今私は非常に困っている。



現在進行形で両手は海堂くんの左手一本にねじ伏せられており、さらに太もも付近に馬乗りされているため両足に力が入ることはない。
押し倒された私は海堂くんの高揚した、だけど少しだけ泣きそうにも見える表情に口で抵抗することも叶わなくなっていた。
…もしかするとこれは、恋人同士になれば自然と経験する、そういう雰囲気というようなものなのだろうか。







可愛いあの子を泣かせ隊
〜海堂薫くんの場合〜









「チョコ…ですか」


放課後、今から部活へ向かうのであろう海堂くんを見つけた私は頑張って綺麗にラッピングしたその包みを彼に差し出した。
2月14日に付き合っている彼氏に彼女が渡すものといえば限られてくるもので、もちろんその中身も例にもれず、前日徹夜で作ってきたチョコレートだ。


「うんそうなの、今日バレンタインでしょう?あんまり自信はないけれど、自分なりには一生懸命作ったつもり」
「も、もしかして、その、手作り…ですか?」
「うん、ごめんね?市販のものより不恰好で」
「そっそんなこと無いッス!!!おれ、こういうの貰うの苗字先輩が初めてなもんで、その、気の利いたこと言えないッスけど、凄いうれしいです」


言い方が卑怯だったかもしれないけれど、顔を真っ赤にして否定してくれた海堂くんを見て本当に喜んでくれているのが伝わり、胸があったかくなる。
眠い目をこすって作った甲斐があるってものだ。
無事渡せたことに安心するが、心配事はあとからどんどんあふれ出てくるものである。


「海堂くん、お願い。ちょっと味見してみてくれない?私も何回も味見したけれど海堂くんの口に合うかどうか心配なの」
「や、そんな!俺は苗字先輩がくれたものならなんだってうれしいし、不味いなんてことが万が一にあったとしても全部食います」
「それが嫌なの!私が作った不味いものを海堂くんに食べさせるなんて、それこそ私が忍びなくなるじゃない」


とりあえず一口でも口にしてほしい。
海堂くんの性格からして口が裂けても不味いとは言わないだろうけれど、所詮は自分がその姿を見て安堵したかっただけなのかもしれない。

たった一口食べてくれればすぐに食い下がる予定だった。
ただでさえ大事な部活の時間を削っているのは自覚していたし、少しだけ意地を張っていただけなのだ。
だから、次に続いた海堂くんの言葉は予想外だった。


「…実は今日、親たち親戚の家に揃って出かけてるんスけど、…あー、迷惑じゃなかったら、一緒に食べませんか?その、苗字先輩に貰ったものを食べてもらうっつーのもなんか失礼な気がするんスけど」
「えっ…!おっお邪魔していいの?だ、だだだって、迷惑じゃないの?」


予期せぬお誘いに思わずどもってしまうが素直にうれしかった、それに海堂くんの耳まで真っ赤にした顔を見たらつられてこちらまで顔に熱が集まってしまう。


「…ッス。つか、誘ったの俺ですよ。苗字先輩が迷惑じゃなければ」


バツが悪そうに言う海堂くんに迷惑なんてとんでもないと急いで訂正した。
もちろんお邪魔させていただきますと。
それを聞いた海堂くんは安心したように笑った。
それから部活が終わるまで待ち、一緒に海堂くんの家へ帰宅した。
たしかにおうちには誰もいる様子はなく、海堂くんが暖かい飲みものを入れてきてくれて、先ほどチョコレートを食べてくれたまではよかったのだ。


おいしいッスと言う海堂くんの言葉を聞けてようやく一安心したのもつかの間、急に視界が反転する。
押し倒されたと気が付いたのは海堂くんに両手を拘束された後だった。








「苗字先輩・・・」


海堂くんの、甘えるような吐息混じりの低い声が上から降ってきたと同時に、反動でめくれあがった制服の隙間から侵入させた指が腰の辺りをいやらしく撫でた。冷たい指先が触れ思わず「ひっ」と喉の奥から情けない声が漏れる。
そんな反応を見つつも海堂くんは私の腰を撫でる動きを止めずに、耳元で囁いた。


「・・・・・・いい、ですか…?」


いいって何が?
何てこんな状況で言えるほど鈍感でもない私は、この言葉の意味が直ぐに分かってしまった。
お、おそらく・・・その・・・あれだよね?
えっちょっといきなりすぎるよ海堂くん!私の記憶では今日は下着も上下バラバラで、それどころか無駄毛のお手入れだって気を抜いてるし、恐ろしいことにクリスマスやお正月などのイベント続きで蓄えたお肉も絞ってすらいない。
女の子には精神的にも身体的にも準備が必要なんだと察してほしかった。

そもそも誰も家にいないことを知らされた時点で感づくべきだったのかもしれないが、彼とは付き合い始めてだいぶ経とうとしているが、手を繋ぐ行為ですら未だに顔を赤くする純情ボーイなのだ。
だから抱き合ったりキスしたりなどの段階をいまだに踏んでいない私たちには、そういう行為はまだまだ先だと自然に思っていた。
私だっていずれは海堂くんとそんな関係になるんだろうなとは思っていた。
けれど、顔を真っ赤にしながら汗ばんだ大きな手と手をつないでたまに一緒に帰る事が私はとても好きだったし、私たちは焦らなくてもいいんだと油断していた部分もある。
だから今、こんな展開が来るなんて予想すらしていなかった。


海堂くんの事を考えると無神経に断ることもできないし、年上として何とか傷つけずに断る方法を必死に考えようと「うぅ」やら「あぁ」などと意味のない言葉を漏らしていると海堂くんが突然首筋に顔を埋めた。
びっくりして何もリアクションを返すこともできずにいると、生ぬるいものがゆっくりと私の肌を這う感覚に思わず鳥肌が立つ。
もしかしなくても、海堂くんに舐められた感触だ。
思わず身をよじるが、海堂くんが私の体をがっしりと固定しているため逃げることはかなわない。


「かっ海堂くん!?ちょ、やめよう?ね?」
「…苗字先輩、かわいい」


初めて諭すような抵抗の言葉を口にしたけれどそれは無意味だったようで海堂くんは聞く耳を持たない。
それどころか執拗に首や鎖骨付近を舐めてくる。
いやらしい音と海堂くんの汗のにおいが混ざり合って私まで変になってしまいそうだ。


「か、海堂っく…ん、怒るよ?ね?どいて?」
「苗字先輩…」
「ふぁっ」


胸をもまれた、海堂くんに。
制服越しとはいえ、自分で触るのとはわけが違く、海堂くんに触れられた瞬間思わず自分の声かと疑いたくなるような声が出て、恥ずかしくて死にたくなった。



「すげ…先輩の胸、やわらけ」
「ちょ、やっ、はっん」


ああもう死にたい死にたい死にたい。穴があるなら埋まりたいとはこのことだろう。
辛うじて理性を必死に保とうとするけれど、完全に流されている。
このまま海堂くんのペースに飲み込まれてしまえば後から必ず後悔する気がした。
どうすればこの変な海堂くんを止められるんだ、そう必死に考えていた私はある匂いに気が付いた。
…これは、アルコール?

そういえば夢中に私の胸を触る彼の顔、よく赤面する彼だがいつもより変に赤くないか?


「か、海堂くん…?」


私の問いかけに海堂くんは胸を揉む手を止め、据わったような目付きだけこちらに向けた。
やっぱり変だ、いつもの海堂くんと違う。


「もしかして君、酔ってる?」
「…は?酔ってなんかいまひぇ…ん」


瞬間、彼は糸が切れた人形のように私に覆いかぶさってくる。
思わず「ぐぇっ」と蛙が潰れたようななんとも可愛くない声が出るが、海堂くんは構うことなく、私の上で心地いい寝息を立てていた。
思わず呆然とする私だったけれど、力の抜けた海堂くんを自分の上から退けることは簡単で、頭などをぶつけないようそっと自分の上から転がした。
そして純情で誠実な彼がなぜあんな行動に走ったのか、その原因と思い当たるものを拾い上げる。


「ボンボンショコラ…お酒弱かったのね」


アルコール分解しにくい体質の人をいわゆる下戸というけれど、どうやら私の彼はそれに当てはまるらしい。
海堂くんは何だか甘いものが苦手そうなイメージもあって、あえてお酒入りのチョコレートを選択してしまった過去の私を叱責したい気持ちにかられた。余計なことをするな、と。
いまだに真っ赤な顔のまま寝息を立てる恋人の姿を見て小さく謝罪の言葉を口にしながら私は、来年は絶対にアルコールを使わないチョコレートにしようと心に誓った。

おせっかい過ぎるかとは思ったけれど、そんな自分が渡したチョコで酔っ払ったまま起きない中学2年生の男の子をそのまま家に残して帰るというのもなんだかすごく罪悪感を感じて、家には優しい友達に口裏を合わせてもらい友達の家に泊まると連絡して、そのまま海堂くんの家でお世話になることにした。
海堂くんをカーペットの上から部屋のベッドまで連れて行ってあげるのは私には到底無理だとすぐ理解できたので、近くの椅子に掛けてあった厚手のブランケットを勝手に拝借して彼にかけてあげる。
幼い顔で眠る海堂くんを見て思わず顔がゆるんだけれど、自分の鎖骨に赤い印がついていることをしっかり目で捉えてしまい、必死に視界をそらした。

再び熱くなった顔をごまかすようにどこで寝ようか考え、いっそのこと起きていようかと考えたけれど次の日も学校はあるということを思い出し、私は近くのソファーにもたれかかったまま、すぐ寝てしまったようだった。



そして朝、目を開けてすぐ飛び込んできたのは海堂くんが目の前で正座する姿だった。
私は思わず「うおっ!」と何とも女らしく無い声で叫んでしまったが、海堂くんはうなだれた頭を上げることなく、表情を確認することはかなわない。


「何?何?海堂くんなんで正座してるの?」
「………い……っせ…」
「ん?」
「す、…いませ……うっ…」


顔を上げた海堂くんの顔は涙でぐしゃぐしゃだった。
昨日の据わった目をした海堂くんとは到底結びつかないほどに、それはまあ目からぼろぼろと綺麗な涙があふれてた。


「かっ海堂くん?なんで泣いてるの?」


なるべく穏やかな声色を意識しながら話しかける。
それでもしゃくりあげて中々うまく喋れない彼の背中を気長に撫でてあげていると、断片的ではあるが彼の言いたいことが何となく理解できた。
つまり、彼は昨日私にした行為を覚えているらしい。
なんということだ、私はてっきりお酒の勢いってものは人の記憶に残らないと思っていたのだけれど、どうやら彼は完全に覚えているタイプだったようだ。泣きながら必死に謝罪の言葉を繰り返す海堂くんに、押し倒されたとは言え原因のチョコレートを食べさせてしまったのは私だ。
つまり自業自得、なのだ。
自分より年下の、しかも人の前で泣く事を絶対に嫌がりそうな彼を私は今泣かせてしまったことで物凄い罪悪感に襲われた。


「あー…うん、海堂くん?海堂くんは私の事傷付けたと勘違いしてるみたいだけど違うよ?」


海堂くんをちゃんと見ながら、必死に言葉を選んでいく。
すると彼は私の発言にはいまだに涙を滲ませている目を見開いた。


「そりゃあちょっとは驚いたけど、相手が海堂くんだもん。私だっていずれは海堂くんとそんな関係になりたいと思ってるし、海堂くんじゃなきゃ嫌だって、思うよ」


それに、海堂くんは正気ではなかったとはいえ、私の事を求めてくれたのは正直嬉しかった、なんて恥ずかしい事も今は素直に口に出すことができた。


「…っせん、ぱ…い」


もう鼻水やら涙でかわいそうな事なってる海堂くんの顔をタオルで拭ってやる。
泣くのをやめた海堂くんはこっちを気まずそうに、だけどまっすぐみていた。

「おれは、苗字先輩の事が好きで好きでたまらなくて、昨日やったことも、本当は先輩にしたいと思ってるんです」
「…うん」
「先輩の事、自分のものにしたいって独占欲が常に心の中にあるんです。でも一度手を出したら止まらなくなりそうで、いつも我慢しようって思ってました。苗字先輩の事が好きだから、大事にしたいんです。本当に勝手な意見だと自分でも思うんスけど、まだ、先に進みたくないんです」
「いいんじゃないかな?」
「…へっ?」


わかりやすくも、明らかに動揺した海堂くんに、私は笑って言う。


「そのままの海堂くんが、私は好きだよ」


ゆっくり海堂くんの手を取る。
相変わらずその手は大きくて、豆の潰れた後だらけでとても痛々しい。
でも、とてもあったかい、大好きな手だ。


「昨日の海堂くんも、今の海堂くんも、同じ海堂くんだもん」


自分の指と海堂くんの指を絡ませると海堂くんはびくっとしたが、嫌がる素振りは見せない。
けれどその手はいつものようにどんどん汗ばんでいく。
その様子がなんだかとてもかわいらしく思えてしまい、思わず手をぎゅっと握ってしまう。


「焦らないで、ゆっくり二人で進んで行くのもいいと思わない?」


すると海堂くんは困ったように笑って、そして戸惑いながらも私を抱きしめた。
壊れ物を扱うかのように優しく抱きしめられた私は、ドクドクとどちらともつかないうるさい心臓の音をごまかすように、彼の背中に手を伸ばしたのだった。













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