香科と恋人になってもうすぐ一年。
真っ直ぐなことをしていると思うことはまだ出来ないが、香科からそれを感じることは微塵ない。ただ、そんなことよりもっと僕の心を暗く後ろめたい気持ちにさせたのは、外側からくるのではなく寧ろ内の、僕自身の中にひっそりと芽吹いていたものだった。
僕はいつだって見返りを求めない一途な恋慕を与えてくれる彼に、ただの一度も「愛している」と伝えたことがなかったのだ。


真夜中ささめごと


「詠」
聞き慣れた声が頭の上から降ってきたので、読んでいた本から顔を離しその声の主を見上げれば、怪訝そうな表情を浮かべる彼がそこにいた。
よみ、と言う名の通り僕は暇さえあれば本ばかり読んでいるような地味な高校生で、彼──香科はそんな僕とはまるで正反対の明るい今時の高校生だった。
「いつまで読んでんだよ。早く帰ろうぜ」
香科は半ば呆れた様子で言うと、机に掛けていた僕の鞄を持ち上げ、そのまま歩き出してしまった。
「ちょっと待って!」
慌てた為に読みかけのページへ栞を挟むのに戸惑っていると、半開きになったドアの向こうで立ち止まった香科がこちらを振り向いて「待ってるよ」とにっこり笑った。
その笑顔は屈託のない純粋な優しさから表れたもので、女の子なら誰もが欲しがるものなのだろう。
実際に香科は女子からそれなりに人気がある。本人は勘違いだと笑うが、普段隣にいて女子からの羨望やそれ以外の刺さるような眼差しを感じることは良くあった。

「今度はどこ遊びに行く?」
人通りの少ない道を、肩を並べて歩きながら香科は聞いた。
敢えてデートと言わないのは、僕が嫌がることを知っていたからである。無論、恥ずかしいという今どきの高校生にしては些か情けない理由もあるのだが、行為そのものを直接的な言葉にしてしまうことに漠然とした恐怖があった。
溢れんばかりの想いを受けとめきれる自信も根拠もまるでないのだ。
「どこでも良いよ」
全く狡い奴。当たり障りのない返事をしながら心の中で自分を罵る。だからその時の香科がどんな顔でその言葉を聞いていたか、気付ける筈もなかった。

「俺、詠が好きだよ」
僕が家に入る直前、香科がそう呟いた。
彼の目はしっかりと僕を見ており、何か強い決意を秘めたような瞳に思わず視線を逸らしたが、香科は逃してくれなかった。
「……詠は?」
一息吐いて、香科は静かに聞いた。
その瞬間、世界中に二人だけになってしまったような気がして、「恐れていたことが現実になった」そう酷く客観的な感想が浮かんだ。だがどんなに二人取り残されたとしてもこの世界が現実であるのは変わらない事実で、どこにも逃げ場はない。
「僕も好きだ」と、そう言えば良いだけなのに、恐ろしく渇いた喉は酸素と二酸化炭素の交換で精一杯だった。
「詠!」
沈黙に耐え兼ねた香科の叫びに肩が震える。その小さな動きは言葉よりも精細に、何かを述べたらしい。
「ごめん……」
それっきり香科は俯いたまま、立ち尽くす僕に背中を向ける。その後ろ姿を見ても尚、動くこともあまつさえ息をすることも出来なかった。

部屋に入ると途端に全身の力が抜け、そのまま力なくベッドに横たわると、きゅっと瞳を閉じる。
意気地無し、狡猾、偽善者。
様々な言葉が頭を巡った。
偽善者、果たしてそうだ。香科が僕を好きだと言った時、僕は彼のその望みを叶えてあげたいと思った。それは愛しい香科の為だと信じていたが、本当にそうだったのか、ただ自分の小さな自尊心を充たすために彼の純情を使っていたのではないか。
そう思うと、今まで香科と少しずつ少しずつ積み重ねた日々も何もかもが砕けて消えてしまう気がした。
「嘘だ……」
うつ伏せで枕に顔を押し付けながら、返事のない呟きをもらした。

──詠が好きなんだ
夢の中で、香科は恥ずかしそうに笑った。
一年前のあの日、そう言った香科は今まで出会った誰よりも僕の目の前で生きている人間だった。頷くと嬉しそうに笑った顔は、今でも思い出すと自然に頬が弛む。
その無意識の内に、僕のくだらない自尊心なんて入り込む隙なんてなかった。
それは皆の言う「好き」と何が違うのだろう。いつだって香科は素直な気持ちをくれた。それを僕は「そんな風に」感じた。
決して偽りでない僕の心は、確かにそこにあったのだ。

「かしな……香科!」
勢い良く飛び起きると窓ガラスから射し込む灯りを頼りに携帯を探し出した。
時刻はもう深夜の一時を過ぎていたが、そんなことは関係ない。
たった今分かったことを言わなくては、誠実な香科の心に、素直にならなくては。慣れた手付き(それでも指は震えていた)で何度も見た数字を押していく。
コール音が心音で掻き消される。
──詠?
数回の後、香科の声がした。
真夜中なのにはっきりとした声音。
もしかしたら香科も起きていたのかもしれない。淡い期待を胸に漸く発した僕の声は少し震えていた。
「あ、のさ、」
──何だよ?
電話の向こうの彼はどことなく不機嫌そうだった。いつもなら僕の言葉を引き出そうと様々な話を投げ掛けてくれるのだが、香科はずっと黙ったままだった。彼は待っているのだ。現に彼は今までずっと、何も言わない僕を待っていてくれた。だから今度は僕が、彼に投げかけなくてはいけない。深呼吸をしてから、僕は窓の方を向いた。

「月が、綺麗だよ」

──え?
拍子抜けした香科の声。
電話の向こうで呆気に取られる様子が目に浮かんで、思わず声を上げて笑うと、暫くして香科の笑い声も小さく聞こえてきた。
取り敢えずのところは、これで許して貰えるだろうか。

(ほんものはまださき)











*腐ログ1周年記念小説。
題名はそのままブログのタイトルから。
最後の台詞は有名な和訳です確か。
100627


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