大人の猫
「わかった。もういいよ」
我ながら子供みたいな捨て台詞を吐いたと思いながら電話を切った。
「研磨くんの、馬鹿」
ベッドにダイブして力なく呟いた言葉に虚しさが募った。じわり、と目頭が熱くなる。
付き合っていても、片想いしているみたいだ。
高1の頃から同級生だった研磨くんと付き合いだしたのは、高3の秋。
猫目のかわいい男の子の世界の中心は、ゲーム時々バレー。わたしが付きいる隙なんて、最初からなかったのだ。
それでも頑張った。毎日教室に入ってくる、または出て行く彼に挨拶をして、席が近くなれば他愛のない話をして、どうぶつの森の攻略方法をきいて……。
だから、好きだと告げたわたしの言葉に、研磨くんがコックリ頷いてくれたときは、明日世界が滅びてもいいと思えるくらい嬉しかった。あの日から1年が過ぎてお互い別々の大学に進学した今も、交際は続いている。
付き合ってからもメール、電話はもちろん、デートの約束を取り付けるのも自分から。初めて手を繋ぐのも、初キスもわたしからだった。基本的に研磨くんは人混みが嫌いだし、デートは専らお家で。
普段は全然それで満足だけれど、先週は大学の友人のSNSにアップされたデートの写真が羨ましくてつい漏らしてしまったのだ。
「ディーズニーランド、行きたいなぁ」
「じゃあ......行く?」
少しして間があってからの意外な返答に驚いた。
「えっ、いいの!?」
「今度の日曜日、バイトないし」
なまえが行きたいなら……。最後の方は、耳を澄ませないと聞き取れないくらい小さな呟きだった。
来週の日曜が楽しみすぎて浮かれすぎていた。浮かれついでにデートのために新しいワンピースを買って、手帳の日付けをハートマークで囲ったり。
だからあの電話で一気に現実に引き戻された。
「ごめん……、日曜のことなんだけど、部活の後輩の試合が入っちゃって」
ガツン、ときた。
ああ、本当に片想いしてるみたいだなぁ。
いつまでもわたしの片想いみたいだ。彼にとって高校のバレー部が“特別”なことはわかっている。
――じゃあ、わたしは? わたしは“特別”じゃないの?
仕方ないことだと思っていても、浮かれていた自分がみじめで、つい八つ当たりじみた言葉がついて出た。
「わかった。もういいよ」
***
翌日、重い足取りで大学構内を歩いているとよく知った声に呼び止められた。
「なまえちゃん?」
「……黒尾先輩」
「うわー、ヒデー顔」
せっかくのかわい子ちゃんが台無しですよ?と 、1学年上の研磨くんの幼馴染は飄々と笑った。
「時間ある?カフェテリアで話そうか」
先輩に促されるまま、学生がまばらのテラス席に座る。高校の時も、先輩には研磨くんのことでよく相談に乗ってもらったっけ、とぼんやり思う。
「昨日さ、研磨と一緒にいたんだよね」
席に着くと先輩はゆっくりと話し出す。
「俺だけじゃなくて、夜久と山本も。んで、リエーフっていたろ?うんそう、あのハーフの、その代の春高予選がちょうど日曜に……」
「わかってるんです」
黒尾先輩の言葉を途中で遮った。今日の夜にでも、研磨くんには謝ります。ご心配かけてすみません。
「今回のことは俺らが悪かった。そっちが先約なのわかってて、こっち来れねぇか聞いてみろって言ったんだ」
それに、と黒尾先輩は申し訳なさげに続けた。
「楽しみにしてたんだろ?デート」
我慢できなかった涙が、ホロリと目からこぼれ落ちた。
「ちょ、」
先輩の焦った声が聞こえる。
「べっ、別にっ、先輩たちの、せいじゃっ」
ないです。最後の一言は声にならなかった。涙は堰を切ったように溢れ出し、わたしは俯く。悲しくてみじめだった。バレーに負ける自分、子供っぽく腹を立てた自分、先輩になだめられる自分。......研磨くんからの連絡がなかったことにひどく傷付いている自分。いつだって、研磨くんの世界の一部になれないわたし。
「ちょっとクロ、何泣かせてるの」
突然、聞こえるはずのない声が聞こえてわたしの涙は凍りつく。
「おー研磨、早かったな」
お前、王子様みたいだぞ、と黒尾先輩が茶化すように言った。
「なまえ、立てる?」
研磨くんはわたしの手を引いて歩き出す。人気のない中庭のベンチまでくると、わたしを座らせてそっと、顔を覗き込む。
「なまえ?」
研磨くん、大学は?どうして居場所がわかったの?わたしに会いに、来てくれたの?聞きたいことは、いっぱいあったけれどどれも言葉にならなかった。
「研磨くん、ごめんね」
彼は虚をつかれたように目を見開いて
「ううん、俺の方こそごめん。その、日曜はやっはり」
「もういいよ、本当に」
だって、ここに来てくれた。それが重要なことで他に何がいるだろう。
研磨くんが黙り込んでしまったので、伺うように顔を上げると大きな猫目と目が合った。そしてゆっくり顔を近づけてきた彼に唇を塞がれる。いつになく積極的な研磨くんに驚いて硬直していると、触れ合った唇が離れ際ペロリっと唇を舐められる。
「なまえの唇、しょっぱいね」
「っ〜〜!」
「埋め合わせには全然ならないけど、これからふたりでデートしようか」
そう上目遣いで聞いてくる研磨くんはいつものかわいい研磨くんのはずなのに、全然知らない男の人の顔で笑った。
大人の猫(もう少し、かわいいこねこちゃんでいてあげたかったけど)
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