小説 | ナノ





※何でも許せる方のみ。


きみの唯一の死因になる



「誕生日どうしよっか。外で食事でもする?」
「………家でいい」

予想通りの答えが返ってきて、思わずくすくすと笑いが止まらなくなってしまう。

「午後休みとるから、ご飯作って待ってるね」
「ん」

恋人の了承を得て、さっそくなまえは頭の中で当日の算段を立て始める。料理はあまり得意ではないけれど、年に一度の特別な日にはせめて美味しいものを作りたい。
去年は張り切って品数を多く作りすぎ、結局練習帰りの佐久早に手伝ってもらう羽目に。
今年こそは、そんな失態を犯さずに恋人が思わず感心してしまうような食事にしようと密かに意気込んでいた。


事件が起こるのは、いつも唐突だ。
それも全く予期していない方向から。

ピロンという、メッセージアプリの受信を告げる着信音で、バスルームに向かった恋人がテーブルに携帯を置いたままなのに気づく。
見るつもりなどなかった。
人間は追い詰められたときに「そんなつもりはなかった」という言葉を使いがちだけれど、本当に“そんなつもりはなかった”。
何の気なしに目をやった端末の画面には“白井百合香”とある。白井百合香って、あの、白井百合香だろうか。


“昨日は楽しかった。よかったらまた会いたいです”


意味深な文面だなぁ、とどこか他人事のように思う。
確か昨日はどうしても断れないチームの飲み会とやらで佐久早にしては珍しく、日付が変わってから帰ってきた。
白井百合香は、彼の大学時代の恋人だ。俗にいう、元カノ。

大学卒業後、キー局の女子アナウンサーになった彼女は今や、ゆりパンの愛称で親しまれ朝の報道番組を初めバラエティや夜のスポーツ番組など5つのレギュラー番組を受け持つ超売れっ子だ。近々フリーへの転向も視野に入れているのではと囁かれている。


まさか。聖臣に限って。


それに彼女が住んでいるのは関東で、本社を大阪に構えるMSBYとはいささか距離が離れすぎている。

そう思いながらなまえは自分の手が少し震えていることに気付いていた。
勝てっこない。容姿も能力も何もかも。
自分が彼女に勝っているものなど、何一つとしてありはしない。佐久早がもし彼女の方が好きだと言ったとして、なんの不思議があるだろう。


すぐに問い正せばよかったのに、タイミングを逃してしまうことが人生には往々にしてある。その日のなまえもそうだった。

“昨日の飲み会、楽しかった?” “さっき偶然見ちゃったんだけどね” 口に出そうとした言葉はどれもわざとらしく思えて、結局、音になることはなかった。

風呂上がり、置き忘れた携帯端末を確認した恋人がさっと自然すぎるほど自然になまえから離れたソファに座るのを見て、ますます疑いが強まった。

自然さを装った不自然さーー。



その夜、恋人に求められてなまえは、甘んじて行為を受け入れた。
体調が優れないと断ろうと思ったけれど、もしかしたらこうやって肌を合わせることも最後になるかもしれないと思って。


「なまえ、やめとく…?」

途中、あまり乗り気でない恋人の様子に気付いて佐久早が顔を覗き込んできた。

「ううん大丈夫だから、きて」

しばらく伺うような視線を送ってきた佐久早が観念したのか、ふぅと息を吐くとゆっくり推し入ってくる。

好きだな、と思う。快楽に耐えるようにひそめられた眉も、熱い吐息も、癖のある髪も、額に並ぶホクロも、全部。

同時にとてつもなく打ちひしがれた。
この顔を彼女にも見せたことがあるのかもしれない。
今この瞬間も、自分と彼女は比べられているのかもしれない。
佐久早はそういうことをする人間ではない。
それは自分が1番よくわかっているはずなのに、今だって問い正せば彼はちょっと不機嫌になりながらも否定してくれるのではないかと思っているのに、なまえにはそれが出来ない。

だってもし、真実だったら?
彼は夜出歩くことも好きではなく、今までそんな素振りを感じたことはないけれど、それはなまえが佐久早のことを信じきっていたからであって、しょっちゅう試合で遠征ばかりのバレー選手が誰かと密会することなんて容易いことではないか。

ひどい顔を見られなくなくて、佐久早の背中に腕を回して必死にしがみつく。鍛えられた背中は見た目よりも厚くしっかりしているので、いつもなら安心して抱きつけるのに、今日はどれだけ密着しても心は遠のいたままだった。

内心動揺しているのに、身体は素直に彼を受け入れて、とめどなく濡れた音を響かせている。

神様は残酷だ、心も身体も彼に馴染むように作り変えられてしまったというのに、彼はわたしを捨てるのだろうか。



***



トドメの一撃は、誕生日当日にやってきた。

誕生日までの1週間、佐久早は至っていつも通りだった。
あまりに普通だったので、やっぱりあの神経質な恋人が浮気なんてするはずがないと、あのメッセージは何かの間違いだったのではないかと思ったほどだ。

誕生日プレゼントには前から欲しがっていたアップルウォッチに。
下準備をバッチリ終えて出社した金曜の朝、メールチェックをしていると、隣のデスクに座るかわいい後輩が声を上げた。


「あ、ゆりパン熱愛発覚?お相手はバレーの日本代表選手らしいですよ」
「えっ」

あわてて後輩のPCを覗き込み、言葉を失う。
記事に目を通すと簡潔に、本日発売の週刊誌に独占スクープが掲載されるとあった。

その日本代表選手が誰なのか、わたしにはもう察しがついていたけれど、一縷の望みを捨てきれず、あわてて近くのコンビニに駆け込む。

お目当ての週刊誌を開くと、そこにはホテルへと連れ立って歩く1組の男女の白黒写真があった。
間違いなく、佐久早だ。あまりの衝撃に頭がくらくらする。
記事には2人が同い年で、同じ大学出身であること、過去に交際歴があることにまで触れていた。
お互いに未練があった2人が、社会人になり人生経験を積んで、やはりこの人しかいないと再び交際をスタートさせたようだと記事は結んでいる。

そうだったんだ、とやけに冴えた頭で思う。
未練があったんだ……、それもそうか。
大学時代の苦い記憶が蘇り、しゃがみこんでしまいそうになる。

なぜ、週刊誌というのは金曜日に発売されるのだろう。人々が休日に心躍らせる、1番心安らかな日に。なぜ。今日は彼の、27回目の誕生日なのに。

オフィスに戻ると真っ青ななまえの顔を見た後輩が心配そうに覗き込んでくる。

「みょうじさん、大丈夫ですか?今日午後休だし、メールわたしが確認しとくので帰って休んで下さい」

後輩の優しい言葉に甘えて上がらせてもらうことにしたけれど、なまえはふと気づいてしまう。


帰る……でもどこに?
わたしにはもう、帰る場所がない。

とにかく出ていかなくちゃ。あの部屋にはもういられない。佐久早との思い出がいっぱい詰まった、あの1LDKの部屋には。

急いで家に帰ると最低限の荷造りをする。
さすがに同居人がいきなり出ていったのでは心配するだろうと、書き置きをした。

“お誕生日おめでとう。挨拶もなく出ていってごめんなさい”


今までありがとう、と書こうとして書けなかった。
もしかしたら佐久早にとって今までは余計な時間だったんじゃないかという絶望と、この関係をどんな形であれ自分から終わらせるようなことをするのが怖くて。

最後に今年の誕生日に佐久早がくれた指輪を右手の薬指から外して、書置きの上に置いた。渡すはずだった誕生日プレゼントと一緒に。

端末には佐久早から“ごめん、帰ったら話す”というメッセージが届いていたけれど、一体何を話すというのだろう。

贖罪も言い訳も、聞きたくなかった。
お願いだから別れてくれ、なんて懇願された日には冷静でいられる自信がなかったし、顔を見たらひどいことを言ってしまう気がして。



***



「佐久早、広報部の担当者が来てる」

今日は朝から1日練習のはずだが、佐久早が練習場に足を踏み入れた瞬間、犬鳴にそう告げられる。

広報部?今日は取材の予定はなかったはずだけど……。

首をひねりながら練習場内にある応接室へと向かう途中に見慣れた金髪とすれ違う。


「臣くん、えらいやらかしてしもうたな」
「は?」
「なまえちゃんはもう知っとるん?」
「………何の話だよ」
「女子アナはまずいんちゃう?俺が女ならプライドズタズタやわ」

てか、ゆりパンが元カノってほんま?羨ましすぎるやろ……。

ここまで言われて分からないほど自分も鈍くない。どこかの週刊誌にでも撮られたんだなと思い当たる。
先週あったMSBYの飲み会、自社の役員を混じえた親睦会の意味もあるそれに、毎年チームからも何人か参加するが「臣、今年はお前も出てくれへん?」と明暗から言われれば、当然断る権利はなかった。

明暗と宮と佐久早、言わばチームの広告塔として参加する訳なのでチームキャプテンと日本代表選手として招集された経験のある2人が呼ばれるのは妥当だろう。

普段なら絶対足を運ばないような高級料亭で行われたそれは、言わば自分たちのスポンサーを接待する場だ。
実業団を有するほどの大企業に入ると実感する。自分たちは歯車のひとつに過ぎないのだと。

明暗と宮に続いて酌をしてまわる。佐久早以外の2人は慣れたもので、特に宮の方は「絶好調ですわ」「ほなまた絶対観に来てくださいね」などと愛想を振りまいている。

対して自分は、「ああ佐久早くん、先日は大活躍だったね」と掛けられる声に「ありがとうございます」「また頑張ります」と、行儀的に返すだけだ。

俺じゃなくて、木兎くんの方が良かったんじゃ…?
ひと通り酌を終える頃には佐久早はすっかり疲労困憊だった。

最後のひとりに酌をしようと、佐久早がそっと近付くと人の良さそうな風貌の50代くらいの男性が落ち着いた声で言った。確かMSBYの常務執行役員だ。


「佐久早くんだね」
「橘常務、ご挨拶が遅れてすみません」
「いやいや、そう固くならずに。本当にハンサムだなぁ。君と宮くんのおかげでブラックジャッカルは女性ファンが増えたんだってね」
「はぁ、お陰様で」

女性ファンが増えたのが自分と宮のせいかどうかは怪しいが、気の利いたことは言えないのでとりあえず当たり障りのない相槌を打つ。


「実は佐久早くんにぜひ会いたいという知り合いがいてね」
「はぁ」
「二次会に招待してもいいかな?」

チラッと隣の明暗に目をやると、彼はあからさまに渋面を作った上でコクリとひとつ頷いてみせた。
最近スターティングにこそ名を連ねることは少なくなったが、30代も半ばに突入して未だにチームの精神的、技術的柱である主将の顔を立てなければと思う。
自分もまだ20代とはいえ、直にベテランの域に入る。自分が働いた無礼を諌めて取り成してくれた従兄弟も先輩もここにはいない。

恋人からはいつも口を酸っぱくして、女性やお年寄り、子供には優しくしろ、ファンは大切にするべきだと言われるし、全然外食して来ない佐久早にチームメイトとの関係は大丈夫なのかと心配し出す始末だった。

あんまりなまえが心配するので、一度ほぼ同期である日向と彼と仲のいい先輩の木兎を家に招待したことがある。(宮にだけは絶対言うなと釘を刺した)
2人はなかなかいい客人で、彼女が張り切って作った料理を美味しいと言って食べ尽くしたし、佐久早が普段話さないようなチームでの出来事を面白おかしく話してなまえを笑わせてくれた。
すっかり2人に心を許したなまえが2人を見送りながら「これからも佐久早と仲良くしてやって下さい。お願いします」と頭を下げたのには絶句したけれど。
こいつは俺の母親か…?と思ったが、いい歳してここまで心配されるのも決まりが悪い。
社会人になってからの環境が佐久早を大人にしたのは間違いない。
こんな自分でも通り一片の社交辞令は身に付けてきたつもりだ。
学生時代の険のある感じが抜け、近寄り難い雰囲気が薄れた佐久早にはファンが増えた。もともとのルックスのせいか特に女性からの人気は抜群で、差し入れやプレゼントをもらうことも格段に増えたけれど、なまえはヤキモチを妬くどころか、いい傾向だと喜んでいた。

そういうところが、たまらなくすきだと思う。
彼女の自分を信頼し、全てを預け、一緒に戦ってくれているという実感は、これまで2人で積み上げてきた時間があってこそだと思っている。

自信があった。彼女だけは自分がどんなに格好悪い失態を犯しても味方でいてくれる。愛されているという、自信が。



二次会の会場はこれまた会員になるために入会金がうん百万必要とか言われている高級クラブで、その洒落た雰囲気やいかにもな人間たちが佐久早を辟易させた。

酒は強くも弱くもないが、外で飲むのは好きではない。
特に親しくもないけれど、気を遣わなければいけない相手と飲むのはもっと苦手だ。

「あれ、ゆりパンとちゃう?」

近くにいた宮が囁くように言った。
扉の方に視線をやると、ゆりパンこと白井百合香がまっすぐこちらに向かって歩いてくるところだった。


「久しぶり、佐久早くん」
「………久しぶり」
「えっ、えっ……、2人は知り合いなん?」

宮が2人の顔を交互に見比べながら驚いた顔をする。
常務が紹介したいやつっていうのは彼女のことか……。

昔たった1ヶ月間だけ恋人だった彼女のことを、なまえはひどく苦手なようだった。

テレビに彼女が出ていると一瞬動きが止まるし、話しかけると愛想笑いを浮かべたりする。
佐久早はそのヘタクソな笑顔を見ていると、胸の下の鳩尾の奥ーー心の1番柔らかい部分がそわそわして落ち着かなくなる。

スポーツ選手と女子アナが公の場で接触することは割とあることなので、白井百合香とだけはかち合わないように気をつけていた。
特に彼女は視聴率のとれるスポーツ番組の進行役を努めているし、オリンピック等の国際試合にはレポーターとして訪れたりもする。
一度、彼女がレギュラーとして出演するスポーツ番組出演のオファーを佐久早は断った。普通なら一実業団の選手として許されないことだが、彼の極度の潔癖やルーティンを理解している広報部が、代理の選手を立てるので今回は出演を見送らせてほしいと先方に伝えてくれたのだ。


「元気にしてた?」
「………まぁ。そっちはテレビでよく見るけど」
「見てくれてるんだ、今日はロケでこっちに来てるの」


そう言って微笑む彼女は、相変わらず聡明そうで、相変わらず美しい。

世の中に白井百合香に笑いかけられて嫌な気分になる男がいるだろうか。
自分には大切な恋人がいるけれど、ほんの少しだけ浮ついた気持ちでいることに、佐久早は気付いた。

「前に出演断られたから、避けられてるのかと思ってた」

それは事実だったが、さすがの佐久早も本人を目の前にして真実をはぐらかすくらいの社交術はある。
それから他愛のない世間話をした。彼女はピッチが早い気がしたが、普段どれくらいのペースで飲むのかも知らない相手に咎めるのも気が引けてそのままにしておいた。

結果、今回の騒動の引き金をひいてしまうとは知らずに。


「悪いけど送ってやってくれないか?」
「………僕、ですか」

常務の言葉に思わず、言葉を濁してしまう。

「知り合いなんやろ?侑には絶対任せられんけど、臣なら安心やわ」

ダメ押しとばかりに明暗に肩を叩かれ、後に引けなくなってしまった。

女の人には優しくね、聖臣が誤解されちゃうのはもったいないから。というなまえの言葉を思い出す。送るだけだ、やましいことは何もない。

繁華街からホテルまでは徒歩で5分の距離だったので、酔っている割に意外としゃんとしている彼女と連れ立って歩く。


「学生の時より、優しくなったね」
「そうか?」
「別れたこと、ずっと後悔してて」
「…………」
「今更だって分かってるけど……わたしたち、やり直せないかな」
「悪いけど付き合ってる人、いるから」
「………そう」


内心驚いていたけれど、冷静に対応する自分がいた。何を今更という屈辱も、願ってもない申し出に浮き足立つこともなく、ただ淡々と事実を告げる。
ポーカーフェイスは、得意中の得意だ。

何となくどちらも何も言わないままホテル付近に辿り着くと、彼女の身体がぐらりと傾いた。
咄嗟に手を出してそれを受け止める。

「平気?」
「ごめなさい、ちょっと回ってる感じがするから部屋まで送ってくれる?」
「………分かった」

そうしてふらつく彼女を支えながら7階の部屋まで送り届け、ベットに座らせてやる。

もういい時間だ、なまえはきっと先に寝ないで自分の帰りを待っているだろう。

そのとき、背後からそっと胸に手が回る。
驚きのあまり身体を硬直させると、背中に柔らかい温もりを感じた。


「まだ帰らないで」


………悪魔の囁き声だった。



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