始業のベルが鳴り響く板張りの渡り廊下を私と級友の茅子が懸命に駆けている時、その時私は、私の拙い言葉ではとても表せないほど美しいものを見たのでした。


咲くや、可憐


その神々しさはある種、精神的な死のように抗い難い力をもって迫ってきました。
壁のない廊下には屋根がアーチのように円く覆さり、壁の代わりには細くて丸い柱がいくつも立ち並んでいます。
彼女は私達からみた左側を、ゆっくりと慌てる様子もなくしずしず此方へ向かって歩いておりました。
そしてあろうことか私は、もう既に遅刻をしていると言うのに、不意に足を止めた私を追い抜いてしまった茅子が「乃江?何をしているの?」と声をかけるまですっかり彼女を見届けてしまったのです。

私よりやや小柄な背格好で、半袖の制服から伸びたしなやかな若木のような彼女の手や紺のスカアトからすらりと生えた足は白く、きらきらと硝子を太陽に透かしたが如く眩しさを持って私の前をすり抜けてゆきました。二つに分けた黒髪はきちんとみつあみに纏められ毛先の穂をえんじ色のリボンで結び、さながらシルクを思わせる光沢に満ちて、艶々と輝いています。
顔立ちは、流石にあまりじろじろと見るのも善くないと僅かに覗き見ただけでありましたが、くど過ぎずかといってあっさりとし過ぎる訳でもない、控えめで可憐な黒色の瞳が印象的にモダンの香りを漂わせておりました。映画館のポスタアにある女優のような華やかさはないにしろ、私達学生のそれとはまた少し違うのです。例えて言うならばそう、彼女はまだ蕾なのでした。
むしろ蕾よりも前、綿毛が空を舞うように、根を張り花開く場所を見つけあぐねているような、どこかアンニュイなものすらその瞳に潜ませていたかもしれません。

思わず眼を細めて彼女の後ろ姿をじっと眺めてみますと、段々と遠ざかってゆく後ろ姿は普通ならば近眼の為にぼんやりと輪郭だけになってやがて見えなくなってしまうのに、どういう訳か彼女だけは面白いくらいはっきりと見えたままなのでした。けれど彼女が渡り廊下の向こうへ消えてしまうと、途端に景色は霞んで良く見えなくなりました。
水の中にいるような心地で、私はそれから暫くの間彼女が消えて行った廊下の先を見続けてから、ゆっくりと深呼吸をします。
どこのクラスなのか、何という名前なのかも分からない彼女の後ろ姿が一瞬にして私の視角を越えて、脳内のどこかフイルムのような部分に焼き付いたようで、不思議な心地に息を忘れそうになっていましたから、それはとても気持ちが良いものでした。

「乃江さん」
とうとう茅子が「さん付け」で私を呼びます。私は、はっと水底から浮き上がったように冴えない意識で茅子の方を振り向きました(どうやら私は完全に茅子に背中を向けていたらしいのです)。
「さっきから何を見ているのよ?」
先に教室へ行ってしまわないのは、それだけ茅子が面倒見の良い人だからでしょう。
私は当たり障りのないことだけを説明しました。神々しいなどと簡単に口にすることは恐ろしく憚れたのです。
「ふうん」
と一言漏らした彼女は、怒るでもなく「それならあたし調べてみましょうか?」と突拍子もなくそう言いました。調べるあてなどあるのかしらと思いながらも、彼女が言うと不思議な説得力がありました。
けれどその実、私は彼女のことをつまびらかに知ろうとは毛頭考えていなかったのです。平素なら触れることのない聖なる瞬間を過ごした。物理的なものを越えた甘美な死をさえ得た私には、ただその事だけが切実で、この上なく大切なのでした。

これから件の彼女は、どこへその花を咲かせるのか、気にならないこともないのですが、花というものは、咲いてしまえばあとは枯れるのみだとは誰でも分かることでしょう。
私は私の脳内でただシネマのリールを延々カラカラと回転させるように彼女の蕾が花開く様を思い描きながら「そんなことより早く教室へ行きましょう」と未だ納得していなさそうな茅子に笑いかけ、当然遅刻の授業へと揚々歩き出したのでした。











*少女小説風味。
女の子が女の子に見とれるって言うのは中々良いなあと思います。
101108


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