ぼくのなまえ-3




 やつはまわりの木々をよこなぎにしてこっちにやってくる。そのすがたはおおきいおおかみみたいで、牙からはなんの血なのかどろりとした液たいがしたたっていた。

 雨はどんどんつよくなってやつのすがたはかすんで見えるけれど、やつのぎょろりとしたまあるい目ははっきりと見えた。

 ぐるるる、とやつがうなる。どうやらやつは、はなせないようだ。

 ―――にげなきゃ。

 そうおもってうごこうとするも、動けない。

 やつにかみつかれたら、きっといたい。それい前に、いたみをかんじないまに魂がうつわからでていってしまうかも。

 つぎのしゅんかん、やつはぼくひとりかんたんにのみこめそうなおおきい口をひらいてぼくにおそいかかった。

 ―――たべられる!

 ぼくはあまりにもおそろしくなって、目をとじる。けれど、思っていたいたみはいつまでたってもこなかった。
 かわりにきこえたのは、いたそうにうなるやつのうなり声。うす目をあけると、やつは数メートルさきの木のねもとにころがっていた。あたまには、おおきなたんこぶ。
 ぼくはかんぜんに目をあける。
 すると頭上からやわらかい声がきこえてきた。

 「大丈夫かい? 」

 いつのまにか、ぼくのまえにはおおきなにほんの足。きんにくがしっかりとついて、いかにもたくましそうだ。肌のかんじからして、たぶんにんげん。
 思わずぼくはみがまえる。にんげんはいつだってぼくらスライムをいじめてきたから、ついからだがうごくのだ。

 けれど、ぼくのからだはなにかに支えられてうかんだ。

 「君はスライムだね? かわいそうに、群れからはぐれたようだね」

 目のまえには、顔。
 まっくろだけどたくさんの光をあつめたようにあたたかい目。りりしい眉に、すっととおったはなすじ。肌のいろはあさぐろく、かみのけはよるを閉じ込めたようなくろ髪。きんにくや精悍なかおだちからせん士をおもわせるけど、かた手にたずさえた樫のつえやかっこうからして、まほうつかいやそうりょかもしれない。
 にんげんの顔。
 にんげんには、スライムにはない鼻がある。みみもある。かみのけもある。手足もある。
 まとめると、それらがすべて備わっているこいつはほんとうに、人間ということになる。

 「おまえも、ぼくをやっつけにきたのか? 」

 自分よりずっとずっとおおきいものをあいてにしているからか、ぼくの声はふるえていた。
 けれど彼は、そんなぼくをみてほほえんだ。

 「僕は君の敵じゃないよ」

 やわらかくも力づよいそのことばを聞いて、ぼくはこころのなかがじんわりと、あたたかくなる気がした。
 そんなふしぎなきもちになっていると、はいごのくさががさがさとゆれた。

 「リュカ、先ほどの魔物は傷をある程度癒した後、森に帰しておきました」

 きみどりいろのスライムにまたがる小さい騎士、スライムナイトだ。
 スライムナイトは一見うえのナイトがほんたいだと思われがちだけど、じつのところほんたいはしたのきみどりいろのスライムなのだ。
 スライムナイトはぼくを見てけげんなこえをあげる。

 「そちらはあの獣に襲われていたスライムではありませんか? 」

 「うん、そうだよ。怪我はしていないみたいだけど、ずいぶん怯えていたみたいだったから」

 ふたりは軽快なようすではなしあう。
 異端ではあるにしろおなじスライム種族のスライムナイトは、ぼくよりももっとずっと人語にたけているようで「リュカ」とよばれるにんげんとりゅうちょうに会話していた。

 どうやらいまのところ、やつらの仲間はこれですべてらしい。ことばのはしばしに「ヘンリー」、「マリア」とにんげんのなまえを口にしていたが、これいじょうひとがくる気配はなかった。

 あらためて、「リュカ」を見てみる。


  
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