rainy tears



性別なんて、いざ恋に落ちてしまえば些細な問題ではないと、僕−−雨宮太陽は思った。
 それに気付いた理由は単純、たまたま誰かと友人に−−いや、もう親友と呼べるだろうか、になった事だ。
 はっきり言うと、僕は彼に好意を抱いている。それも多分その感情は、きっと友人としてのそれではなくて、異性に対して感じるべきである様なそれだ。言っておくが、彼と僕は同性だ。どちらも男。だから、普通なら僕がそんな好意を彼に対して抱くのはおかしいと言われるだろう。
 けど、そんな事は普通の人が普通の人生経験をした上で言える様な事だ。残念ながら、幼い頃から殆ど、それも恋愛感情を抱き始める様な年齢に鳴ってからの九割以上を病院のベッドの上で過ごして来た僕には、どうにもそれがおかしい事とは思えなかった。それも当然だろう、自分は勿論恋心と言う物を他人に抱いた事も無いのだし、病院内では恋が発生するなんて事も殆ど無い。そうすると、自然に僕が恋に着いて学ぶ機会は、漫画や小説、ドラマなんかのフィクションに限定される訳だが、其処に書かれているのは往々にして、多少ベクトルこそ違うが異常な恋愛だ。だから、それらから知識を仕入れる分には、自分の異常な恋愛観を破壊するまでには至らない訳だ。
 だから、僕は自分のこの感情を何ら異常な物だとは思わない。彼に通じるかどうかはともかくとして、自分がそれを抱いている分には、きっと平然と受け入れられるだろう。
 だが、問題は有る。無論それの根本に有るのは先程言った通り、彼が僕との恋愛、というものを異常だと思わないか、ということだ。けど、多分その点については大丈夫だと僕は思う。彼は今時珍しく、気持ち良い位に純粋だ。多分、恋愛、なんて物への知識は僕と同じ−−、いや、僕の方がまだ現在進行形で恋をしているのだから上かもしれない。だから、彼にもし僕の思いが通じる事が有ったなら、きっと彼はそれを問題なく受け入れてくれるだろう、と思う。
 そんな時、不意に扉が開く音がして、僕は思索を中断した。音の方を見つめてみれば、其処に有ったのは思い人−−松風天馬の姿だった。天馬は少しぎこちない笑みを浮かべながら、僕の側へと寄って来た。
「太陽、大丈夫? 最近、ちょっと調子が悪いらしいけど……」
 心配そうに天馬は呟く。確かに、僕は最近少し腕に点滴をしているが、別にたいした事じゃない。だって僕はこんなのよりも数倍きつい、生きていられるかどうかの限界を、もう何度だって経験しているのだから。
「大丈夫だよ、天馬。ちょっと風邪かなんかを引いちゃったみたいなんだよね。それで、大事にならない様に点滴を打っているだけ。心配ないよ、多分あと少しで外れる筈だから」
 笑って僕は答える。その表情に天馬も少し安堵したみたいで、自然な笑顔が彼に宿った。可愛いな、そう僕は思う。今見せた笑顔も、先程の優しさも、なにげなく動かしたその手も、その足も。やはり今の僕には、天馬の一挙手一投足の、その全てが本当にいとおしい。
 それから、僕達はいつもどおりにサッカーの話に夢中になった。その最中に、天馬の心を捉えてはなさないサッカーそのものに嫉妬してしまうくらいなんだから、やっぱり僕の思いは並の物ではないのだろうと思う。最も、さすがにそれは馬鹿らしいな、とすぐに正気には戻れたんだけども。
「あ、俺ちょっともう行かないと……」
 そんなとき、不意に天馬が言った。僕は急いで時計を見やる。やっぱり、何時も彼が帰る時間よりは大部速い。
「ごめん太陽、俺、今日剣城と一緒にスパイク買いに行く予定だからさ。今日は、ちょっと早めに帰るね!」
 何だ、剣城君と約束が有ったのか、それなら仕方ないかもしれない。僕は
「分かったよ」
というと、彼を部屋から送り出した。その際に彼が満面の笑みを向けてくれたのだけれど、僕にはそれが、なんだか少し僕に向けられた物ではない様に感じて、少しもやもやする物を感じた。



 それからも天馬が此処に来る度、僕はその表情を見ていた。いや、それどころか段々その表情を見る回数が増えていた。その度に僕は嬉しさと同時に、やっぱり何だかはっきりしない嫌悪感みたいなそれをかんじて、ちょっとうんざりしていた。どうして自分はそんな事を思うんだろうと一晩中考えていた事も有る。だが、結局答えは出なかった。ただ、分かった事は有る。僕はその天馬の顔と激しく似た何かを見た事が有ると言う事と、僕がその顔に対して感じる思いは、何処か嫉妬と似通った様な感情であると言う事だ。どっちもどうしてそうなのかは分からないけど、それは確かだと言える感覚だった。もしかしたら、これから不意にこのもやもやが解けるかもしれないと今は思っている
 ふと、ドアの開く音がする。この時間に来る人は決まっている、天馬だ。
 僕はいつも通りに天馬に笑いかける。天馬もそれに答えて、僕に笑みを返した。天馬の全身を見回すと、その手には冊子が握られている。そういえば、今日は愛読しているサッカー雑誌の発売日だった。彼が持っているそれは、きっと僕に対する差し入れなのだろう。 
 それは有っていたらしくて、僕らはそれを二人で読んだ。イタリアリーグで染岡選手がまた得点しただとか、風丸選手の写真集の発売が決まったとか、不動選手がまた移籍しただとか、いろんな事が載っていた。ただ、そんな物は二の次だ。僕にとって今重要なのは、天馬との時間、それだけだ。だから、内容よりも、天馬と一緒にサッカー雑誌を読んでいるということが一番大事なんだ。
 けど、やっぱり時間が立つのは速い。あっという間に時間は過ぎて、天馬は此処を去る時間になった。今日もいつもよりちょっと速かったが、帰りたいという彼を僕は拘束は出来ないし、しようとも思わない。天馬は、自由だから良いんだ。だから、それを縛ろうと僕は思わない。
 そうして彼を送り出したとき、去り際にまた彼は、あの顔で言った。
「ごめん太陽、来週はちょっと剣城と約束が有るから来られないんだ−−」
 それを聞いて僕は気付いた。そう言えば天馬があの顔をする時は、いつも剣城君の話をしている時だっけ−−、と。
 それから数秒して天馬の足音は聞こえなくなった。僕は、せめて、病院から出る彼の後ろ姿くらいは追おう、と思って視線を窓の外へ向ける。 
 その時、窓にぼんやりと移っていた自分の顔と目が合った。僕は、その自分の顔が、何処かで見た事が有る様な感じがした。そうしてそれに関して記憶を巡らせていると、有る表情と合致した。そしてそれで、全てに気付いた。正確には理解した、と言った方が良いのかもしれない。何だか、ずっと心にかかっていた靄が晴れた様な、そんな感じだ。けど、決してそれは嬉しい物ではなかった。だって、その靄が晴れた先に広がっていたのは、残酷すぎる事実だったんだから。
 天馬のしていた、そして僕がしていたその表情は、全く一緒のそれだった。恋する人間が、好きな人の事を思った時に浮かべるそれだ。それを、天馬も僕もしょっちゅう浮かべていたのだ。僕のそれは勿論天馬を思っていて浮かんだそれだけど、天馬のそれは、残念だけど僕を思って浮かんだそれではない。
 剣城君−−間違いなく、天馬が思い浮かべているのは彼だ。間違いない。天馬は剣城君に対して話すとき、殆どその顔を浮かべていたのだから。天馬の恋のベクトルは間違いなく彼に向かっている。
 それを悟って、僕はどうしようもなく悔しくなった。これで相手だったらまだ諦めきれただろう。多分性別云々を理由にして。ただ、天馬が恋をしているのは間違いなく自分と同性、男なのだ。ハンデも全く同じ、それなのに、天馬の意識は剣城君が独占している。それが、本当にどうしようもなく悔しくて、僕は彼に対して、人生で始めてだと思う程にはっきりと、嫉妬という感覚を覚えた。
 ふと、頬を暖かい物がよぎった。触れてみると、その指は濡れていた。涙だった。僕は、入院服の袖でそれを拭った。けど、またそれは瞳から流れ落ちた。僕は、それをまた拭う。そしてまた、涙が瞳から流れ落ちる−−。
 そんな事が数秒続いて、終に涙は止まらなくなった。拭っても、拭っても、また瞳から涙が溢れ出る。やがて、涙は途切れた。僕が抑えたというよりも、枯れ果てた、という方が正しいだろう。だけど、僕は何とか涙をひねり出そうとした。もう出ないとは分かっている筈なのに、何とか悲しみを呼び起こしたりして。そのまま一晩中、僕はそうやって、枯れた筈の涙を流しつづけようとしていた。 
 だって、涙が途切れたその時に、僕が天馬に抱いた恋心も、奇麗さっぱり途切れてしまう様な気がしたから。




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