小説 | ナノ



まだ春の鼓動を知らない


※設定捏造。何でも許せる方のみ。





「二階、すきに使ってええから」

ただし、朝と夜はうちで飯を食うこと。約束やで。そう言って穏やかに笑った治くんの厚意に甘えて、おにぎり宮の上の階にある部屋に泊まらせてもらうことにした。

二階は簡易的なキッチンとトイレがついた和室になっていて、開店当初のバタバタしていた頃は治くんが使っていたそうで、押入れには布団が入っていた。

さすがにお風呂はなかったので、店から徒歩3分のところにある銭湯に行った。なまえさんとお風呂に入りたいと言ってくれた莉子ちゃんと一緒に。

5歳も年下の女の子だけれど、大阪に来てから仕事以外でこんなに同性の友人と親しく話したことはなかったかもしれない。

「明日は店長が昼休んでええ言ってくれはったんで、お出かけしましょうね」と言って笑う彼女は、わたしよりもずっと大人びて見えた。
ひとりでは本当にマイナスなことしか考えないので、この申し出はありがたい。
人間は明るくて素直なだけで他人を幸せにするのだなあ、と思う。

そういえば、公衆浴場になど久しく来ていない。
佐久早は浴場やプールなど、不特定多数の他人が利用する施設がすきではない。……というより嫌悪している、と表現した方が正しいかもしれない。
なんでも、「あんな不衛生なところにすき好んで行く奴の気が知れない」らしい。
わたしは大きいお風呂がすきなので、東京にいた頃は女友達とよくスーパー銭湯に通った。ひとりで行ってもいいけど、気の置けない友達とおしゃべりしながら浸かっているといつまでも入っていられそうな気がしてくるから不思議だ。


帰ってからずっとコートのポケットにしまい込んでいた携帯端末を確認すると、ものすごい数の通知が来ていた。
画面をスクロールすると、東京の女友達や古森、バレー部のチームメイト、さらには実家の母からも連絡が来ているようで胸が痛んだ。
そりゃそうか、今をときめく女子アナとのスキャンダルなんだから。週刊誌でもネットでもあれだけ取り沙汰されて、知らない人間の方が少ないだろう。

佐久早からは電話もメッセージも数分とあけずに届いていたけれど、既読をつける勇気はなかった。
さすがに、同棲中の恋人がいきなり姿を消すと、彼も動揺するのか。

こんな時でさえ、佐久早が心配してくれて少し嬉しい。
自分の歪んだ思いに自嘲めいた笑いが漏れる。

もう、疲れたな。
佐久早をすきでいるのは幸福で、そして不幸だ。
彼は死ぬまで自分の飼い鳥の面倒を見ることに不満はないだろうが、わたしは籠の中の鳥になっても彼の傍にいたいのだろうか。

“キレイなものは、遠くにあるからキレイなの”
ふと、何年も前に流行った歌謡曲の一説を思い出す。
幸せいっぱいの2人を歌った曲のはずなのに、ここだけ浮いているんだなと思った10代の頃の自分。


久しぶりの和布団にくるまって、眠る間際までぐるぐると佐久早のことを考えていた。

今夜、聖臣は誰と一緒に眠るのだろう。
それとも、あのクイーンサイズのベットでひとりで眠るのだろうか。


「むっっちゃすきです!結婚できたらええなって思っとります」

さっき別れた莉子ちゃんの声が蘇る。

本当に治くんのこと好きなんだね、と言った際の彼女の返答だ。
そう言ってしまえる若さと素直さが眩しい。臆病なわたしには逆立ちしても出来ないことだから。


あんな風にてらいなく、あなたのことが大すきだと、ずっと傍にいてほしいと言えたら。



***



翌朝、練習場に現れた佐久早の調子が最悪なのは誰の目にも明らかだった。

週刊誌の件を知っているチームメイトたちは、まぁ無理もないと腫れ物に触るように佐久早を扱ったが、この男だけは違った。

「臣くん、今日ダメダメやなぁ」
「……あ"あ?」

まずい。最近2人とも年相応に落ち着いてきたとタカをくくっていたチームメイトたちは冷や汗をかいた。
侑のバレーに対する潔癖さと他人に対するデリカシーのなさは折り紙つきだし、佐久早のあ"あ?は相当頭にキていることを表している。
一気に練習場に緊張が走った。

「週刊誌に撮られたくらいでええ大人が何へそ曲げてんねん」

いや、お前は撮られ過ぎだろ。少しは反省しろよというチームメイトの思いを侑は知る由もない。


「どうせなまえちゃんと喧嘩して機嫌最悪なんやろ。そんなんバレーに持ち込むなや」
「宮、その辺にしとき」

すかさずキャプテンの明暗が声をかける。


「喧嘩はしてない。なまえは出てったから」
「ほーん………って、は?」
「昨日帰ったら荷物がなかった」
「はぁあああ?」

一触即発の空気がおさまって胸を撫で下ろす暇もなく、今度は辺りに沈黙が下りた。
自他ともにポンコツを認める侑も、恋人に出て行かれたチームメイトをこれ以上煽る気にもならず、そそくさと練習に戻る。


「臣、大丈夫か…?」

明暗は佐久早に近づくと軽く背中を叩く。

「……ダメかもしれません」

普段、冷静でポーカーフェイスの代名詞のような後輩が、珍しく素直な弱音を吐露したことに明暗は少なからず驚いた。

「連絡もとれんの?」
「昨日から電話も出ないし、既読もつかないす」
「……あー、それは大分怒らせてしもうたな」


怒っている?なまえは怒っているのだろうか。怒ってくれているならまだいい。
でも、彼女は自分に失望したのではないかと佐久早は思う。

「そない気落ちせんと。彼女とは長いんやろ?そのうち帰ってくるで」

黙り込んでしまった佐久早を気遣って、明暗が言葉をかける。

その日の練習は1日中身が入らなかった。

自主練をするチームメイトたちに背を向け早々と練習場から引き上げる。ロッカールームで端末を確認するが、なまえからの返事はおろかやはり既読も着いていない。所謂、未読スルー。

その代わりと言ってはなんだが、古森から数件着信が入っている。

佐久早は基本的に、他人に相談事をするのが得意でない。
決断はいつもひとりでするので、口に出す時には既に決していることがほとんどだ。
多数あったオファーの中から、ブラックジャッカルを選んだのも、自分で考えた末に決めた。

小学校から大学まで、佐久早は常に“エース”だったので、そもそも人に弱い部分をさらけ出すのは戸惑われたし、それほど深い人間関係を築くのも苦手だった。

………この、同い歳の従兄弟を別にして。


ロビーに出て電話をかけると3コール目で繋がった。

「おー聖臣、えらいことしちゃったじゃん」
「………うるさい」
「で、何?お前本命は女子アナだったわけ」
「そんなわけないだろ!」

思わず大きな声が出て、あわてて声を落とす。
この場にいない従兄弟に当たっても致し方ないのだ。簡潔に、なまえが書き置きをして家を出たこと、連絡がとれないことを説明する。


「……………………まじか」


たっぷりの沈黙の後、古森は溜息と共に呟いた。
みょうじ、俺にも返信ないから心配だったんだけど、お前ら最近順調そうだったじゃん。
籍入れるのも時間の問題かと思ってた。


「………俺もそう思ってた」
「実家には?連絡した?」
「したけど、帰ってないって」
「お前、みょうじの家族に心象最悪じゃん」
「……………」


歯にもの着せぬ物言いは古森に許された特権のひとつでもあるが、さすがに今の従兄弟には応えるかもしれないと思う。しかし耳障りのいい言葉をかけてやる気は毛頭ない。

「多分みょうじはあの記事まんま信じてるし、自分の方が浮気相手だったんだ、とか思ってるよ居なくなったてことは」
「………んっとに信じらんねぇ」
「みょうじもバカだけど、聖臣も大概じゃん?」

恋人不安にさせてたことに気づかないんだから。古森が言い切ると、電話口にしばらく沈黙が降りた。

なぁ元也、と端末越しに心細い声が聞こえる。

「このまま戻って来なかったらどうしよう」

それは昨夜から佐久早が何回も考えた最悪の結末だった。もし、万が一、なまえがこのまま帰ってこなかったら。

「大丈夫だよ聖臣、お前のしつこさはみょうじだって分かってるんだから」

地の果てでも追いかけていって、連れ帰って来ればいい。もう一回口説き落とすくらいの甲斐性はお前にもあるだろ?


「………強行手段だな」

呆れたような佐久早の声は、微かに笑いを含んでいるように聞こえた。



***



莉子と1日大阪の街を堪能したなまえは、暖簾を下ろしたおにぎり宮で遅い夕食をとっていた。

出汁の効いた玉子焼きに、三つ葉のお吸い物、おかかのおにぎり。
昼間もさんざん食べたのに、こんなに自分を甘やかして大丈夫かしらと思う。

ふと、佐久早はちゃんとご飯を食べたかなと思い、すぐに苦笑する。
彼の自己管理能力の高さは自分が1番よく知っているではないか。同居人がいなくなったところで、完璧なルーティンが崩れることはない。
なまえが感傷的な物思いに耽っていたその時、戸口の方が突然騒がしくなった。


「おっと、サムー!サムいてるやろ」
「侑さん!……佐久早さんも、急にどないしたん?」

莉子があわてて入口まで行くと同時に、治に目で促されてなまえはそっと引き戸あけて二階へと繋がる階段のあるスペースに身を隠した。


「おいツム、来る時は連絡せぇ言うとるやろ」
「仕方ないやろ、臣くん潰れてしもてん」

190センチの大男担いで帰るとか、無理やん。

酔い潰れた佐久早を肩を組んで支えながら、侑が店内に入ってくる。
片付いていないカウンター席を見やって「誰かおったん?」という片割れの問いに、「常連さんや。さっき帰ったらところやねん」となんでもなさそうに治は答える。


「突然すまんかったなぁ。なまえちゃんに出てかれて、荒れとんのや」
「………そいつは大変やな。連絡つかんの?」
「電話も出えへんし、メッセージに既読もつかんのやて」
「ほぉん」
「こんなポンコツな臣くん初めてやわ……」


なまえは、扉一枚隔てた場所で息を殺していた。
すぐ脇の階段をあがれば二階の和室に行けるが、木造の古い階段は人が踏むと軋んで音を立てる。何も聞きたくない、と思うのと同時に置いて来た恋人の様子が気になった。


「よう臣くんがお前と2人で飲み行ったな」
「2人ちゃうわ。さっきまで明暗さんとぼっくんもおってん」

2人とも所帯持ちやからな、あんま遅うなるとあかんやろ。さっきまでは臣くんもしゃんとしてたしな。

「それでお前が引き取ってきたんか。えらい優しいとこあるやん」
「アホ!俺を何やと思うとんねん」

関西人だからなのか、双子だからなのか、息のあった掛け合いをみせる宮兄弟に莉子がふふふと笑っている。

「サム、臣くんになんや食べさせてやってくれへん?」

こいつ、酒ばっかで何にも食べへんねん。
この調子やと昨日の夜からろくなもん食べとらんわ。

「ほぉん、そりゃカワイソウやけど、1番傷付いとるんはなまえちゃんなんとちゃう?」

ピクリ、とカウンターに突っ伏していた佐久早の指が震える。

「サムのアホ!今そんなこと言うてどないすんねん……!」
「なぁ臣くん、そない人肌恋しいんやったらあの女子アナのとこへでも転がりこめばええやろ?」

普段、自分より格段に温厚な片割れは一体どうしてしまったのかと、侑はあんぐりと口を開ける。その傾向は社会人になってからより一層顕著で、兄弟のチームメイトにここまで嫌味を言うなんて全く治らしくない。

「ちょ、なん?サム……?!」

佐久早が気だるげにカウンターから顔をあげる。


「今をときめく女子アナはどうやったん?」
「店長!」
「サム!」
「………………ってねぇよ」

頭が痛むのか、佐久早が片手でこめかみを抑えながら、目だけは治を睨みつける。

「俺にはなまえしかいない。今までもこれからも」

白井百合香とはこの6年間連絡一本とってないけど、でもそんなの、なまえが信じないなら意味ない。

「ほーん、で?諦めるんか?女に逃げられたんでへそ曲げて自棄酒なんて随分かっこ悪いなぁ」

驚いたことに、治に煽られた佐久早は冷静だった。みんなーー、侑でさえ今日は彼に気を遣っていたが、治のストレートな物言いに、かえって頭はクリアだった。


「俺の不注意でなまえを傷付けた。責任はとる」
「責任て、臣くん……」

侑が戸惑ったように佐久早を見る。
佐久早は誰に向かって言うでもなく、ポツリと心情を呟いた。


「………何年かかっても見つけ出して、もう一回振り向かせてみせる」


滝に打たれたように静まりかえった店内に、店主の穏やかな声が響いた。


「やって、なまえちゃん」


なまえは止めていた息を、ゆっくりと吐き出した。




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