名字名前に初めて会ったのは二年生に上がってすぐのことだった。IHが控えていた時期、俺はレギュラーにも入れなかった。人数の多い秀徳バスケ部でレギュラーになれるのはほんの一握りだ。努力が実らず三年間試合に出られない先輩も見てきた。三年間のうちには、と努力してきたつもりだったが、まだ実らないのは相当キツい。同学年で大坪がスタメンに選ばれたことも関係していたんだろう。格の違いを見せ付けられて弱りきっていた。
次の日は練習に身が入らなくて、練習中に体育館を抜け出した。レギュラーになった奴等が眩しくて、見ていられなくて、逃げ出した。どうしようもなく体育館裏でいじけたように蹲っていた俺に声を掛けてきたのが名前だ。秀徳の制服じゃないものを身に付けていたから不思議に思ったが、その日は学校説明会があったのを思い出した。あの日出会った名前はまだ中学生だったのだ。
「どこか痛いですか?」名前の心配そうな顔に驚いたが、それよりも自分が泣いていたことに驚いた。逃げ出した挙げ句知らない女子の前で泣くなんて思ってもみなかった。名前はハンカチを取り出すと困ったように笑って、躊躇うことなく俺の頬を拭った。その時の俺は相当弱っていたのか、初めて会った名前にすべてを話したのだ。レギュラーに入れなかったことから、今まさに逃げ出そうとしていること。名前も知らなかった名前に対して救いを求めてしまっていた。「ツラいならやめたらいいじゃないですか」…正直聞き間違いかと思った。名前が言ったのは励ましや慰めの言葉ではなく、素直な感想だった。更に逃げ出したくなること言うか普通?とんでもない女だ。でもその後に「後悔してもいいなら、ですけど」という声が聞こえて、いつの間にか立ち上がっていた名前を見上げると、綺麗な笑みを浮かべていた。あれは一瞬で持っていかれた。結局励まされたというのもあったが、やっぱりあの笑顔に持っていかれたんだろう。
礼を言う前に名前は立ち去ってしまい、あの時は名前も聞けないまま、彼女のハンカチだけが手元に残った。でも、説明会に来ていたということは、秀徳に入ってくるかもしれない。学年は中三と言った気がした。なら、また来年会えるかもしれない。あの子が入ってくるまでに、俺はスタメンに選ばれるように努力しよう。
馬鹿みたいに単純な願いは叶ってその子も秀徳に入ってきた。の、だが。

「名字ちゃんやっぱり宮地さんのこと恐いっていたたたたた!」
「なんでだ!」
「俺のせいじゃないっすよね!?」

秀徳に入ってきた名前を見掛けたのは入学式終わりだった。他の学校に入った可能性も少なからずあったから、見付けられたのは嬉しかった。でもあいつは、話し掛けようと近付いていった俺を無視したのだ。目が合ったのに。
その後高尾から聞いたが、名前は俺のことを忘れていて、しかも俺を恐がっているらしい。忘れるのはともかく、なんで恐がってるんだよ。一年前は恐がらずに話し掛けてきたじゃないか。だが、その程度で冷めるような想いじゃない。あの時の言葉も笑顔も俺にくれたものだ。いつか打ち解けられる日がくるはず。そう自己暗示して、絞めていた高尾の首を解放した。まあ死んでないからいいだろ。
高尾には名前との出来事を話していない。俺が彼女に拘る理由も知らずに協力してくれているのだ。…俺が脅してるっていうのもあるんだけど。いつもいつも「名字ちゃんのどこが好きなんすかー?」とか能天気に聞いてくるから大概は無視だ。言うわけあるか。ボケ。

「確かに名字ちゃん素直でかわいいけど…」
「お前がかわいいとか言うな!」
「宮地さん心狭い!」
「うるせぇ!」

名前がかわいいのは知っている。高尾なんかよりずっと前から知ってるに決まってるだろ。
名前と仲が良い高尾を頼ってはいるが、それが今一番の心配事でもある。名前が、高尾を好きになるという可能性の話だ。もしかしたらもう好きになっているかもしれない。高尾が頼んだだけで部活まで見に来る程だ。高尾が名前を好きになることはないと思うが(俺が脅してるから)万が一、仮に名前が高尾を好きになったとしたら俺はどうしていいか分からない。諦めるにも諦めきれないだろう。好きな奴が幸せなら、とか人が良いことなんか言えない。その時はガチで高尾を轢く。
「自分から話し掛けたらいいじゃないっすか」高尾は相変わらず呑気だが、それは無理な話だろ。俺を恐がっているなら、話し掛けた瞬間に泣かせてしまうかもしれない。名前に泣かれたら終了のお知らせといっても過言ではない。ああもうどうすればいいんだ。そもそも、あいつは俺のどこが恐いんだろうか。

「目って言ってましたけど」
「目?」
「宮地さん、名字ちゃんのこと穴が開くほど見つめるじゃないっすか。睨まれてるって勘違いしてますよ」

それを早く言えよ!確かに校内で見掛けた時も授業中に窓から体育やってる名前が見えた時も、視界に入らなくなるまでずっと見つめてしまっている。部活見学に来た時だってそうだ。体育館にあいつがいるのが嬉しくて、それこそ穴が開くほど見ていた。時々目が合うと名前はすぐ逸らしたが、人見知りなのは高尾から聞いていたから勝手に納得していたのに。…睨んでるって勘違いさせてたとか。目付きが悪いのは知ってるし、名前と目が合ったら緊張して更に悪くなるのも知っていたが、それが避けられる理由になっていたのか。死にたい。
ため息を吐く俺に高尾は焦ってフォローを入れてくるが、俺はその笑顔が憎い。あいつは高尾みたいなタイプの方がいいのだろう。俺はこいつみたいにへらへら出来ないし、したくない。俺がやったら気持ち悪いだろ。
そろそろ体育館へ向かおうかと思っていると、部室のドアを控えめに叩く音がした。中には俺と高尾しかいなかったため高尾が返事をすると、いつも遠くから聞いている声がした。ドアを少し開けて顔だけ覗かせたのはやっぱり名前だった。高尾がいることに安心したのも束の間、俺を見て固まったのが分かった。聞いてはいたが直接反応されるとショックがでか過ぎる。俺は名前に関しては打たれ弱いんだよ。「た、高尾くん忘れ物だよ」筆記用具を渡して立ち去ろうとする名前の腕を高尾が掴んで無理矢理引き止めた。何してんだ名前に触るな。相変わらず俺の心は狭い。

「名字ちゃんちょっときて」
「いいよもう帰るの」
「遠慮しないで」
「してないよぉ!」

高尾に引っ張られる名前は俺に会いたくないのか本当に帰りたいのか、もう涙目だ。かわいいとは思うが、俺には他の奴に虐められている名前を見てにやにやする趣味はない。高尾の頭を叩いて「離してやれよ」と言うと、名前は何故か驚いた顔で俺を見た。のも束の間。高尾に背中を押され目の前にいた名前と一緒に部室から放り出された。お前先輩を何だと思ってやがる。直ぐに文句を言おうとしたが、目の前にいた名前が倒れないよう無意識に抱き締めていたことに気が付いた。慌てて手を離したが、名前は顔を真っ赤にして口をぱくぱくと動かしている。くそ、かわいい…!じゃなくて!
とりあえず驚いているだけで、今は怯えている様子もない。何言えばいいんだ。とりあえず勢いか!?逃げられないように両肩を掴むと、びくりと震えられたのが分かった。頼む、泣かないでくれ。

「名字!」
「えっ、は、はい!」
「…恐がらせて悪かった。その、睨んでた訳じゃないんだ」

今にも泣き出しそうだが、言葉の意味は理解してくれたようで、壊れたかのように首を縦に振っている。頭痛くなるぞ。というか、頭ん中でだけ名前で呼んでる俺気持ち悪いな。死んでくれ。しかしまあ、名前って言いそうなのをぐっと堪えた俺は褒めてやってもいいと思う。いきなり下の名前で呼ばれたら気持ち悪いだろ。
名前は首を振るのをやめた後、視線を逸らすことなく俺を見つめた。こんなに長く目が合うのはあの時以来で、嫌でも緊張する。「分かりました。恐がってごめんなさい」あまりに申し訳なさそうに言うもんだから、俺の方が悪いことした気分になる。俺はお前にそんな顔させたい訳じゃない。早く、あの時見せた笑顔を見せてほしい。今は知っているであろう俺の名前を呼んでほしい。「あ、」俺の考えなど検討もつかない名前は思い出したように声を漏らすと、先程放り出された部室に向かっていった。「高尾くん!なんで言っちゃうの!」「ごめんね名字ちゃん叩かないで!」暫くして中から元気な声が聞こえてきたので、思わず笑みが溢れる。俺にもあんな風に接してくれたらいい。早く俺のものになればいい。淡い期待を抱いて、俺も部室のドアを開けた。


(好き過ぎてツラいとか、あるんだな)


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