小説 | ナノ



メルティング・マイ・ハート


「佐久早くん、かっこよくなったね」
「え?」
「なんか最近色気?が出た」
「…………そう?」

同じゼミの女友達に言われて、なまえは目を瞬かせる。さて、どうだったろうか。


「この前同じ講義とってる子も言ってたよ」
「………髪型のせいかな?」
「彼女に気付いてもらえないんじゃ、佐久早くんも浮かばれないわ」
「……だから別に付き合ってないんだってば!」


思わず語尾がきつくなってしまって、はっとする。彼女はさして気にした風もなく、バックにノートと筆記用具をしまうと、「はいはい、そうだったね」とあしらうように言った。


「その彼氏じゃない誰かさんが迎えに来てるみたいだけど」


彼女の視線を追うように教場の扉に目をやれば、廊下の窓枠にもたれかかるようにして佐久早が立っていた。バレー部員は一般の学生より頭ひとつ抜けているので、どうしたってよく目立つ。

「本当に違うからね」と小声で念を押して、なまえは急いで席を立つ。
後ろからバイバーイと、笑い含みの声が追いかけてきたが、聞こえないふりをした。


「佐久早、どうしたの」
「学食行くだろ」


こうやって佐久早がなまえを迎えに来るのは、今日が初めてではない。

「じゃあ、付き合う?」という爆弾発言を投下した夜から、彼はことあるごとになまえの元にやってきた。
「ちょっと貸して」と奪われた携帯端末をすいすいと操作され、あっという間に通話アプリに連絡先が追加されてからは、毎日のように連絡がくるようになった。
今日みたいになまえの講義が終わるのを待って、一緒に昼食をとることもあれば駅まで送ってくれたりもする。

佐久早という男はこんなにマメだったのかと、出会って5年目の秋に気付かされた。


“おやすみ、また明日”


彼らしく簡素なメッセージが届くと、いつも心臓がとくんと跳ねる。
嬉しくて嬉しくて、毎晩少し眠るのが恐い。目が覚めたらこれは夢だったのだと、自分が作り上げた都合のいい妄想だったのだと思い知らなければいけない気がして。
初めて恋を知る少女のような自分に、自分でも幾分げんなりしていたけれど、胸がいっぱいになって返信が遅れてしまったり、既読すらつけられないこともある。


………だってこんなのまるで、恋人同士みたいだ。

こういうことはやめてほしい、勘違いしそうになるから。今日こそ言ってやろうと思うのに、いざ口を開くと出てくるのは当たり障りのない世間話ばかりで、それがいっそうなまえを落ち着かなくさせる。

学食に入って空いている席がないか見渡していると「こっちこっち!」と窓際の方から手を振る古森の姿が目に入った。

自分の姿を認めてあからさまにほっと肩を撫で下ろすなまえに、古森は小さく苦笑を漏らす。
まぁ、無理もないか。
小学生のとき同じバレーボールチームに入ってから今まで、実の家族よりも長い時間を過ごしてきた従兄弟の変化は、古森にとっても新鮮だった。何事も初めてしまったら最後までが信条で、中途半端を厭う佐久早はやると決めたら一直線だ。
この人と決めた異性にアプローチをかける姿には一切迷いが見えない。
古森にはそんな従兄弟が眩しくもあり、危うく思えることもある。その絶妙なバランスが乱反射してキラキラ輝くから、彼を魅力的に見せているのかもしれないけれど。
………1番大きな変化は、佐久早が他人からの見え方を意識するようになったこと。


もともと美容院嫌いの従兄弟が自ら古森の散髪に付いてきたいと言い出したのは先週のことだ
良い兆候だと二つ返事でOKしたけれど、美容院での彼はさらに予想以上だった。


「………最近って、どんな髪型が人気なんすか?」

本当にこの発言の主は自分の連れなのだろうかと、思わず隣の席を二度見してしまう。

「そうですね〜この辺とか。ちょっとだけ刈り上げるスタイルも人気ですよ」

心得たように雑誌を広げながら、いかにもイマドキの美容師らしい、センスのいい女性が熱心に説明している。隣に座る佐久早は分かっているのかいないのか、ふんふんと頷きながら最終的には「……じゃあ、お姉さんにお任せするのでいい感じにして下さい」とさらりとオーダーした。

「分かりました。どのくらい切りましょう」
「………短くしすぎない方がいいな」


(き、聖臣が美容師のお姉さんと普通に会話してる……!)

心なしか美容師の頬が蒸気しているように感じる。
そうなのだ、普段の気難しそうな佐久早を見ていると忘れそうになるけれど、彼は結構目を引く容姿をしている。
室内競技のせいか夏でも白い肌はきめ細かく、無造作なくせっ毛もなんとなく様になる。
元から身に付けるもののセンスは悪くなかったけれど、上背のあるスポーツマンらしく鍛え上げられた身体は、何を着てもそれなりに見えてしまうのだ。



***



「おー、いい感じじゃん」
「本当だろうな?」

サイドとうなじを軽く刈り上げ、美容師に教わった通りにセットを終えた佐久早は洗練された雰囲気を纏っていた。
疑わしい目を向けてくる従兄弟に何度も頷いてみせる。

彼が気を遣い始めたのは外見だけではない。
他人と会話する時、いつも圧倒的に言葉が足りない佐久早が言葉を選ぶようになったことに、古森は気付いていた。

彼は一度懐に入れてしまった人間には信じられないほど心を明け渡す。

その距離感に戸惑っているのはむしろずっと佐久早を想ってきたはずのなまえの方で、しょっちゅう困ったように古森に視線を投げて寄こす姿が少し不憫に思えるくらいだ。

夏から食が細くなってしまった彼女は今日も学食のかけそばをすすっているが、一向に減る気配がない。

佐久早がおもむろに、自分の皿から唐揚げを掬ってみょうじの器にいれる。

「え?」
「やる」

ここでいつもなら古森の助け舟が必要だが、佐久早はそのまま言葉を続ける。

「その……あんまり食べないと、心配になる」

その後自信なさげに、いらなかった?とみょうじの顔色を伺うものだから、ブフォっと盛大に吹き出して佐久早に睨まれてしまう。
すごい進歩だよな。動機を説明出来るようになったんだから。
そもそも、佐久早にもらったものをみょうじが残せるはずがないのだ。てか俺なに見せられてんの?


「あー、もしかして俺って邪魔?退散した方がいい?」
「そんなわけないじゃん!」

古森がいてくれないと困るよ…とみょうじが被せ気味に反論するので一気に場の雰囲気が変わった。急降下していく従兄弟の機嫌をなんとかしたい古森がフォローをいれる。


「いやだってさ、お前ら付き合ってるんだから俺、いらなくない?」
「…………?わたしたち付き合ってないけど」
「え」
「は?」


思わず佐久早の方をみると、彼は信じられないという顔で呆然とみょうじの方を見ている。

いや俺が驚くのはともかく、なんでお前まで今初めて聞きましたみたいな顔してんだよ。

「あ、わたしこの後寄るとこあるからもう行くね」
ただならぬ雰囲気を察知してか、そば……もとい唐揚げそばをようやく完食したらしいみょうじが席を立つ。


「………どこ行くの」
「神保町、児童文学の課題出てるんだ」
「俺も行く」
「えっ、書店行くだけだよ?」
「いい、行く」


困ったように俺の方をチラッと見るみょうじに気付かないふりをして、「俺約束あるから」と白々しく嘯いた。心の中で送ったエールは届くだろうか。



***



神保町は実に190店舗以上もの古書店含む本屋が軒を連ねる“本の街”だ。
大手出版社も多くがこの街の近辺に所在を構えている。
そんな神保町唯一の児童書専門店に赴き、書店の展開にどんな工夫がされているかをレポートにまとめることが今回の課題だった。

整然と並んだ書籍は美しく、この街は歩くだけで楽しい気分になるとなまえは思うが、果たして隣を歩く彼はどうだろう。


「みょうじって絵本がすきなわけ?」
「うん、絵本から児童書まで全部すきだよ」
「……児童書って範囲がわかんねぇな」
「すごく有名なのはハリーポッターとかね」
「ああ、それなら昔読んだ」

なるほど、というように佐久早が頷くので嬉しくなって話を続ける。

「すごいよ、児童文学って。大人になってからこういうことだったんだって気付くこともあるし」
「…………確かに、ナルニア国物語とか今思うと作者は宗教に造詣が深かったんだと思うな」

原作者のC.Sルイスは確かに敬虔なクリスチャンであったことは有名だ。それにしても、となまえは隣でこれ知ってる、これも読んだことあるな、と児童書の棚を眺めている佐久早を見る。


「前から思ってたけど、佐久早って博識だね」
「………そうか?」

まぁ、本は結構読んだな。上に2人兄姉がいたから、家にたくさんあったんだよ。

「へえ、佐久早って小さいときどんな子だったの?」
「どんなって……」

少し考えるように目線を上に向けながら彼は言った。

「………相変わらず何考えてるか分からないって言われてて、元也とバレー始めるまでは休み時間はいつも1人だった」
「………そう」

別段なんてこともないように話す背の高い彼は、今や大学の、いや日本のバレーボール界を牽引する期待のホープだ。
先週終わった秋季リーグも、復調した佐久早の活躍でわたしたちの大学は1部優勝を果たしていた。

幼い頃の佐久早を思って、わたしは言葉が出て来なかった。
出来ることなら、手を握ってあげたかった。
思慮深く冷静で、今よりも少しだけ傷つきやすかったであろう、かつての彼の。

急に口数が少なくなったわたしを不審に思ってか、「どうかした?」と彼が問う。


「ううん、ちょっと残念だなって思ってるだけ」
「何が」
「同じ小学校で同じクラスだったら、佐久早と友達になりたかったなって」


ゆっくりと瞬きしてから、「俺は嫌だな」と佐久早が応じる。


「ええ、ひどい…!」
「………友達のままじゃ困る」


意図を図れずに黙っていると、決心したように佐久早が先を続ける。


「すきだから、友達のままじゃ困るよ」
「………?」
「………付き合ってほしいって言ってるんだけど」
「ちょっと待って………佐久早ってわたしのことすきなの?」
「さっきからそう言ってる」


ここ2週間態度に出てたし、言わなくても分かってると思ってた、と佐久早が拗ねた子供のように言った。

信じられない、そんなの言ってくれなきゃ分かりっこないし、嘘だよね?でも、佐久早が嘘を吐いてまでわたしと付き合うメリットってなに。


「断らないよな?」


ぐるぐると考え続けるわたしに痺れを切らしたのか、黒目がちの双眸がじっとこちらに向けられる。
その瞳の中に混じる、一抹の感情……期待と、不安。
そこまで読み取ってしまって観念した。
そもそもこの人のお願いを、わたしが断れるはずないのだ。………結局試合も観に行っちゃったし、ね?


「佐久早、あのね」

わたし佐久早になら、騙されてもいいなぁ。

はぁ?と彼がまた眉を顰めるので、思わず笑い声が漏れる。

どこまでも高い秋の空の下で、わたしは久しぶりに笑った気がした。




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