「いつまでたっても、蝶は蝶、蛾は蛾のままなのでしょうか。」

菊はそういって満開に咲いたチューリップの花にとまる一匹の蝶を自分の手のに乗せた。その蝶を見つめる菊は寂しげ、いや嘆いているかのように見えた。

「それはどういう意味だ?」

縁側に座ったままの体勢で、少し声を大きく張り上げ質問を投げかける。最近はすっかり春めいて桜もその他の花々も満開に咲き乱れている。花々の間をすっと潜り抜け、俺の質問はどうやら菊の耳までしっかり届いたようだ。

「そのままの意味ですよ。蝶はいつまでたっても蝶。蛾はいつまでたっても蛾。」

菊は自分の手に蝶を乗せたままこちらに歩きだす。一歩一歩、確かな足取りでこちらへ向かってくる。途中で花を踏み潰してしまっていたけれど、それはどうやら気にしてないようだ。花は根元から菊の重みでへし折れて見るも無残な姿となった。

「花はいつかは朽ち果てて、いつのまにかゴミとなってしまうのに。」

自分が花を踏んでしまったことには気付いているようだ。わざと踏んだのか。そこまで俺にはわからない。ただそう言葉を漏らす菊の口元は皮肉に歪んでいるように見えた。

「ほら、蝶は蝶でしょ?」

目的地まで到着した菊は俺に蝶を見せてくれた。それは確かに蝶だった。春を感じさせる生き物だった。黄色の羽と黒色の斑点、それから凛と美しくとまる姿は女王様のようにも見える。

「蛾と蝶は違います。」

確かに蛾と蝶は違う。蛾は嫌われもので、蝶はそうではない。蝶が日向だとしたら蛾は日陰だ。夜な夜な電柱に集まる、ただそんな存在だ。菊は蝶と蛾を比較して何が言いたいんだろうか。

「確かに。」

俺が蝶に手を伸ばそうとした瞬間。ふんわりと花々の匂いを乗せた風が菊と俺との間に吹いた。そしてその風に乗って蝶は空高く飛んでどこかへいってしまった。蝶が羽ばたいている姿を菊はじっと見つめながら空に手を伸ばした。

「どこへ逝かれるのですか…。」

独り言のように呟いた言葉を俺はしっかりと聞いていた。空に伸ばした手は蝶を握り握り潰すかのようにぎゅっと握られる。空気も菊の手の中で一瞬にして握り潰されてしまった。

「私はいつまでたっても蛾、貴方は蝶ってことですよ。」

どこかもの悲しげに、何もない虚空を見ながら菊は言った。俺も菊が見つめている場所を見てみたが、そこにはやはり空しかなかった。今日の空は雲一つない青空だ。夏の空のようにも見えるが空気は春そのものだ。

「私も蝶になりたいのに。」

また小さな声で菊は呟いた。

「お前はもう蝶じゃないのか?」

俺は疑問に思った言葉を勇気付ける言葉を置き換えながら質問してみた。春風香るこの空の下で。すると菊は俺の方をみていつもの笑顔を見せた。口角は自然に上がり、目は優しさに包まれながら細くなる。

「蝶はいつまでたっても蝶のまま、蛾はいつまでたっても蛾のままなんですよ。」

菊が発した言葉の意味を、俺はちゃんと理解できているのかもわからないまま時間は春風に乗って過ぎ去った。


蝶と蛾



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