ッバサ、バササ――
「‥来たか」
木ノ葉の里の奥、ひんやりとした森の静寂の中で十夜の声が静かに響いた。
彼の視線の先では数羽の鴉が大きな翼を羽ばたかせている、漆黒の羽を持つ彼らは瞳だけは澄んだ青だ、十夜のそれと同じように。
――ボン、ボボボボン!
「収穫はあったんだろうな」
鋭い爪を持つ足を地に下ろす前に白煙が鴉たちの姿を覆った、ゆっくりと薄れていく煙の中から姿を現したのは下忍から上忍の立場を持つ忍たちだ。中には里でそこそこの名を持つ者もいれば万年下忍の者もいる、彼らは十夜の言葉に膝を付くと頭を下げ、声を揃えた。
「はい、主様。」
闇の主は密かに嗤う
影分身であるならば、全ての記憶が共用され経験値までもが付加される。
しかしやはり全てが必要とは言えないのだ。
そんな考えが傲りだと言う者もいるだろう、いつか足元を掬うのだと。だが無駄な記憶などいらず、彼らに求めているのは力でもない。そのどれもが、ナルトなら必要になるその時に手に入れる事もたやすいのだから。
必要だったのは引き出しだ、手を伸ばせばすぐにそれを手に取ることが出来る便利な情報保管庫。
「お前たちは戻れ」
報告を終えた忍たちは再び頭を下げると瞬く間に姿を消した。
ナルトが必要な情報だけを引き出す為に作り出した分身たちはそれぞれに核を持ち“人間”として過ごし、木ノ葉だけでなく各里各国に入り込み今も諜報活動を続けている。
主はナルト一人だ、他に従う者もおらず優先させるべき者もいない、彼らはナルトの『目』として生み出された者たちだから。
唯一それらとは一線を画す者がいる。暗部の十夜として動き始め数か月を要して作られた特別製の影分身、それがうずまきナルトだ。
里の厄介者でいたずら好き、火影邸から禁術の巻物を盗み出したというのにその裏での功績を評価された。結果、アカデミー卒業資格を得て合格者はいないと言われた上忍はたけカカシの下忍試験を見事にクリア、ついに名実ともに忍としての道を歩み始めたばかりの九尾の器。
良くも悪くも皆がよく知る“あのうずまきナルト”が影分身でしたなどと、彼らも今更信じられるはずも無いだろう。気付いたならそれも面白いなと思っている本体だが、勿論こちらからバラすつもりは毛頭無い。何よりもこの状況は本体であるナルトにとっては非常に動きやすく、腹に居座る九尾の目には滑稽に映るのだ。愚か者たちだなとグルグルと笑う九尾は余程暇らしい。
「素性は不明ねえ、あのはたけカカシの親戚と聞いた時から探ってはいたがやはり三代目もなかなか尻尾を出さないか。煽られているのかそうでないのか、そうでまでして隠したいのはなんだろうな。」
ミズキの事件が起こったあの時、九尾の声が無ければナルトでさえも緋炎の正体に気付く事は無かっただろう。暗部の正体なんぞどうでもいいというのが本心で、いちいち探ろうなどと思ったことの無いナルトだが“あれ”は異質だった。
腹に妖狐がいる自分も充分その部類に入るのだろうが、はたけ葵に関しては全てが謎に包まれている。
ーー暇潰しに、どんな女か探ってやろうか。
その程度の興味で里内に放ってある分身体に命じたのだが動けば動くほど謎が深まるばかり、面白いと思わない方がどうかしていると思う程に。
いつもならナルトが満足する程度には情報を集めてくる分身たちも今回は相当に苦労したようで皆表情を曇らせていた。情報収集に邪魔が入るわけでもない、隠されているわけでもないのに。
無いのだ、はたけ葵という存在が。
元から無いものなどいくら探そうとも出ないのが当然だが。
しかし他里に放ってある他の分身たちが情報を持って十夜の元へと戻るまでに少々時間が空いている、その間くらいは退屈せずに済みそうだとナルトは深海色を宿した双眸を軽く細めた。
「“ナルト“、お前の次の任務は確か波の国だったな。」
「はい、タズナという橋職人の護衛任務で。」
「それCランクだろ、しかも里から出るのか。」
「‥‥」
「別に咎めてるわけじゃない、お前は自由に動けばいい。三代目も”お前”をうずまきナルトとして見ているようだからな。」
「三代目の考えはオレには‥」
「お前がうずまきナルトだ、それでいい。」
「‥‥‥‥主様は、ほんとは‥」
ぐ、とナルトはそこから先の言葉を飲み込んだ。
所詮彼は影であり、本体は目の前に立つ今は黒髪の姿をした彼だ。主である彼が今何を思っているかなど影であるナルトに分かる術はない。
そして十夜はナルトが呟いた言葉など聞こえていなかったように口を開いた。
「波の国か、ただの護衛任務で終わるとも思えないな」
「え、それってどういう‥」
「お前は第七班として動き任務完遂だけを考えろ、はたけカカシもいるしそれなりに対処できるだろ」
そう言って十夜は狐の面で青く光る瞳を隠してしまった、面紐だけが風に揺れて、話はもう終わりといった所だろう。
ナルトが下忍になりはたけカカシが担当教官に着いてからは、十夜はナルトの護衛から外れ暗部の任務のみで動いている。時には炎部として動き長く里を空けることもあるがナルトも詳しくは知らない。
本体が“ナルト”として行動することは限りなく少ない。最近で言えばアカデミー卒業試験の夜だけか、例え自身の影分身であろうとも、ナルトは信用していないのだろうか。
特別に自我が生まれるよう作り出した影分身だからこそ、もう別の人格だと判断されているのかもしれない。
「行け、“うずまきナルト”は遅刻も寝坊もしないんだろ。夢である火影への第一歩だ、励めよ。」
面の中で嘲るような笑いが聞こえ、それを合図にナルトは頭上高い枝へと飛んだ。十夜はそこへ視線を向ける事も無い、くるりと身を翻すと音もなく、闇に溶けて姿を消した。
「主様‥」
影分身のナルトにとって本体の存在は他の分身たちと同じように絶対だ。だからこそ、主人の居場所を取ろうなど思うわけもなく、自分が“うずまきナルト”として生きていこうと思っているわけでもない。
どんな事であろうとも本体である彼の命に従う、しかし彼の中の自我がそれを僅かに邪魔をするのを感じていたのも確かだった。
「‥‥解体屋の胡蝶って、誰だろ。」
それは分身たちが得た情報の一つで、ナルトのアカデミーの同期であるはたけ葵が関係する特別上忍の名前だ。
解体屋、またの名を分析班とも言うが後者の方が正式名称だ。
里内に侵入し捕らえられた忍は命があろうがなかろうが分析班へと送られる、解体屋の呼び名は集められた死体の扱い方から呼ばれたらしいがどんなふうに扱っているかなんて“このナルト”は知りたいとも思わない。寧ろ知りたくないのが本音だ、気持ち悪い。そこは里の者でも滅多に近づくことの無い特殊な班だ、そんな所になぜはたけ葵が度々姿を現すのだろうか。
「死体置き場なんかに‥何の用があるんだ‥?」
本体である十夜は今頃胡蝶の元へと向かっているのだろう、深夜だろうが早朝だろうが彼は時間の事など気にせずに己の欲のままに動くから。勿論時と場合による、と影分身的にはフォローを入れておく事は忘れない。
「でもまずは護衛任務、やり遂げてみせるってばよ。」
周囲と同じ闇の色を広げる空を仰いだナルトは、ぐっと強く拳を握った。
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