所詮はきみの精 ※直接的な表現はありませんが苦手な方は注意! 「おい」 夕食後、入浴を済ませてソファでぼんやり眺めていたテレビの電源を急に落とされて、なまえはその犯人である佐久早に視線を向けた。 「………見てたのに」 「明日も仕事だろ」 「………?いつも起きてる時間だけど」 社会人になってからというもの、出来るだけ日付けが変わる前には就寝を心掛けているけれど、時計は22時を回ったところだ。まだ寝る準備には早い気がする。 「……お前が言ったんだろ、子供欲しいって」 「えっ」 なんの脈絡もない導入に、この人はいったい何を言い出したのかと、思わず旦那様を凝視してしまう。 「飯綱さんとこの子供みて羨ましがってたじゃん」 「それはそうだけど……」 どうして彼はいつも段階をすっ飛ばしてしまうのだろう。 先日、高校時代お世話になった先輩夫妻宅にお邪魔して2ヶ月前に生まれたばかりの赤ちゃんをみせてもらった。 小さくて、触れたら壊れてしまいそうな乳児になまえはすぐに夢中になった。 飯綱先輩の奥さんに「抱っこしてみませんか?」と声をかけてもらい、恐る恐る抱き上げるとその温かな産まれたての無垢な生き物からはミルクの香りがして、何より親になったふたりの幸福そうな顔を見て、胸がいっぱいになった。 夫妻に言い含められて、赤ちゃんを受け取った佐久早も目を丸くしていていたので、なまえは笑いを抑えるのに必死だったのだけど。赤ちゃんと佐久早って、あんまり似合わない。 「赤ちゃん、かわいかったね」 「ああ」 「ちっちゃくて、いい匂いがした」 帰りの車の中でも興奮は冷めやらず、助手席で嬉々として話すなまえに、佐久早はいつものように聞いているのかいないのか分からない淡白な相槌を打つ。 「聖臣は?男の子と女の子どっちがいい?」 「………別にどっちでも」 「言うと思った」 佐久早の冷めた反応には慣れっこなので、むしろ予想通りの言葉が返ってきたことに笑ってしまう。 「確かにどっちでも嬉しいけど、両方いたら楽しそうだなぁ」 なまえの呟きに返事はなかったので、この話はこのまま終わりなんだと思っていた。 それが、だ。 ソファーの前に立ちはだかる佐久早に、なまえは本能的に危機感を覚えて思わずクッションを抱きしめる。 大体、この人はいつもやることが極端だ。 0か100か。佐久早には言葉も行動も超キレキレのストレートしか通用しない。 新婚生活は、概ね順調と言ってよかった。 プロポーズ前のいざこざで猛省した旦那様は、以前よりもコミュニケーションをとろうと努力してくれるし(従兄弟曰く、普通の人には分からない程度の変化らしいが)、基本的に外に出ることを好まない彼は飲みにも行かずに真っ直ぐ家に帰ってきては家事を手伝う、極めて家庭向きな人間だ。 入籍を機に引っ越したマンションにも家具が増え、ようやく家らしくなってきたところ。 本当になんの不満もなかった。なまえには。 「おら、早くしろ」 抱きしめているクッションを奪い取るようにしてソファーに戻すと、なまえの手を軽く引っ張って立たせ、寝室へと連れて行こうとする。 ていうか、聖臣って子供のこととか考えてたんだ……、なんか全然そういうの興味なさそうだったし? オムツとか替えられる…? 無理でしょ。 寝室のベッドに倒されると、その上に佐久早が覆い被さってくる。早い、あまりに性急だ。 情緒もへったくれもない夫の様子に、なまえの方が気持ちが追いつかない。 なんだか、ずっと恋人気分が抜けない自分よりも、佐久早の方がずっと大人で現実的だったのも少しショックだ。 「仕事がある日は嫌って言ってたけど、そんなこと言わせねぇからな」 「ねぇ、ちょっと待ってよ」 「なに」 「なんか業務的っていうか、義務感っぽくなってない?」 「は?」 「なんかもうちょっと雰囲気とか……あるじゃん」 口に出してみてるとあまりに子供っぽくて、尻すぼみになってしまう。 ……でもだって、まだ新婚だ。もう少し結婚に夢を見させてくれたっていいだろうとも思う。 「じゃあどうしろって言うわけ」 いつも通り冷静で淡々とした言葉が返ってくるのを待ち構えていたのに、いつまで経ってもその声は聞こえてこない。 黙ってしまった佐久早の顔を伺うように目線をあげると、相変わらず何を考えているのか分からない漆黒の瞳とかち合った。 「ど、どうしたの」 「どうしたらお前が満足するか考えてる」 「へ?」 「雰囲気、出した方がいいんだろ」 「……そういうことは口に出さないでやってほしいです」 恥ずかしくて、死にそう。 なまえの言葉に佐久早は少し考える素振りをみせてから「……努力する」と短く答えた。 「でもまぁ、満足させる自信はあるけど」 そう言って耳に唇を寄せた佐久早は、ふーっと長い息を吹きかけた。 「……っ」 それだけで、期待に疼いてしまう身体が憎い。 で、どうする?と俺はまだ、2人でもいいけど。と紡がれた言葉に、今度こそ覚悟を決めなければならないと思った。 佐久早は昔から中途半端を親の仇のごとく嫌っている。言い出してしまったら、出来るまでだ。 「嫌なら、やめる」 さっきまでの有無を言わせない雰囲気はどこへやら、最後になまえの様子を伺ってくるそのいじらしさに、負けた。 「きて、聖臣」 両手を誘うように広げれば、佐久早の薄い唇がふっとゆるむ。 そのままその冷たい唇があたる感触を確かめながら、なまえはそっと目を閉じた。 |