君がほしい | ナノ
 君がほしいと言われてから5日が過ぎた。彼を喚んで共に暮らすようになって、もうどれくらいになるだろう。燭台切光忠は私のことをよく気遣い支え、時には叱ってくれる、実に人間らしい刀だ。しばらくの間は近侍の任も任せきりにしていた。



「君がほしい。僕はきっと一人の男として、君を好いているんだと思う」
「……私はあなたのことを男の人としては見ていないと、思う」

 ごめんなさいと言うと、彼はそうかと俯いて、困らせてごめんねと言った。今後は近侍を外してくれないかと頼まれたので、私は7日の間は長谷部に変わってもらうと告げた。このまま永続して近侍を外すようなことは私には考えられなかったのだ。



 長谷部には光忠が本丸で生活する以前によく近侍を任せていた。そのため書類の整理や各種報告その他諸々、全てそつなくこなしてくれた。半刻休憩にしようと伝えて長谷部には自室に戻ってもらっている。今は執務室に一人にさせてもらった。

「もやもやする」

 このしっくりこない感覚はなんだろう。ここ数日……おそらく光忠との一件の後から、私の中に言い得ぬ不満のようなものが溜まっていた。短刀と遊んでも加州や大和守と買い物に出掛けても、どこか十分に楽しむことができなかった。
 喉が渇いたからお茶でも飲もうかな。気分を変えるためにも何かいつもと違ったものがいい。買ったままだった茉莉花茶を開けてしまおうか。そう考えながら私は執務室を後にした。

「誰もいない……けど夕餉の準備はされているのね」

 御勝手には誰かが調理をする姿はなかったが、米の炊けるにおいに満ちており、味噌汁の具になるのであろうか、途中まで切られた大根と丸ままの豆腐が置かれていた。どうせなら私がやってしまおう。私はお茶を飲みに来たことを忘れてしまい、そのまま手を洗い包丁を握った。それから半分ほど残っている大根を銀杏切りにしていく。豆腐もいつものように切ってしまって大丈夫だろうか。そう考えていると後ろから低い声が聞こえた。

「主?」

 振り返ると、このところ鉢合わせることが極端に減った光忠が立っていた。内番用のジャージの上には私が与えた薄黄色のエプロンが巻かれている。

「今日は光忠が料理を作ってくれていたんだ」
「ああ。さっきまでは小夜くんも一緒だったんだけど、鍋をひっくり返してしまってね。もうそろそろ完成だから着替えついでに配膳をお願いしたんだ」
「ひ、ひっくり返したって火傷はしていないの?手入れの必要は?」
「火を入れる前だったから何の心配もない。大丈夫だよ」
「そうなの……安心した」

小夜の話を聞いて気が動転していたのもあるが、私は光忠と普通に会話できていたような気がする。半ば避けるように過ごしていたというのに。

「ただ僕が弾みで指を切ってしまって。悪いんだけど後で手入れをしてもらえるかな?」
「指を切った?見せて」
 格好悪いと眉尻を下げる光忠に、私の心臓はまたドキりとさせられた。思わず両手を取って観察していると、ゆるゆるとその手は引っ込められた。

「心配してくれるのは嬉しいんだけど、そんなに触られると変な気を起こしてしまいそうだな。大丈夫、ほんの小さな切り傷だから」
「小さくても傷は傷よ。今すぐ治しましょう」

 左手に短く引かれた赤い線を見つけ、そこに触れることのないように右手を握り直した。その手を引いて手入れ部屋に行こうとするが、光忠は歩き出そうとしなかった。

「光忠?どうしたの」

 光忠は平素のように真っ直ぐ前を向くのではなく、地面を見つめるようにして立っていた。

「……主。僕は君に触れられると、もっと触れたくなってしまうんだ。だからそうやって簡単に手を取ったりしないでほしい」
「あ……ごめんなさい」

 やってしまった。そう思い手を離そうとするが、光忠が強く握り返しているせいでびくともしなかった。

「光忠、あの、手を……」

 離してちょうだいと伝える前に、私の左手は解放された。しかしそれと同時に視界が暗くなり、私の身体はぎゅうと締め付けられた。抱き締められたのだ。

「早く手入れをしましょう?ねえ、光忠?」

 自分の心臓が忙しく働いているのを感じる。そして光忠のそれも同じであった。刀の身体には止血をする機構が備わっていないのだ。早く処置をしなければ、この小さな傷が身を滅ぼすことになってしまう。

「このまま人として終わってもいいかなって思ってしまうんだ」
「何を言っているの。ほら、行きましょう?お願いだから、離して……」
「もうそんなことどうでもいいんだ。僕に手を差し伸べて、僕の心を絡め取ったのは君だろう。つべこべ言わずに君がほしい」

 君が手に入らないのなら、僕は存在している意味もないんだ。そう続けて苦しそうに寄せられた眉間の皺が、普段よりも強い口調が、冷たくなった指先が、すべて私によって引き起こされたものだと思うとどうしてか胸があたたかいものに包まれるようであった。
 背中に回された腕に力が込められたのを感じ、私は両の眼を閉じた。


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