小説 | ナノ




テンパリング・ユア・ハート



「聖臣は、無口だけど優しい子だねえ」


夏休み、庭先に死んでしまったカブト虫を埋めていた時だったと思う。
幼い頃から変わっていた自分を、祖母は帰省のたびにそう言ってかわいがってくれたので、特に自分に不足があるとは思っていなかった。

成長するにつれ自分は優しくなんてなく、潔癖な上に協調性がなく人の好き嫌いが激しい、従兄弟の言葉を借りるなら“人でなし”だということが分かってきた。

今なら分かる。祖母は俺が何をしなくてもそこに存在する、ただそれだけで愛しかったに違いないと。それが孫への、肉親の情というものだと。容姿がいいとか、足が速いとか、勉強が出来るとか、そんなことは二の次三の次で。

祖母の訃報を聞いたとき俺は、ああ、自分のことを無条件で愛してくれる人が、またひとり居なくなってしまったな、と思った。



***



髪を切ったのは、ケジメのつもりだった。
いつまでも燻っている己の未練を断ち切るための。

大学2年の夏の終わり、佐久早に恋人が出来た。

学祭でその年のミスに選ばれたその子は、美しく聡明そうで非の打ち所がない。

高校時代から浮いた話のひとつもない彼だったけれど、なるほどこういう人を好きになるのかと、どこか冷静な自分が思う。

赤文字系の雑誌の読者モデルをしているという彼女はスタイルも良く、長身の佐久早と並んで歩く姿は文字通り雑誌の1ページをそのまま切り取ったかのように絵になった。
長い黒髪はよく手入れされていて、ストレートでも巻き髪にしても、その清楚さを少しも損なうことはなかった。


推薦で決まった佐久早と古森の後を追うようにして同じ大学を受験し、学部関係なしの教養科目は何個か同じものを受講して、観に行ける試合は観にいって……。
わたしたちの関係は高校の時とさほど変わらなかった。

この心地良い関係を壊してまで気持ちを伝えようとは思わなかったし、彼は数少ない大切なものを磨くことに日々大忙しで、色恋沙汰が付け入る隙などないと思っていた。

佐久早は一度始めてしまったら最後までやる。
普通の人なら娯楽や生活の一部のようにする恋愛も、彼はとってはきっと命懸けだ。
だからせめて学生の間は、心安らかにバレーに集中させてあげたいと願っていた。

なぜだろう、他人からしたら滑稽でバカみたいだと笑われるかもしれないけれど、自分よりもうんと大きく、賢く、力だって強い佐久早のことを、わたしはずっと守ってあげなければならないと思っていた。

放課後の教室で初めて会った時、静謐さをたたえた目でわたしを見返してきたあの少年を。

佐久早から見たら、きっとこの世界は無秩序で異星人だらけだろうから。汚いものや彼を傷付けるものからはできるだけ遠ざけてやりたかった。

……なんておこがましい。そんなものは全て自分の傲慢だ。

いよいよ佐久早は特別を見つけてしまった。
これからは彼女が、佐久早の傍にいる。
ううん、そうじゃなくたって彼には古森や頼りになるチームメイトがついている。
大丈夫、わたしが心配することは何もない。


三日三晩部屋に閉じこもって泣き、食事も録にとれない様子の娘を母は大層心配していたけれど、まぁこういうこともある年頃だろうとおおらかに構えて、必要以上に干渉してこなかったのが有難かった。

四日目、一切返信出来なかった学部の女友達と古森からの連絡に謝罪ともう大丈夫である旨を送って、美容院に行った。

記憶のある限り小学生の頃から肩より短くしたことがなかった髪をバッサリ切って、センター分けのショートに。ブリーチしないで出来る限界まで明るくした。
佐久早の隣を歩くあの子とは正反対の女になりたかった。そんな自分がみじめだということにはとっくに気付いていたけれど。


「すごいイメチェンですね。とってもお似合いです!」


わたしのことを何も知らない美容師のお姉さんが明るく誉めてくれたのが唯一の慰めだった。

期待してしまう自分が許せなかったから、端末から彼の連絡先は全て削除した。別にこんなことをしなくたって、向こうから連絡なんてほとんど来たことはないけれども。

試合に行かなくなって、連絡もとらない、同じ講義は潔く単位を諦めた。そうすればもうわたしと佐久早を繋ぐものは何もない。

こうして、高校時代からのわたしの拗らせまくった片想いは呆気なく終わりを迎えたのだった。



***



10月中旬、大学バレー秋季リーグ戦も大詰めを迎える。
特に今シーズンは1部リーグ11校中上位4チームが勝ち点を並べる大混戦で、自力優勝のためにはもう1戦も落とせない、予断のならない状況が続いている。

アップを終えコート整備がなされる間、古森は体育館のスタンド席をぐるりと見回す従兄弟の姿を見咎めた。


「聖臣、今日彼女くんの?百合香ちゃん、だっけ」

バシンと背中を叩いてやれば、大袈裟に顔を歪めた佐久早が恨めし気に振り返った。


「は?」
「スタンド見てたじゃん。誰か探してんのかと思った」
「別に……」


言い淀んだ従兄弟に古森は視線で先を促す。
少し躊躇ったあとおずおずと、最近あいつ来ないよな、と口にした。


「……あいつってみょうじのこと?来るわけないじゃん」
「…………なんで」
「なんでってお前、本気でそんなこと言ってんの?」


珍しく険のある従兄弟の言い方に佐久早は内心少したじろぐ。
そんな様子の佐久早を見やって古森は溜息を吐いた。こいつ、本当に気付いてなかったのな。


「お前に彼女が出来たからだろ」
「………んで、関係あんのかよ」
「ほんっとに、わかんない?」


ほんの少し哀れむような表情で古森に覗き込まれて佐久早は考える。

最初は気にもとめなかった。みょうじだって大学生だし、忙しいのだろうと。でもリーグ戦が3節目、4節目を終える頃にはいよいよおかしいと思い始めた。
“明日観に行くよ、頑張ってね” いつも試合前日に届く簡潔なメッセージが来なくなり、試合後に差入れをもらうこともなくなった。大学の講義でも顔を見ない。

思えば元マネージャーに業務連絡以外の用事でほとんど連絡などしたことがなかった。
さんざん迷ったあげくメッセージアプリで“明日観に来る?”と一言だけ送信したのは昨日のことだ。

たったそれだけのことなのに妙に気になってしまって、10分に1回は既読がついたか確認した。
そんな自分がバカらしくなって、電源を落として就寝すると、朝起きても返事は来ていなかった。

ここまでくればいくら鈍感な自分でもわかる。これは明確に避けられいると。


昔から佐久早は、他人の心の機微を感じとるのが苦手だった。
佐久早にとっては当たり前でも、他人にとってはそうではない。自分が正しいと思うことを伝えても、言い方ひとつで人は離れて行く。

「聖臣くんは何考えてるかわかんなくて恐い」
小学校の同級生に言われた言葉をふと思い出す。
バレーというコミュニティがなければ、自分はもっと他者から浮いた存在だったろう。

かれこれ20年近く人間をやって、それなりの処世術は身についたけれど、まだまだ自分はこの快活な従兄弟や、周りの人間に助けられているところが大きい。だから自分から離れて行く人間がいることは理解している。

でも正直、みょうじが離れて行ってしまったのは意外だった。
古森とみょうじは少し似ていると思う。いつも愛想良くヘラヘラと笑っているくせに、他人の気持ちを察すること長けているところが。他人を気遣って、自分の本音をあまり言わないところが。それを別に苦もなくやってしまえるところが。
……佐久早の気持ちを汲むことが、2人はとても上手かった。


「それはみょうじがお前のこと、好きだったからだよ」

佐久早の思考を遮るように、目の前の従兄弟は言った。

俺が言うのはフェアじゃないけどさ、まぁもう本人から聞くタイミングないだろうし。
好きな奴に特定の相手が出来たら、大体は距離置くだろ。みょうじは極端だけど、そうしないと人の形が保てなかったんじゃない?ほらなんだっけ、山月記の虎みたいに。
うん、お前は悪くないし、みょうじも悪くないよ。
……でも世の中には誰も悪くなくても、どうしようもないことはあるんだよ。


愛の告白を聞いているのに、まるで死刑宣告みたいだな、と思った。



その日の試合はボロボロだった。
自分にあがるボールを尽くミスるエースってどうなんだ?
2セット目の中盤でついに佐久早は交代を告げられた。
調子にムラがない安定感こそ佐久早聖臣の代名詞、そんな自分がこのザマだ。

「今日はベンチで頭を冷やせ」という監督の言葉だけが、唯一信じられる冷たさを持っていた。



***



どいつもこいつも愛だの恋だの嫌になる。


気もそぞろに試合後のミーティングを終え、寮の自室に駆け込むと、ぼふっとベットにダイブする。

今の彼女と付き合いだしたのは1ヶ月と少し前。教養科目が同じで、いやに美人がいるなと思っていた。
夏前にはそんな彼女に話しかけられるようになって、なんとなく講義を一緒に受ける機会が増えた。なんでも友達に誘われて大学バレーの試合を観てから自分のファンだという。

雑誌に載るような美人に話しかけられて嫌な気がする男はいないだろう。
知的な雰囲気に、黒髪のロングヘアも嫌いではなかった。

連絡先を交換し、夏休みに誘われるがままおもしろくもつまらなくもないフランス映画を観に行った。
帰り道に告白されて、まぁいいか、と思った。
面倒くさくなさそうで、こじれなさそうな相手だったし、最後まで面倒をみなきゃいけないペットってわけでもない。合わなかったら別れればいいだけの話だ。

寮で詳しく聞かせろと問い詰めてきた従兄弟にこの話をしたら、「お前、絶対俺以外にこの話するなよ。人でなしがバレる…」と言われて渋々頷いた。


みょうじが俺のことを、好き?

ありえない。だって今までそんな素振りはちっともなかった。…………本当に?




夏休み明け、久しぶりに3人で食堂で昼飯を食べているときに古森が「聖臣最近、読モと仲良いじゃん」と茶々を入れてきた。
別に隠す必要もないので「先週から付き合ってる」と答えれば、みょうじがカツンと箸を落とした。


「気をつけろよ」
「……ああ、うん」
「ちょっと待て、お前今付き合ってるって言った?」
「言ったけど」
「それカノジョってこと?で、お前がカレシ?」
「……他に何があるんだよ」


別に買い物に付き合うわけじゃねェ。俺の返事に古森がギョッとした顔をする。


「あそ?おめでと聖臣、それよかさぁ」
「ごめん、わたし友達と約束してたんだった!」


古森の言葉を遮るようにして勢いよくみょうじが立ち上がる。
もう行くねって全然食べてねェじゃん。あわただしい奴。目も合わせないでほとんど口をつけていないトレーを持ち上けるみょうじを目で追う。


「じゃあね、バイバイ」
まともに会話したのはあの日が最後だ。


確かに高校時代からみょうじが自分に好意的であることには気付いていた。

でもそれはあまりに過不足なく自然だったので、佐久早はそれが恋愛感情のそれとは気付かなかった。

恋愛というものはもっと重たくて苛烈で人を傷つけるものだ。それまでも彼にそういう眼差しを向けてくる女は少なくなかった。

彼女たちは口を揃えていかにも下心などなさそうに「アナタが好きだ」と主張するが、実際求めているのは見返りばかりだ。
自分に何をしてくれるのか、どれくらい自分を愛してくれるのか。

大人になるにつれてそうだ、周囲は佐久早自身ではなく、佐久早の持っているもので佐久早を判断するようになる。容姿や能力、実績や結果、肩書き……。

みんなが愛しているのは、高校時代全国で3本の指に入る大エースと呼ばれ、IHでは全国優勝も達成している190センチの、将来有望な佐久早聖臣だ。小さい頃、休み時間にいつもひとり頬ずえをついて窓の外を眺めていた、無口で愛想のない少年ではない。

どいつもこいつも馬鹿みたいだ。
愛だの恋だのそんな移り気なものに、本気で心を傾けて何になる?


佐久早にはわからない。みょうじなまえがわからない。
3年間同じ部活に所属し毎日顔を合わせ、自分にとって数少ない友人だと思っていた彼女のことが。
………自分を好きだというならば、自分に何を望んでいるのかも。




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