時刻は午後一時をまわった。それなのに士郎は公園に遊びに行ったきり帰ってこない。正午には必ず帰ってくるように、と切嗣は確かに言ったはずなのに、と思いながら縁側に座り庭のまだ咲かぬ向日葵を眺めていた。
 灼熱の太陽が切嗣の皮膚を容赦なく射し続ける。歳のわりに衰えてしまっている身体には大変こたえるものだ。しかし切嗣はそれをも気にせず、庭の向日葵に視線を集中させていた。
 もう夏も半ばだというのに、まだ向日葵は咲かない。蕾はギリギリまで膨らんでいるのにそこからいっこうに開こうとはしない。咲かぬ花など、と切嗣は思った。愛でられたいのなら、咲けばいいのにとも思った。咲けば愛でられ、その存在をしかと皆に認めてもらえるはずなのに。この向日葵は何を思い咲かずにその身を保っているのか。
 切嗣は何故かその向日葵が気になって仕方がなかった。自分と何かが似ていると本能的に察知したのかもしれない。
 
 机の上には既に昼食の用意が完成していた。昨夜、士郎がどうしても冷やし中華が食べたいというので用意したのだ。どこかそこらのファミレスで食べた方が美味しいと何度も言ったのに、士郎がどうしても切嗣の作ったものが食べたいというので用意したのだ。切嗣から見てもその出来は上手とは言えないものだった。これで士郎が喜んでくれるのか不安であったが、士郎のお願いだったので精一杯の努力はしてみたのだ。
 しかしそれを言った当の本人である士郎が不在だ。いったい何があったのか。いつもならちゃんと決められた時間には戻ってくる子だ。何かわけがあるに違いない。もしかしたら事故にでも巻き込まれたのかもしれない。嫌な思いが切嗣の頭の中を駆け巡った。

 「ごめんください」

 突然玄関の方から遠い昔に聞いたことのある声が聞こえた。

 「はい、どちらさま……」

 驚いた。いや、恐怖が巻き起こったのかもしれない。
 そこにいた人物、それはかつての切嗣が『危険』と判断した人物、それはかつての切嗣に恐怖を与えた人物、それは言峰綺礼、まさにその人であった。

 「なぜ……ここに?」

 一瞬切嗣は身構える。その身構えも意味を持たないことを切嗣は知っていた。今の自分には武力も体力も、気力も、あの時のようには存在しない。しかし切嗣はこれを最悪の状態とは思っていなかった。
 ここには士郎がいない。
 それが自分にとっての最大の武器であると切嗣は思っていた。

 「衛宮切嗣、久しいな。しかし今日は別に私が用事があってここに来たわけではない。偶然にもここに来ることになっただけだ。用があるのはこの子だよ」

 そういって綺礼は自分の背を見るように目線を下に向けた。
 その目線の先から出てきた小さな男の子は士郎であった。

 「士郎!?」

 切嗣は驚きのあまり叫びに近い声で名を呼んでしまった。それに驚いたのか士郎は一瞬にびくりと体を震わせた。
 無理もない、士郎を養子に引き取ってからというもの、このような声を出したことは一度も無かった。

 「じいさん……、ごめんなさい。」

 開口一番、士郎はそう切嗣に謝罪の弁を述べた。

 「俺公園でトンボを見つけて、それを捕まえようとして、公園から出たら、道に迷っちゃって、それで、教会を見つけたから、入って。そしたらこの神父さんが、じいさんの名前を知ってて、家も知ってて、ここまで送ってくれたんだ。」

 士郎は涙を堪えながら、切嗣に一生懸命説明した。それを聞いた切嗣は今自分が身構えていることが馬鹿そのもので思えた。

 「士郎、おいで」

 切嗣は優しい声で士郎を呼んだ。士郎はすぐに切嗣に飛びついてきた。堪えていた涙が溢れだしたのか大きな声で泣いた。

 「言峰綺礼、礼を言うよ。ありがとう」
 「そんな言われるまでのものはしてないさ。単にこの子が運が良かっただけだね」

 綺礼は低い声でそう言った。それでも切嗣は綺礼の優しさを見出していた。それが正しいものかは別として、言峰綺礼の人間的な優しさが切嗣と士郎の中を満たしたのは確かであったからだ。

 「君、変わったね」

 切嗣は泣く士郎の背をぽんぽんと叩きあやしながら綺礼に話かけた。

 「衛宮切嗣、貴様こそ変わりすぎているよ」

 綺礼は鼻で笑いながらそう言った。その笑いに切嗣はまた綺礼の優しさを見出し、同じように鼻で笑ってみせた。

 「士郎、昨日約束したお昼ご飯ができてるよ。食べようか」
 「冷やし中華?」

 士郎は泣きながら切嗣の顔をみて確かめた。泣きじゃくるその顔が、切嗣にはとても愛おしく思えた。切嗣は士郎の前髪を手であげで、優しく撫でた。

 「そうだよ。頑張って作ったんだ」

 そのやり取りの間に綺礼は帰ろうと、二人に背を向けた。

 「待ってくれ、お礼ともいってもあれだが冷やし中華、食べていかないか?」
 「……」

 綺礼は驚いたのか、そうではないのか、黙ってしまった。少し眉が動いたのが見てとれたが、それが何によるものか切嗣にはわからなかった。別にわからなくてもよかった。

 「まああがれよ」

 その言葉で観念したのか、綺礼は家の中に入った。
 縁側を歩き冷やし中華がまつ方へと足を進める。士郎もまた、冷やし中華があることに満足したのか泣き止んで自分の足でその方へと歩いていた。

 「あ!じいさん、向日葵が咲いたよ」

 先ほどまで蕾だった向日葵が、いつの間にか綺麗な花の姿を見せつけていた。

 「本当だ、さっきまで咲いてなかったのに」
 「綺麗だね、じいさん」

 士郎が向日葵を見ながらそう言った。

 「……」

 綺礼は向日葵を見てはいるが、無言であった。そんな彼の姿を見て、切嗣は笑った。その笑いがどこから生まれたものなのか切嗣にさえわからなかったが、それはそれで別によかったのだ。

 「愛おしいね」

 切嗣は綺礼に向かって言った。


冷やし中華始めました



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