幼い頃、ひとりで眠るのが厭になると、両親の元へは行かずに兄の部屋へ向かった。
隣で眠る兄の手を強く握りしめて、自分もようやく瞳を閉じるのだ。


Lying


「兄さん」
軽く扉をノックして兄の返事を待った。気温の下がった廊下が裸足に冷たくて、小さく足踏みをする。
良く考えたらもう夜も遅い。眠っているかもしれなかったけれど明日には延ばせなかった。
明日、兄はこの家を出ていく。
就職すると同時に会社の近くに借りたアパートでひとり暮らすのだ。

「……どうした?」
暫くして、まだ起きていたらしい兄がそっと扉から顔を覗かせた。
背後から暖かい空気が流れてきて冷えきった顔にこころよい。
「最後だし、一緒に寝てもいい?」
俯きがちにそう言うと途端に兄は嬉しそうな笑みを浮かべ部屋に入れてくれた。
久しぶりに入った部屋は引っ越しの準備が既に終わり、整然と片付けられていて暖かいのにどこか寒々しく思えた。
俺の学校の話や、新しく始まる兄の生活のことなんかの他愛もない話を少ししたあと明かりを消して、窓際に置かれたベッドに枕を二つ並べて横になる。
大の男二人が眠るには狭かったけれど今はこのくらいが丁度良い。
仰向けに大きく深呼吸をすると、兄の匂いと、なんともいえない寂しさが身体中に染み込んだ気がした。

「こうして一緒に寝るなんて、随分久しぶりだな」
しみじみと兄が話し出した。
暗い所為でその表情は見えないけれどきっとそんな感じだろう。
「怖い夢見たってお前が泣きながら俺の布団に潜り混んできてさ」
「別に!もう平気だよ」
あの時は可愛かったと笑う兄に悔し紛れにそう言い返せば「そうだよな」と年寄りじみたことを言う。
「もう、お前も子供じゃないもんな」
つんと鼻の奥が痛くなった。それは必死で涙を堪える時に起きること。
いつの間にかこんなにも時は流れてしまったのだろうか。
きっとこの人はいつまでも俺の前を歩き続けて、そして遠くへ行ってしまう。兄の方をちらりと見ても、相変わらず殆んど何も見えない。
自分だけがこの暗闇に取り残されているようで、布団を顎の上まで引き上げた。

「本当に明日からいなくなるの?」
そう口にしたらとうとう言ってしまったという後悔が訪れたけれど、同時に不思議な満足感があった。目が慣れたのか、ぼんやりと視界の隅に兄の輪郭が伺える。
どんな顔をしているのだろう。
やっぱりまだ子供じゃないかとと笑っているだろうか。
なら、もうそれで良い。
それで良いから、隣にいて欲しい。
どうせ肩を並べられないのなら大人になんてなりたくない。

「いなくなるよ」
けれど僅かな希望を託した俺の言葉はその深い穏やかな兄の声に、静かに闇へと吸い込まれて消えた。
「……うん」
それからまた兄が何か言っていた気がしたけれど寝たフリをしてもう何も答えなかった。声を出したらそのまま途方もなく喚いて、泣いてしまいそうだった。

潜りこんだのは怖い夢を見たからじゃない。体の良い理由を作って本当はただそこに、貴方の隣にいたかっただけ。今日だって同じなのだ。
「ねえ、兄さん……」
長い沈黙が続き兄の規則的な呼吸が聞こえ始めた頃、俺は隣で眠る彼のしっかりとした大きなてのひらにそっと触れた。

もう一度、手を繋いで。
そのまま引いて一緒に歩いて。










*優しい兄と可愛い弟。
気持ちは弟→兄。
愛情と愛の狭間にある兄弟という切ない関係性が大好きです。
100119


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