつもの薄笑い。何事も無かったかのように平然としている。
さっきオレの部屋で起こった出来事が、頭の中でぐるぐるリピート再生していた。
窓の下を覗くとストーカーがいて、それに驚いていると今度はカノがオレにキスをして…。
突然のカノの行動にオレがしたことと言えば、茫然として立ち尽くすことだけだった。一発くらい引っぱたいてやればよかった。不覚。
それでもって、今。
「…なあカノ」
「何かな?」
「なんでオレたち、手繋いでるわけ?」
あの後、カノは突然オレの手をひっつかんで家を飛び出した。エネが「ご主人!ご主人!」と騒いでいたのも無視で。
外にはストーカーの姿は無くなっていた。逃げ足が早いとモモが言っていたが本当だったようだ。
カノは足早に歩く。
周囲の視線をかなり集めている気がする。恥ずかしい。何が恥ずかしいって、この歳で同い年くらいの男と手を繋いでいるのが恥ずかしい。そして意味が分からない。
「ほら、まだストーカーが見てるかもしれないじゃない?なんせストーカーっていったらつけ回すのがお家芸だからね」
お家芸って言い方はどうかと思うんだが。
「ストーカーが…?」
「だから、もし君に恋人がいるって知ったら諦めるかもしれないでしょ。フェイクだよ、フェイク」
「フェイク…」
最初は何を言っているんだと困惑したが、だんだんと理解出来た。それと同時にふつふつと怒りが湧く。
「…じゃあなんだ。オレは嘘をつくためにお前と手を繋いで町中を歩くっていう辱めを受けてんのか…」
いや、それだけじゃない。
事実を再確認した結果、それが疑いようもないことだと分かって涙目になる。
「大体っ、オレのファーストキスどうしてくれるわけ!?」
「ああ、やっぱり初めてだったんだ。うーんと、ご馳走様」
「ふざけんな!そんな台詞で済むと思うなよ!」
「大丈夫、僕も初めて(笑)だから」
「聞こえてんぞ!(笑)聞こえてんぞ!」
カノが言っても全く信じる気にならない。絶対初めてじゃないだろ。
初めてを男に奪われるなんて、これからのオレの人生お先真っ暗な予感だ。
項垂れているとカノが吹き出した。
「ははは、超うける…!シンタロー君ってどんだけ不幸なの…、ぷっ、あははっ…!」
「お前が言うな!」
これ以上に場にそぐう言葉があるだろうか。
■□■
カノに連れられてやって来たのはメカクシ団のアジトだった。
がちゃり、ドアを押し開けると視線が一斉にこちらに集まる。キド、マリー、セト………え?
「セト!?お前何でアジトにいんの!?」
「それが、彷徨ってたらいつの間にかここにたどり着いちゃって…」
セトはそう言うと、爽やかな笑い声を上げる。
カノが流石に呆れたという声音で言う。
「恐るべき帰巣本能だね…」
「マジで野生動物レベルなの?あいつ」
猪か何かか、と思ったのはあながち間違いでも無かったのかもしれない。
「それよりシンタローさんは何でここにいるんすか?俺言ったっすよね、外出しないようにって」
セトが目を丸くしてこちらを見る。怒るというよりは驚いているようだ。
「いや、それが色々とあって…」
カノを横目で伺う。
どこまで言ったらいいものか。…どこまで言ったらオレの男としてのプライドは守られるんだろう。
「実はシンタロー君とキスしてストーカーに見せつけて、ついでに手を繋いでアジトに来たんだ」
「カノお前何言っちゃってくれてんの!?」
「…そんな…!」
キドがかっと目を見開いた。
「お前たち、いつの間にそんな仲に!すまない、団長だというのに気付かなかった…。いや、俺は別に男同士だとかそういうことを気にするような人間じゃない。大事なのはお互いの気持ちだからな」
「おい待て、早まるな!」
「これから甘酸っぱい三角関係が始まるんだね!?カノと真実の愛を貫くのか、それともセトと愛の逃避行に旅立つのか…。夢が広がるね!」
「この数秒でどこまで想像してんの!?」
マリーが爛々と目を輝かせている。こっち来んな。
にやつくばかりで役に立たないカノの足を踏みつけ、どう説明したものかと考えあぐねていると、セトが口を開いた。
「つまりストーカーが見ている前で恋人のふりをして追い払おうとしたわけっすか」
「セトが一番理解力が高い…だと…!」
「シンタロー君、そこで驚くの失礼じゃない?」
「話しかけるな変態」
「態度が辛辣になってる!」
「当たり前だ。余計な事をべらべら喋りやがって」
「ごめんね、うっかり」
間違いなくわざとだろう。
嘘にしか見えない笑顔で謝りながら抱きついてくるカノを押し返していると、セトが何事か呟く。
「…ずるい…」
「え?何か言ったか、セト」
「カノばっかりずるいっす!俺だって…俺だって…」
セトは唇をぎゅっと噛み締める。握り締めた拳が震えている。どうやら怒っているようだ。こいつのそういう顔は初めて見る。
しかし、理由がまるで分からない。ずるいって何のことだよ。
「俺だってシンタローさんと恋人ごっこしたかったのに!」
「そこなの!?予想外だよ!」
言い捨てるとセトは背を向けて駆け出し、自分の部屋に飛び込んだ。
母親と喧嘩した小学生のような行動だ。
「えーと…」
何だろう、この展開は。
キドの視線を強く感じる。目つきの鋭さがいつもより増している。
お前のせいだろう、何とかしろ、とでも言いたげだ。
「オレが悪者みたいな空気になってねえ?どういうことなの?誰か説明してくれないか」
「ねえシンタロー。鈍感受けもいいけど、いい加減演技じゃないかって疑うよ?」
「…。それだと文法上『受け』は余計だと思うんだ、マリー」
マリーの言うことにいちいちつっこんでいたらきりが無い。
彼女はいつからこんなに壊れてしまったんだ。
「よし、じゃあ僕が様子を…」
カノが生き生きと名乗り出る。その腕をキドが掴んだ。ぎりり、と見るも痛そうな力で握り締める。
偶然にも彼女とオレの台詞がかぶった。
「「余計な動きを見せると殺すぞ」」
「シンタロー君まで!?」
「悪巧みをしているのが分かりやすいんだよ、お前は」
キドの言う通りだ。カノは『おもちゃ発見!』みたいな顔をしている。
ふてぶてしい奴め。そもそもカノが話さなければ、恋人ごっこだのとセトに知れることも無かったのに。
「シンタロー」
「何だ?」
キドはカノの腕を握った方とは逆の拳をぐっと握り、引きつった笑顔で言った。
「俺は最初から演技の話だって分かっていたぞ」
「セトの様子見てくるわ」
『本当だぞ!本当だからな!』と騒ぐキドのことは放置でセトの部屋のドアを開けた。
■□■
床の上にしゃがみこんだセトがじっとオレを見つめる。まるで捨てられた子犬のようだ。
恨めしげな視線に、一つ溜息をつく。
「ガキみたいなことしてんじゃねえよ」
「だってカノが…シンタローさんと」
「男と恋人ごっこして楽しいのか、お前ら…」
白けた目で見つめる。
セトががばっと立ち上がった。その勢いにびっくりしてたじろぐ。
「シンタローさんは分かってないんすよ!ああもう、やっぱりカノと二人きりにしなきゃ良かったっす!俺今からバイト辞めてくるんで!じゃっ!」
「今更辞めても意味無いから!落ち着け!深呼吸だ、セト」
部屋を出ていこうとしたセトの腕を慌てて掴む。本当、無駄に機動力だけはある奴だ。
深く息を吸って、吐いて。吸って、吐いて。
「どうだ、落ち着いたか?」
「ひとまずカノを殺すのが最善策だと思うっす」
「よし、お前はもうこの部屋から出るな」
物騒なことを言うんじゃない。
「大体、シンタローさんはどう思ったんすか。本当にカノとしたんすよね。手繋ぐのと、あと…キスとか…」
探るような目でセトは問いかける。
オレはちょっと首を傾げた。
セトの聞きたいことは理解出来る。だからこそ不思議だった。
「それがさ。意外なことに『嫌だ』とか『気持ち悪い』とか思わなかったんだよな」
驚きで頭が真っ白になっていたというのもあるが、大分落ち着いてきた今思い出してもそうだ。
カノは紛れもなく男で、オレも男だ。お互い、恋人同士のような行為をする相手では当然無い。
それなのにカノがしたことに対する嫌悪感は全く湧いてこなかった。男だから気持ち悪いとは全く思っていない。
いつもセトとカノの二人にべたべたくっつかれて、スキンシップに慣れていたせいだろうか。フェイクと知って軽い気持ちで受け止められているのかもしれない。
自分の気持ちだというのに、自分でもはっきり分からなくなっている。
「ファーストキスが持って行かれたのは悪夢だったけどな…」
―大丈夫、僕も初めて(笑)だから。
そう言ったカノの憎らしい笑顔を思い出す。
やべ、オレもあいつのこと殺したくなってきた。
「…とにかく、カノのしたことはオレの為の演技だったらしいから、あいつを責めるなよ。ドロップキックもバックドロップもドラゴンスクリューも無しでよろしく」
冗談で言っていたのだろうが、一応釘を刺しておく。
「あの」
「どうした。…?セト?」
真剣な表情に驚く。何だろう、ちょっと恐い。
こっちに近付いてくるので思わず後退る。背中がドアにぶつかった。セトの大きな体が視界を覆い隠す。
「それじゃ困るんすよ」
「は?」
「単にシンタローさんが優しいだけならいいんすけど…。でも、もし無意識にカノのことを…いや、シンタローさんに限って無いっすよね」
「よく分からねえけど、馬鹿にされてるのは分かったぞ…」
「馬鹿になんてしてないっすよ。カノも甘いっすね。演技なんて苦しい言い訳して。こうして俺とシンタローさんを二人きりにして。一つ良いっすか、シンタローさん」
大人びた低い声音が耳朶を打つ。ぽかんと口を開けてセトを見上げた。本当にこれがさっきまで子供のように騒いでいた奴だろうか。
「いつまでも無防備でいない方がいいっす。俺やカノの為にも、自分の為にも」
「…」
何か言い返そうとして結局言えなかった。
それより早くセトが動いて唇を塞がれたから。
「…っ…!」
数秒を置いてセトを突き飛ばす。カノの時よりは早く動くことが出来た。学習と言えるのか、これは。
「お、お前まで何しやがる!」
「これは演技じゃないっすよ」
セトは全く答えになっていない言葉を返す。それが苛立ちに繋がった。
「演技じゃねえ!?だったら何なんだよ、意味分かんねえよ!」
今の行動だけじゃなく、さっき言っていたことも全く理解できない。何の意図があってこんなことをするのか。
「シンタローさん」
セトが瞳を歪める。
―何だよ、その顔。何でそんな悲しそうな顔をするんだ。何でオレがいたたまれない気持ちになるんだ。
「…オレ、帰るから」
踵を返す。こんな空気になろうとは思いもしなかった。
セトが動く気配は無かった。部屋を出てドアを後ろ手に閉める。直ぐにカノが歩み寄ってきた。
「シンタロー君、何か叫び声が聞こえたけど大丈夫?いやあ、助けに行こうと思ったんだけどね。キドが…シンタロー君?」
オレが暗い顔をしているのに気付き言葉を止める。こいつの顔も今は見たくない。
短く一言、吐き捨てるように言った。
「帰る」
「セトが何かしたの?」
「話したくねえ」
何かを悟ったらしいカノは、オレの顔をじっと見つめた後オレとすれ違うようにしてセトの部屋に入っていった。
一瞬視界に入った横顔から笑顔が消えていた気がしたが、そんなことどうでもいい。
オレたちのやり取りをじっと見守っていたキドが声を上げた。
「シンタロー」
「悪い。一人にしてくれ」
キドは気まずそうに頷く。物分かりが良くてありがたい。
流石に空気を読んだのか、マリーも黙っていた。
■□■
大通りを自分でも分かるくらい不機嫌な顔で歩く。来る時は騒がしかったのに帰り道はやけに静かだ。
昼下がり、休みを満喫する高校生くらいの女の子達や疲れた顔のサラリーマンたちが行き交っている。街を歩く人は多いが不思議と静かに感じられる。どれだけ騒がしかったんだ、カノの奴。
いや、それよりセトのことだ。
オレにキスをして演技じゃないと言った。つまりそれは…恋愛感情…?
ふっと浮かんだその考えを慌てて否定する。
いやまさか。あいつは世の大抵の女は落とせそうなイケメンだぞ。性格も良くて働き者の優良物件だぞ。
百万歩くらい譲って男同士というのはスルーしても、あのセトがオレみたいなそこらへんの雑草レベル(以下かもしれない)の男に恋をするはずがない。
―でもあの時の悲しそうな顔は。
キスされたことについては、カノの時同様嫌悪感は無かった。
怒ったのは恥ずかしさや不可解さが渦巻いて生まれた混乱を、セトにぶつけてしまっただけだ。
「…って。何でオレが反省してんだよ…」
今日は色々ありすぎて疲れた。
それもこれも、…何のせいだったっけ。
―キドがあの二人を護衛につけるように言ったから。
―そもそもそれは。
「あ…やべ」
はっと頭に閃くものがあったが、時既に遅しとはこのことだろう。
不意に景色が変わった。脇の狭い路地に連れ込まれたのだと次の瞬間に理解する。口を布で抑えられた。
―これってドラマとかでよくある…。
緊急事態に限って人はそんな呑気なことを考えるものだ。
―駄目だ。
抵抗する意識が溶けていく。
聞いたこともない男の気持ち悪い笑い声を最後に、オレの意識は途絶えた。
※続きます。