ぽつり、ぽつりと青々しい葉から滴が垂れていく。
昨日まで上空に漂っていた雨雲は、散々泣きはらしてすっきりしたのか、その名残を一片残すことも無くどこかへと消え去っていった。
あとに残るのは所々に点在する大小様々な水たまりのみ。
これも直に山の木々や土に吸い込まれ、跡形も無くなってしまうだろう。
過ぎ去っていったのは何雨か、自分はその雅な名を知ることはないが、今までの経験で知っている。
この雨が、初夏の始まりを告げる雨なのだと。
とはいえ今から梅雨だ。完全に夏へと移行する前にはもうしばらく雨空を眺めなくてはならないが、少なくともこれから寒さに震える日はこないだろう。

じくじくと足下から音がする。
土が水を飲む音だ。
この音を聞くたびにこの山が生命を宿していると実感する。
耳障りはあまり良くないが、嫌いでは無い。

ざりざりとどこからか音がする。
何者かがこの山に登ってくる音だ。
普段ならばすぐに棒を持ち、その者を追い返すべくそちらに乗り出すべきなのだが、
あえて自分はこの場から動かなかった。
その者が何者か、気配を通じて判別できたからである。
それ以上に自分はその者をよく知っている、そして…ある程度、信頼してる。
きっと今日も手土産に、と彼が作った菓子を持って、自分の前に現れることだろう。
人間何ざ大嫌い、以前に好きになれる気もしないが、彼だけは別だ。
早く此処まできてくれないか、と待ち望んでしまう…だなんて。


「やっと、上がったな」

ゆっくりと振り返れば片手を上げながら

三日ぶり、なんて。


「わざわざ此処まで登ってきたのか…よほど暇だったんだな」
「それ以外に言うことあんだろうがよ」
「…滑って怪我なんかしてないだろうな」
「ははっ、お前らしい」


そう。
たまに彼は自分の言葉に対して「お前らしい」と返してくる。
どこがどう俺らしいのか見当もつかないが、以前聞いてみたところ、
「なんか…不器用なところが」とこれまたよく解らない回答が返ってきたので、
もう深く聞くのは諦めた。


「それより菓子をくわねぇか?」


嗚呼、やはり。
期待を裏切ること無く菓子を持ってきてくれたらしい。
彼の作る菓子は本当に旨い。
干菓子、というのだろうか。
彼曰く砂糖の塊だそうだが、口の中でふわりと溶ける甘さと、
季節を感じる可愛らしい模様にいつも心を惹かれた。
今日はどんな者が出てくるのだろうと、いつもこの瞬間は胸が躍る。
その度に彼に笑われてしまうのだが。

懐紙からひょこりと出てきたのは寒天の菓子。
青の着色が成されているところをみると、どうやら今日は涼しげなものらしい。
のぞき込むようにその小さな塊を見てみると、
どうやらそれは渦を巻いているようだった。


「清流、って形なんだが…そう見えるか?」

そう言われて合点がいった。
なるほど、言われて見れば青い寒天が白い砂糖を囲うように渦を巻いている姿は、
荒い河を下り落ちる清流にみえないでもない。
そう、ちょうど今日みたいに、
雨が上がり水かさも大分落ち着いた頃の川に見られるような。

嗚呼、とつい声を出してしまう。
そう見え始めたら、だんだんそれ以外のものに見えなくなる。
逆に、ますますそう見えてしまう。
そして改めて、彼の技量に感嘆してしまうのだ。


まじまじと眺めていると、不意に頬に彼の手が添えられた。
一瞬遅れて彼を見れば、酷く優しげな視線がふわりと絡んできて。

だからお前はいったい何がしたいんだ。
なぜお前は、たまにこうして俺を見る。
どうしてそう…さも愛おしげに俺を見てくる。
そう見るべき対象は、他にたくさんいるだろうに。


顎をすくわれた。
くいと上に持ち上げられ、何を反応するよりもまず先に、
口元にそっと、菓子が押し当てられた。
清流の名にふさわしい冷たさが、唇の薄皮一枚越しに伝わってきて。
口の間から漏れる甘さが舌に伝わり、それだけで幸福を感じてしまう。
小さく口を開ければ、ころりと中に転がり落ちる「清流」。
冷たさを内に秘めたその菓子は、
柔らかな弾力を残しながら、ゆるりと溶けて喉を流れていった。


「…ん、旨い」
「そっか、良かった」


会話は二言、たまに三言。
それすら何かの余韻を感じるようで、この雰囲気が何となく好きだった。


「なぁリウ」
「何だ」
「これさ、家に帰る頃には絶対足ぐしょぐしょだよな」
「すでに濡れているんじゃ無いのか、草に付いた水滴で」
「うんまぁそうなんだけどね、家に帰るまでに乾かないだろうなぁって」
「嗚呼…無理だろうな」
「残念…まぁ降ってないだけましだけどさぁ…」


「…なぁリウ」
「…何だ」
「口元、砂糖だらけ」
「は…?…、…」


そう言うが否や、未だ顎に添えられたままの手、
その親指で口元を撫でるようにぬぐわれた。

なんだこれ、いやに恥ずかしい。
頬に熱が集中するのが解る。
それに気づいて彼が楽しそうにしていることも解る。
嗚呼もう、誰のせいだとおもってやがるんだこいつ。


「やっぱり此処にきて正解だった」
「…何のことだ」
「雨、上がったばかりだし…濡れてるだろうしさ、此処にくるの戸惑ったんだけど、
やっぱりきて良かった」


その言葉が何を意味するのか、俺にはよくわからない。
ただ、人間には荒らされたくないと思い続けて山の守をしてきた中で、
例外的に彼にだけは、そう思われることが嬉しかった。





雨が上がれば逢瀬の時
露に濡れた足袋、草履
私の気持ちを証すもの


*


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