小説 | ナノ




あなたはいつも光っている


夏野菜はシンプルに食べるのが一番美味しいと思う。 
揚げ焼きにしたナスとズッキーニはめんつゆにつけて冷蔵庫で冷やしておいたし、スライスした新玉ねぎに鰹節をのせただけでさっぱりした箸休めの出来上がり。
キュウリもトマトもよく冷えているし、とうもろこしは茹でたてが最高だ。

短い長野の夏の一番強く生命が輝く瞬間を切り取ったような鮮やかな食卓。

最後にメインの豚肉の生姜焼きを並べたところで、ガチャリと扉が開いて恋人が入ってきた。

風呂上がりの古森は「あちー」と言いながらパンツ一丁で裸の上半身にタオルをかけただけの出立で冷蔵庫から缶ビールを取り出すと、座椅子にどかっと腰を下ろした。


「おお〜めっちゃうまそう!!」
「髪乾かしてきなよ、あと上も着て」


彼は20代の半ばに入った成人男性とは思えないかわいらしい容姿をしているけれど、バレーをやっているだけあって鍛え抜かれた上半身とのアンバランスさが、なまえを居た堪れない気分にさせる。
初めて見るわけではないけれど、見慣れているわけでもない。
家族のような距離感にはやっぱりまだ戸惑ってしまう。


「夏は自然乾燥派なんですぅ」

そんななまえの気持ちを知るはずもなく、目の前の男は屈託なく野菜を頬張る。

「なまえさんもほら、早く食べよ?」

ポンポンと自分の隣のスペースを叩きながら言う彼はやはり自分の使い所をよく弁えていると思う。

古森元也はなまえの部署に配属された3つ下の後輩だった。
2年前の春、今年はうちの部署に新人が来るらしい、という風の噂を聞いてなまえは密かに楽しみにしていた。
地方都市に本社を構える製紙会社とはいえ、従業員が3000人を超える大企業ともなれば、全国主要都市に営業所があるし、現場を含め生産管理、製品開発、営業、事務、総務等様々な職種に様々な配属先が存在する。
同期と顔を合わせて仕事をしたのは研修期間の3ヶ月のみ。

なまえが営業事務として配属された本社営業部 営業第二課はほとんどが歳上の男性社員で構成されており、一番歳の近い同性の先輩社員は一回り違う二児の母で、時短勤務をしていた。

現状に不満があるわけではない。上司は一番年若い自分を気にかけてくれるし、部署の先輩たちはみな優しい。
ただほんのりと、新人は女の子だったらいいなぁと思っていた。
仕事をしているとどうしても、歳が近い同性同士でしか共有できない悩みがあるし、もし気が合えば一緒にランチに行ったり、昨日見たドラマの話とか好きな音楽の話とか、そういうことも出来るかもしれない。そう思うと自然と胸が高なった。


「みょうじさん、聞いた?新人さん、RAIJINの子だって」

だから、ほんの少しだけガッカリしてしまった。初めてできる後輩が、我が社自慢のバレーチームに所属する体育会系の男の子だということに。
バレーは詳しくないけれど、EJP RAIJINは実業団バレーボールチームの強豪で、なまえも何度か全社応援の際に市の体育館に足を運んだことがある。腕がもげそうな轟音を響かせるプレーも、華やかな応援を背に活躍する選手たちも、同じ企業の社員とはいえ、別世界の住人に思えた。

バレー部所属の社員は社業に専念できる時間が一般社員よりも少なくなってしまうため、大体が現場や総務など、代わりが効く部署に配属になることが多い。
本社の営業なんて、期待されてるのかな。
スポーツマンて営業向いてそうだし。………メンタル的な意味で。ていうか、2メートルのゴリゴリに厳つい大男が来たらどうしよう。正直先輩としての威厳が保てるか心配だ。


「古森元也です。RAIJINに所属してます。その件でご迷惑をおかけすることもあると思いますが、精一杯頑張るのでよろしくお願いします」

新人研修を終え、7月にやってきた彼はなまえの想像をいい意味で裏切っていた。
古森元也は、“体育会系のいいところ”だけを、ぎゅと詰め合わせたような好青年だった。
青年と形容するにはまだあどけない、少年の面影を残した古森のことを、なまえはすぐにすきになった。かわいい後輩として。

彼はすぐに部署に馴染んだ。まず、挨拶と返事がいい。
なまえが新人だった頃は、どのくらいの声量で挨拶していいかわからなくて戸惑ったものだけど、古森は朝出社すると「おはようございます!」とフロア全体に響き渡るような声で挨拶するものだから、他部署の社員までが一瞬動きを止めた後、一斉に古森を注視した。隣の部署の女子社員がくすくすおかしそうに笑う声も聞こえてくる。


「……あれ?俺なんか間違えちゃいました?」

教育係に任命されたなまえの横にきて、困ったように眉を下げる古森にあわてて上司が「……いい挨拶だった。明日からも頼む」とフォローする。

言ったことは気持ちよくやってくれるし、素直で物覚えが早く、間違えたことはすぐ謝れる。

八方美人なのではなく、親切。
愛想がいいとうより、おおらか。
よく笑い、よく食べ、よく働く。

だからみんなが古森をすきになる。
これまでも異性にモテる男の人は見たことがあるけれど、彼のように老若男女に人気があるタイプは初めて会った。
人間は、身体も心も健康な人をすきになるのかもしれない、古森をみているとそう思う。


そんな人気者の後輩が、コピー機に詰まらせた紙を一緒にとってやりながら、なまえはあることに気付いた。

「古森くんて、おっきいんだね」

普段彼の人当たりの良さや、柔和な雰囲気でどうしても“男の人”というより“男の子”という印象の方が際立ってしまう。だから隣に立ってみて改めて、彼は日本人男性の平均身長より大分大きいことに驚いてしまった。
バレー選手なのだから、当たり前といえば当たり前なのだが。

「そうっすか?……あーなんか久しぶりに言われたなー」
「そうなの?」
「いつも巨人に囲まれるんで。みょうじさんは小さいですよね」
「………へ、平均くらい……です」

どもりながら言うと、ふはっと古森が吹き出した。

「みょうじさんて、学校の先生とかにタメ口きけないタイプですよね?」
「な、なんでわかったんですか」
「俺と話してるときまで時々敬語入ってくるから」
「………古森くんは先生ともめっちゃくちゃ仲良く話してそう」
「俺?俺も苦手っすよ。だって、先生は先生じゃないですか」

意外だな、と思いながらも彼のそういう根が真面目というか、育ちのいいところに好感が持てる。
それとも、なまえが知らないだけで体育会系の人はみんなこうなんだろうか。

………でも、少しだけ寂しい。
律儀な彼は、きっと先輩である自分に敬語を外す日は来ないだろうから。



***



あれから二度の夏が過ぎて、古森となまえは恋人同士になった。あんなに頑なだった敬語が外れて、下の名前で呼ばれるようになり、こうして今なまえの部屋で夏野菜を咀嚼する彼をみているのは不思議な気分だ。

最初は、暇つぶしなのかなと思った。
どう考えても古森は女の扱いに長けていたし、“そういうこと”にも慣れていた。毎回恥ずかしくて死にそうになるなまえを宥めながらも、やんわりと行為を進めていく彼からはどうしても手馴れた感じがしてしまうのだ。
自分はこんなにいっぱいいっぱいなのに、3つも年下の彼はいつも余裕そうになまえを翻弄する。

古森は東京出身なので、市内から少し離れれば田園風景が広がるこんな辺鄙な田舎にやってきて仕方なく、たまたま同じ部署になった手近で後腐れなさそうな女を引っ掛けてみたのかもしれない。

もしかしたら遠征先ごとに現地妻ならぬ彼女たちがいて、自分もその1人なのでは…と思ったことさえある。

その度に、いやいや古森はそんな人じゃないと、この卑屈な考えを打ち消すことになるのだが、最近はそんな自分につかれてしまった。

このところ遠征が立て込んでいたので、古森が家にやってくるのは2週間ぶり。付き合って半年も経つと、このあとの想像が容易についてしまう。なんとなく、この後そういう流れになって、結局シてしまうんだろうな。

付き合う前や付き合いたての頃はこうじゃなかった。
そういうこと抜きのデートをして、他愛のない話をたくさんした。
初めて家に来た時の彼はとても緊張していて声が上擦っていたので、ああ、この人でも緊張することがあるんだなと思った。

やだな、こんなに感情的になって。生理前だからかな。

2本目の缶ビールを空けた彼は上機嫌で、バラエティ番組をみて笑っている。


「元也、そろそろ上着ないと風邪ひいちゃう」

エアコンの効いた室内では、いくらなんでもそろほろ湯冷めしてしまう。そう思って声をかけるとあっけらかんとした声が返ってきた。

「どうせすぐ脱ぐ予定だからいいかなって思って」

なーんちゃって、と首を傾げる彼が憎たらしい。完全に酔っている。いつもは2本空けたくらいじゃ全然なのに。

同時になんとも言えない虚しさが込み上げる。

「わたし、今日出来ないよ」

生理だから。思った以上に冷たい声が出て自分でも驚いた。びっくりした様子の古森が目を見開いているせいで、特徴的な眉がいつもより上の位置にある。


「なまえさん、あの」
「………お風呂入ってくる」


逃げるように脱衣場に向かうと、下腹部に違和感。確認すると本当に生理が来ていたので、少しほっとする。よかった、せめて彼に嘘をつかなくてすんで。



***



シャワーを浴びて部屋に戻ると、洗い物がきれいに片付けられていた。

恋人の姿はない。急にヒステリーを起こした年上の女に呆れてしまったのだろう。

こんな時でも後片付けをして行く彼は律儀だと思う。
あーこれ、もうダメかな。今日のわたし終わってる。2人っきりで会えるのは、2週間ぶりなのに。
もう今日は寝てしまおう。その前にクスリだ。
ズキズキと主張を強める下腹部痛を感じながら、薬箱をあさるけれどお目当ての鎮痛剤が見当たらない。

「さいっあく………」

低い声が出て、その場にずるずると座り込む。
ジェットコースター並に浮き沈みの激しい、女の子の日の情緒と、特有の痛み。

その時ガチャリとドアノブが回る音がして、帰ったと思っていた恋人が姿を現した。


「ただいま、って、なまえさんもうあがっちゃった?」
「……どこ行ってたの?」
「いや鎮痛剤切れてるなって。いつも飲むでしょ?」

あとアイスも買ってきた。なまえさん好きなやつ。あ、お腹冷やしちゃいけないんだっけ?


「……なんで元也って、そんなに人間できてるの」

ゆるくなった涙腺が決壊しそうで、奥歯を強く噛み締める。

「いやー全然。なまえさんに関しては下心ばっかりだし?っていうか、さっきは俺がいけなかったよね」

久しぶりだったからちょっと浮かれてて。
………いや、ちょっとじゃないか。結構期待してた、かな。うん。けっして蔑ろにしてるとかじゃなくて、あー結婚したらこんな感じなのかなとか思ったら、その……舞い上がってしまいました。ほんっとごめんね?

こんなに歯切れの悪い彼を初めてみた。
元也がいつも周りに優しいのは、自信があるからだと思っていた。人から嫌われない自信、好感を持たれる自信、愛される自信。いっそ傲慢にも思える好意の搾取。
物事を俯瞰してみられるからこそ、他人の気持ちも、自分が他人からどう思われているのかもよく分かっている。
ああ、わたしはたぶん、元也みたいな人間になりたかったんだ、と気づく。


「だからその、許してくれますか……?」

切羽詰まったような真剣な眼差しを正面に捉えて、わたしは純粋に思ったことを口に出してしまう。

「元也ってちゃんとわたしのこと好きなんだね」
「…………は?」
「現地妻のひとりかと思ってた」
「…………それ本気で言ってる?信じられないんだけど」

うわ、傷付いた。俺ってそんなに軟派にみえる?
てか浮気相手のつもりで付き合ってたって、なまえさんチョロすぎでしょ。俺の事めっちゃすきじゃん。


「なんかごめん、ね?」
「やだ。なまえさんからちゅーしてくれるまで許さない」

子供みたいに拗ねる彼に苦笑いが漏れる。

「元也」

チュッとリップ音をたてて触れるだけのキスをすれば、分かりやすく恋人の頬が赤く染まった。

「元也のこと、大好き」
「ダメ。……そんなこと言われたら俺勃っちゃうから」

……言い出したのは自分のくせに。


それから2人並んで仲良くアイスを食べて、他愛のない話をした。
わたしはかわいくて女友達みたいにお喋りできる元也もすきだけど、ベッドの中で知らない男の人みたいに笑う彼もすきだから、もうどうしようもないくらいこの年下の恋人に溺れてしまっているのだ。

あなたはいつも光っている
(真夏の太陽みたいに眩しい、夏生まれのあなた)

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