Villainess of sprig 2


恋、というものには存外簡単に落ちる物であるなあと、碧瀬巳名は思っていた。彼女は今、校舎の裏で、一人の少年が倉庫の作業をする姿を、何十分も前からずっと観察していた。彼女は、その少年−−源田幸次郎に対して恋に落ちていたのである。彼女がその感情を感じ始めたのは、本当にごく最近のことである。きっかけは何気ない図書室でのワンシーンであった。碧瀬は、正直言ってあまり背が高くない。恐らく、同年代の女子の仲でも飛び抜けてでは無いにしろ大部低い方であろう。しかし、彼女としてはその身長に容姿としてのコンプレックスを持っている訳ではないし、少し童顔気味といえる自分の顔とはマッチした、丁度いい身長だとプラスに思っている。しかし、いくら容姿としては満足していても生活面では低い身長、というのは不便な時も有る。彼女が恋に落ちた際のワンシーンも正にそんな状況であった。彼女が確か何の気無しに本棚の最上段の本を手に取ろうとした時の事である。まあ彼女としてもやはり、というか有る程度は自分でも分かっていたのだが、本に手が届かなかったのである。そこでしょうが無く台座かなにかを持ってこようとした時である。
「これ、欲しいのか……?」
 そうして彼女が目当てにしていた本を手に取って渡してくれたのが彼−−源田幸次郎であった。彼女としても彼に付いて知らなかった訳ではなかった。帝国学園サッカー部の部員にして全国有数のゴールキーパー。更に背も高く、端正な顔立ちから学園内の女子人気もトップクラスだとも噂に聞く。そして成績も相当な上位だ。いわば学園の貴公子という女子ならば誰もが一度は思い描く様な理想像をそのままに具現化したような存在だった。
 そんな乙女の憧れの理想像に優しい行動をされて、落ちない様な人間は居ない。今まで、色恋に現を抜かす友人達にあきれ果てていた碧瀬だって、その例外にはなれなかった。彼女はその瞬間、自分よりも三十センチ程背が高い、学園の貴公子に惚れ込んだのである。
 そんな経緯が有って彼女は現在、源田の事を観察していた。観察、といえば確かに聞こえは良いが、様はただのストーキングである。小学校が私立の女子校であった彼女は、余り男子に対しての免疫という物が無かった。話せない、というほど酷い物でもなかったが、あまり積極的に関われるほどなれても居なかった。その所為か彼女の恋愛表現は、告白も出来ず、話しかける事も出来ず、ただただひたすら彼の後を追いかけて、その姿を見る、という一点に集約されていた。そして彼女にしてもそれだけで十分だった。
 だからその日の行為も変わらなかった。彼女は、声もかけず、ただ黙々と、源田の姿を脳裏に焼け付けるだけの筈だった。しかし、そうはどうしてかならなかった。源田の近くの草むらが不意にびくりと動いた。そこから現れたのは、血走った目をした少女であった。その少女は、誰がどう見たって普通ではなかった。病んでいる、そんな形容詞がぴったりと来る様な状況であった。少女は、源田へとまっすぐに突っ込んでいった。そして彼にぶつかって止まった。源田は、驚いた様な、恐ろしい様な顔をして目を見開いて、そのまま力なく項垂れた。その体からは血がポタポタと垂れていた。刺された、それは碧瀬にも簡単に理解出来た。それは事実だった様で、力なく倒れた源田から少女が引き抜いたナイフには、べっとりと燃える様に赤い彼の血が付着していた。それを見た少女は、我に帰った様に恐ろしそうにそれを見つめた後、そのまま気を失っていた。
 救急車を呼ばなくちゃ。余りにも突然すぎる光景への驚きからようやく解放された碧瀬は、そう思って携帯を握った。



「性格悪いというか、最早人としてどうか、っていうレベルですね」
 約束のお金を貰いに来た成神は、出された紅茶を一口飲んで春川にそう告げた。成神がそう言った原因は一つである。数日前、源田の見に起こった不幸の事だ。源田は、放課後の倉庫整理の最中、突然少女にナイフで刺された。幸い傷はそこまで深くなく、更に発見が速かったため、命に別状も無く、またサッカー選手としての選手生命に関わる様な事も無かったが、それでも一週間は入院が必要だし、すくなくとも一ヶ月程は激しい運動は絶対に無理らしい。それを行ったのは真園あぐり、成神が嘘を吹き込んだ少女である。真園について春川に報告した時は、彼女がやけに嬉しそうにしていたのが、成神には印象的だった。そしてその後、彼女と真園が凄く仲良くなったと、成神は風の噂で聞いていた。
「あらあら、なんのこと? 私はただ、真園さんと親睦を深めて頂けよ、クラスメイトとして」
 すっとぼけた調子で答える春川。そんな軽い調子の口調とは裏腹に、瞳には不気味で見たくないような重々しい光が宿っていた。成神は簡単に予想が出来た。恐らくきっと、真園に源田を刺させたのは彼女だと。恐らく仲良くなる振りをして、色々な嘘をきっと吹き込んだのだろう。そして、真園を精神的に屈折させて、今回の罪を犯させたのだ。
「随分な悪女ですよね、先輩って」
 成神は恐れもせずにはっきりと言った。彼は、一瞬その言葉に付いて彼女が怒るのでは無いかと思ったが、その可能性はすぐに打ち消した。彼女は自分が悪だと十分知っている筈だ。そんな女性が、その程度の言葉に怒りを感じる筈も無い。
「そうね−−」
 成神の思った通り、彼女は肯定した。でも−−、彼女はそう言うと続けた。
「でもね、私は思うのよ。人の恋人を奪おうとする方がよっぽど悪女だとね。だから、そんな悪女さんには、人生を棒に振る位のペナルティを与えて上げるべきじゃないかしら」
 そう思うでしょ、成神君。そう言って彼女は妖しく笑んだ。それをみて成神は、随分と彼女の笑顔が邪悪になった物だと思った。その笑顔は、彼女の恋人である佐久間次郎の他人を蹴落とした時のそれと凄く似通っていた。恋人同士は影響される、というがこんな所まで似る物なのだと、成神は少々驚いた。
「でもその子は逮捕されたから良いとして、源田先輩が刺された位で諦めるとは正直思えないんですけど。ぶっちゃけ、あの人、さらにしつこくなるんじゃないんですかね」
 成神は、少し湧いて来ていた疑問を春川に尋ねた。問われた彼女は、余裕を浮かべた様子でクスリと笑った。
「その対策ならもう練ってあるわ」
 彼女はそう言うと、懐から一枚の写真を取り出した。其処には、身長の低い可愛らしい少女が一人写っていた。
「誰ですか、これ?」
「通報者、とでも良いのかしらね。倒れていた源田を真っ先に発見した子」
 彼女はそう言うと写真を成神の手へと押し付けた。
「その子ね。源田が刺されてすぐに救急車を呼んだらしいの。熱心に止血もしていたんだって。此処まで処置が速いのって不思議よね、彼、滅多に人が来ない筈の校舎裏の倉庫を整理していたのに」
 正確にはさせたんだけどね。彼女の口が最後に小さくそうささやいたのを成神は聞き逃さなかった。恐らく彼女としては、今の言葉は少女が何故源田について調べていたのかを問い掛ける様な意図を孕んだ物だったのだろうが、最後にささやかれた一言で、捉える成神としては大部意味が違った物になる。彼女が言った言葉を事実−−つまり春川がなんらかの手回しをして、源田をあの時間体育倉庫に居させたのだとしたら、最初成神が立てた、彼女が真園の犯行を誘導した、という予想も、大部変わってくる。あくまで春川は真園を精神的に追いつめさせただけだ、というのが成神の見解だったが、それは恐らくきっと違う。彼女は暗に真園に源田を刺す様に伝えたのだ。多分、絶好の機会だとでも言ったのだろう。恐ろしい人だ。成神は、再度彼女にそう評価を下した。今までも彼はそう思わなかった訳ではないが、本格的に恐怖、という物を成神は、正直そこまで感じていては居なかった。しかし、今回の事は勝手が違う。彼女は源田を殺そうとしたし、一人の少女を殺人者にしようとしたのだ。それがたまたま運良く防がれたから良かった物の、もし成功したら、と考えるとゾッとする。
「けど、結局解決して無いじゃないですか、この子の所為で先輩の本当の目的が達成されなかったのは分かりましたけど−−」
「その子、きっと好きよね、源田のこと。彼女が事件をすぐにみつけられた理由は、きっと彼へのストーキングよ」
 そこまで言うと彼女は不適に微笑んだ。後は貴方にも分かるでしょう、とでも成神に問い掛ける様に。だが成神はあえて頷きもせず黙っていた。正直言うと、彼は確信が持てなかった。つい先程までなら彼女と自分が考える策は同じだ、と自信を持てたのだが、先程の話を聞いて少しその自信がなくなったのである。しかし、彼女は、それさえもお見通しだ、と言わんばかりに微笑を浮かべていた。
「彼女が彼の事を好きなら、その恋は応援してあげるべきだとは思わない、成神君? 君たち男の子って自分の思ってるより数倍単純でね、顔だの性格だのなんだのと呟いても、結局最後は一緒に過ごしてくれたり、優しくしてくれたりした女の子に簡単に落ちちゃう物なのよ。もし彼女が、怪我で寝込んでる源田君を看病して上げたりしたら、それこそ源田君はいちころだと思うわよ。彼、真性って訳でもなさそうだし」

 成る程、成神は納得した。確かに怪我で精神がふさぎ込んでる時に優しくされたら、確かに恋に落ちるだろう。源田だってきっとそうだ。それに彼女の言う通り、きっと彼は真性のホモではない。多分、たまたま佐久間を好きになって、たまたま佐久間が男だっただけなのだろう。だとするならば、新たな恋の相手が女性に成るのも、十分にあり得る事だ。
「まあ結果としては、良い方向に転んだって、私は思うわ。犠牲になる子が一人ですんだし。それに、源田君は絶対に恋に落ちるはめになるわよ。其処の所もちゃんと策は打ってあるんだから」
 そういうと、春川は、今日一番の笑みを浮かべた。相変わらず可憐さの裏に妖しさを秘めたその笑みはやはり魅力的だった。彼女の本性と、佐久間と付き合っているという事実を成神が知らなかったら、正直一目惚れでもしてしまいそうなぐらいだ。ただ、彼女の恐ろしさと、佐久間への狂信的とも言える一途な愛を知っている成神にはその恐怖の前に彼女の魅力等薄っぺらい紙が台風に飲み込まれる様に吹き飛んでしまった。
「にしたって其処までの絶対的自信って一体何処から来てるんですか? 一週間の短い入院期間じゃ、正直恋に落ちる、とも思えないんですけど」
 その事を成神が小さくぼやく。しかし、その言葉は春川の耳にはしっかり入っていた様で、彼女はそれに、呟くように答えた。
「大丈夫、心配ないわ。まあ、貴方達をちょっとの間、実力ダウンさせちゃう事に成るかもしれないけど」
 と。その言葉の裏の真意を何となく解した成神は、今度こそ本当に、抜け出したくなった。


 
 折角手に入ったチャンスを、無駄にする事は出来ない。今回の事で、碧瀬と源田には接点が出来た。それによって、お見舞いに行く、という彼に接触する口実も出来た。
 しかし、それは一週間限定。余りに短すぎる期間だった。そんな時に、春川に出合った。
「ねえ、貴女に話が有るんだけど」
 そう言われるままに、彼女の話に聞き入った。
「この小瓶、余り毒性は強くないけど、じわじわ効く毒が入っているのよ。これをお見舞いの食べ物に入れて、毎日持って行けば、それなりに入院は長引く筈よ。なに、心配する事は無いわ。余り体内に残留はしないから、来んン有するのを止めれば数日で中毒症状は消えるわよ。病院の医者には私が話をつけておくから、逮捕されたりする心配は無いわ。ねえ、やってみない?」
 そんな恐ろしい提案を、春川は満面の笑みで行って退けた。どうして其処までしてくれるの? 無論、余りに自分に条件の良すぎる話に、碧瀬は当然の如く疑問の念を抱いた。
「いや、単純よ。実を言うとあの男、ちょっと面倒なのよ。私が、って訳じゃないけど私の知り合いが恋愛絡みで少し迷惑していてね。その子の頼みなのよ。新しい彼女でも出来ればその子の事はすっぱりと諦めてくれるだろうし、もし無理だったとしても、病院に居る間はストーキングは止めるでしょう? 止めたくなったらいつでも私に言ってくれれば良いから」
 そういう春川の目を、正直碧瀬は信用出来なかった。確かに優しい目なのだが、どこか妖しく、いまいち不気味さが拭えなかった。しかし、碧瀬は考える。彼女と自分に共通点は無い。今此処で、始めて関係性を持った。ならば、彼女がおとしめようとしているのは自分ではない。恐らく源田だ。
「一つ聞いていい? この毒、本当に致命的な代物じゃないのよね?」
 予想外の問いに春川は少し驚愕したようだった。だが、むしろ碧瀬がそういったタイプの人間だった事は彼女に取って好都合だったらしく、今までと違って妖しさを全面的に表にした笑みを浮かべて言った。
「なんだ、分かってたんだ。大丈夫、この毒は本当にさっき言った通りの効果の物よ。彼を殺す、と言う事はもう一回失敗してるから、これ以上のリスクは犯したくないのよ。私は本当に、貴女と彼が結ばれてくれれば良いと思ってるわ。なにはどうあれ、彼が適当な誰かとくっついてくれさえすれば良いんだから」
 そう言って春川は碧瀬の手に小瓶を押し付けた。そして去り際に彼女にこういった。
「手段を選ばない。その事が、恋に関しては重要よ? 恋は戦争、どんな卑怯な事だって、恋愛を成就させるためなら許されるのよ」
 少女漫画で使われる様な台詞を、その何倍もどろどろとした意味で使って、彼女は去った。
 結局碧瀬は、彼女の言う様にした。今彼女が差し入れて、源田が食べているクッキーにはあの小瓶の中の毒薬が、きちんと用法を守って入れられている。そんな事も知らず、渡されたクッキーを食べる彼が、碧瀬は更にいとおしく見えた。



「だから、心配は無いのよ、成神君。こう見えて、結構完璧主義者なのよ、私」
 春川がそう告げた。しかし、その言葉は成神の耳にはっきりと入っては来なかった。眠い、成神は無償にそう感じた。さっきまで全くそんな感じは無かったのに。
「ところで成神君、そろそろ眠くなって来たんじゃないかした? 多分、いい具合に薬が効いてくるころでしょうし」
 油断していた、成神はそう思った。いや、疑って叱るべきだった筈だ。自分は、春川鈴という少女が佐久間次郎という少年を手に入れる為にして来た事の殆どを知っているのだ。そんな自分を、彼女が見逃す筈が無い。そんな結論がようやく成神の中で出たが、それだけだった。結論がいくら出た所で、体から力は抜けて行くし、意識はどんどん薄れて行く。
「大丈夫、殺したりはしないわ。ただ、ちょっとしたトラウマを、私に逆らえない様に植え付けるだけだから。ちょっとおかしいと思わなかった? 医者の先生を私が買収出来たり、貴方に提供出来るお金がやってくる大本について。実はね、それらのお金は、全て貴方が担保なのよ。世の中には、少年愛の趣味をもつ富豪の人って結構居るのよね。そう言う人達に写真を見せたら、貴方が一番人気があったのよ。だから、こうするのも私の計画通りな訳。まあ其処まで恐がる事は無いんじゃないかしら? そう言う人達も、体さえ動かなければ、案外優しくしてくれるらしいわよ。それに新しいアルバイトも見つかるかもだし。それじゃあ、それまでゆっくりとお休み、成神君」
 この、悪女。成神は、そう声に出そうとした。しかし、それよりも先に意識は、急速に闇へと飲まれて行った。



「全く、源田の奴は一体何時に成ったら出てくる気だよ。もう少しで公式試合なのに。なあ、鈴」
 数週間経った帰り道で、佐久間は春川にそう問い掛けた。春川はそれに笑って答える。
「まあ仕方ないんじゃないかしら。彼、怪我した所にばい菌が入っちゃったんでしょう? まあ、ゆっくりとした休暇だとでも思って上げなさいよ」
「それだけなら良いんだよ。けどあの野郎、毎日健気にお見舞いにくる子が気になるとか言い始めやがって。そっちが恋愛してる間に、こっちは練習地獄だっていうのに」
 碧瀬は上手くやってるみたいね。そう思うと、春川の口から思わず口から笑みがこぼれた。
「あら、酷いなあ、次郎君。貴方には私っていうれっきとした恋人が居るのに。それなのに嫉妬は酷いんじゃない? 友人としてしっかりアドバイスしてあげれば良いじゃない」
 そうだな、なんて言って、佐久間は笑った。その笑顔を、やはり春川は好ましく思った。彼には笑顔が似合う。何にも知らずに笑っているのが一番だ。
「成神の奴も最近忙しいとか言って付き合い悪いしさ。ま、今はお前だけに夢中になってろ、っていう事なのかね」
 少し臭い台詞を吐いたと分かってか、呟いた後に佐久間の顔は一気に赤くなる。やっぱり可愛いな、そんな風に春川は思った。
 平和だ。そして凄くどきどきする。やはり私は彼の隣に居るのが似合う。その為なら、どんな方法でもとるつもりだ。
「ねえ、次郎君、ちょっとぎゅっとして良いかな?」
 佐久間が答える前に、春川は彼の腕に抱きついた。丁度その時少し見覚えの有る景色にたどり着いた。
 そういえば¬¬−−。此処は数ヶ月前、春川が、源田に襲われかけた日の帰り、彼に佐久間を渡す物かと誓った場所だ。なら、此処でまた改めて誓おう。そう、春川は誓った。
 私は佐久間を、絶対誰にだって渡しはしない。たとえそれで、自分と佐久間を含めどんな犠牲を払ったとしても。

モドル






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