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澄ました顔の悪魔

淡白で潔癖。それは佐久早の個性だと思って受け入れてきた。
「まだキスもしてないの?!」と女友達に驚かれても、初めてのお泊まりの日に手を出してもらえなくても、私はこの人のことが好きだし、彼女という他の異性とは違う特別なポジションにいる訳だし、と自分に言い聞かせて。佐久早は粘膜同士の触れ合いなんて一生無理かもしれない、と頭をよぎったこともある。でもまぁ、それでもいいか。今の時代、愛のカタチなんて人それぞれなんだから。半ば本気でそう思っていた、今日までは。

ひ、酷すぎる。私はテレビの前で凍りついた。世界大会でメダルを獲得した男子バレー日本代表メンバーは、連日ワイドショーに引っ張りだこだ。忙しくて全然会えていない恋人の姿が見れるのは、例え画面越しでも嬉しい。今日も慌ただしい出勤前の時間に、こうやってテレビの前にスタンバイしていた。

「佐久早選手は、ITC48の前野愛子さんの大ファンということで」
「えー本当ですか、嬉しい!佐久早選手、前野でーす」

一体何を見せられているんだろう。テレビからは自分の恋人が、国民的アイドルグループの人気メンバーとよろしくやっている様子(語弊がある)が映し出される。ていうか佐久早、アイドルとか好きだったんだ。彼女なのに、そんなことも知らなかった。さてその恋人はというと、愛らしい笑顔を浮かべたアイドルと、満更でもない風で握手を交わしている。
ああそう言えば、佐久早と最後に手を繋いだのっていつだっけ。ポキリと心が折れた。

仕事を終えて携帯を見ると、佐久早から鬼のような着信とメッセージが入っていた。「心が折れたので別れてください」と一言、今朝送って置いたのだ。こんな時でも、佐久早からの連絡は嬉しい、少しは自分に執着してくれていた証のような気がして。けれどやはり返事をする気にはなれなくて、足早にエレベーターに乗り込む。今日は早く家に帰って寝てしまおう、明日からは待ちに待った週末だ。

「おい」

職場の自動ドアを出た瞬間、不機嫌な声に呼び止められた。目の前には、この世の理不尽を全て詰め込んだみたいにくらい目をした佐久早が立っている。

「今朝の、どういうことか説明しろ」
「えっ、えーと」

だから…、別れたいなって。ヘラリと笑いながら言うと、佐久早の発する圧が尋常でないほど跳ね上がった。

「は?なに勝手に決めてんの?そんなんで俺が納得すると思った?」

うーん、ここで一歩引いて「俺、何かした?」とならないところが佐久早らしいと思いながらも、私も頭にきている。職場で待ち伏せまでして、この男はこんなことが言いたかったのか。

「……今朝は“愛ちゃん”にデレデレだったね?」
「はぁ?あんなん宮が勝手にスタッフに…ってかそんな事で腹立ててんのかよ」

心底くだらないというように溜息を吐く佐久早に、目頭が熱くなった。

「もういいです、さ、佐久早さんとは価値観も合わないみたいなので」
「お、おい」
「お話することは…ヒック、何もありません」

他人行儀な敬語を使い出した上に突然泣き出した私に、行き交う人々が不信な目を向ける。

「……チッ。お前ちょっとこっち来い」
「わ、ちょっ、」

抵抗する間もなく、車道に停めてあった車に連れ込まれると、すぐにアクセルが踏まれる。その間も泣き止まない私に、彼の眉間のシワはどんどん深くなっていくばかりだ。不機嫌なオーラを出しながらハンドルを切る恋人と2人きりの車内は、私が鼻を啜る音以外聞こえない。

「……別れねぇからな」
「やだ、別れたい」
「……なんで」
「…じゃあ、私とキスできる?」
「は?」
「私のこと抱ける?…出来ないでしょ」
「お前、自分が何言ってるか分かってんの」
「わ、分かってるよ!私が何にも気にしてないと思った?佐久早の〇△※%〜〜!」

最後の方は言葉にならなかった。またもえぐえぐと大号泣をキメる私に佐久早はこれみよがしに溜息を吐くと、人通りの少なくなった路地に車を停めた。

「なまえ」

条件反射で顔を上げると涙と鼻水でべしょべしょのそれをみて佐久早が「汚ねぇ」と辛辣に言い放った。そこは嘘でも「そんなところもかわいいよ」でしょうが!
しかし彼は驚くべきことにそのまま色んな液体でべしょべしょの私の唇を指で拭うと、ちゅっとリップ音をたてて口付けをした。あまりに驚き過ぎて「あ」の口をした私の口内に、容赦なく舌が捩じ込まれる。こんなにムードもへったくれもないファーストキスってあるんだろうか。
好き勝手口内を犯されて息も絶え絶えの自分から澄ました顔で、運転席に身を戻す恋人が“情欲に濡れた男”の顔をしていてすくみ上がった。
そのまま右手をとられ、ズボン越しでも分かるくらい硬度を持ったそこに押し当てられる。
「ヒッ」っと思わず口から出た悲鳴はそのままに、くつくつと楽しそうな笑い声が聞こえた。

「お前さっき俺に抱けるかって聞いたよな?」

美しい悪魔が笑う気配に眩暈がした。

澄ました顔の悪魔

(だって、こんなにも人の心を惑わせる)

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