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わたしたちのエデン



新しい季節の始まりはいつだって少し憂鬱だ。
新しい制服に新しいクラスメイト、これから適応して行かねばならない様々な事象に思いを馳せると、嫌でも足がすくんでしまう。

最初の1週間でお昼を一緒に食べる友達ができ、次の1週間でなんとなく生活のリズムが出来てきた。そんなときに熱を出した。

「きっと気疲れしたのね」
保健室の養護教諭はそう言って優しく笑ったが、なかなか熱は下がってくれず入学早々2日間も学校を休んだ。


私立井闥山学院は部活動が盛んで特進クラスの生徒を除いた全員が何らかの部活動、または生徒会に属していないといけないという校則がある。
熱が下がってようやく登校したなまえの周りはもうどの部活に入るかの話で持ち切りで、完全に出遅れてしまったことを悟った。
よりによって部活動紹介の日に熱出すなんて。

重たい息を吐き出すなまえとは裏腹に、春の空はどこまでも青く始まりの期待に満ちていた。


***


結局、わたしは仮入部期間が過ぎても部活を決めかねていた。


「あ!いたいた!」
放課後、同じクラスの古森元也が教室に駆け込んできた。彼とは席が隣同士なこともあって割とよく喋る。
180センチ近くある長身に、人好きのする顔立ち。よく笑い、よく食べ、よく喋る、男女問わずに人気のあるクラスメイト。


「みょうじさん、まだ部活決まってないって言ってたよね?」
「うん、まだだけど……」
「バレー部のマネージャーやってくんないかな?」
「ええっ」


当然の申し出にわたしはひどく驚いた。
マネージャーなんて、考えたこともなかった。
でも実際、仮入部期間に見学に行った部活はどこもピンと来ていない。
友達に合わせて適当な文化部にでも入ろうと思っていたけれど、この適当がなかなか難しい。
家庭科部は雰囲気がいいと思ったけれど、文化祭のファッションショーで自作のウェディングドレスを着なければならないと言われ、選択肢から外れた。


「ほら、お前も頼めよ佐久早!」


ぼんやりとした意識をクラスメイトの声で呼び起こされる。
古森が廊下の方を振り返ると、教室のドアの前に1人の男子生徒が立っていた。

こちらをじっと窺う様子は、簡単に人に気を許さない野生動物を思わせる。

古森よりもさらに背が高く、少しクセのある黒髪に黒目がちの目、口元はしっかりとマスクに覆われていたけれど、彼が整った顔をしていることはよくわかった。
色が白いので、右側の額に黒子が縦にふたつ並んでいるのが目立つ。


ふたつ、双子の星、カストルとポルックス。
……あれ、ポルックスが上だっけ?



渋々教室に足を踏み入れた彼は、遠慮がちに古森の横に並ぶ。

「従兄弟の佐久早聖臣。こいつもバレー部の1年」
「いとこ……」


ずいぶんと雰囲気が違う。確かに2人とも人目を引く容姿をしているけれども、佐久早の方は活発な古森と違い、どこか冷たい印象を受けた。

「1組のみょうじなまえです」

とりあえず名前を言うと、むっつりと会釈される。
やはり愛想はないようだ。


「なんだっけ、マネージャー探してるの?」
「そうなんだよ〜〜考えてみてくれない?」
「うーん、バレー部なら他にやりたい子たくさんいるんじゃ…?」


井闥山の男子バレーボール部と言えば、全国優勝を何度も経験したことのある超名門だ。全寮制のバレー部には、全国各地から優秀な選手たちが集まって来る。

大きくて優秀な選手たちはよく目立つし、目立つということは異性に恋愛対象として意識される機会が増えるということだ。
不純な動機とまではいかないけれど、あわよくば彼らとお近づきになりたいと望む女子生徒もいるのではないだろうか。


「うちの監督おっかなくてミーハーお断りなんだよねー」
仮入部期間も2人マネ候補来てたんだけど、監督NG?出ちゃって。ま、俺もあの子ら続かないと思ってたけど。な?と古森が佐久早を見やる。


「香水臭かった」


心底嫌そうに眉をひそめて佐久早が応じるので、思わず笑ってしまった。
眉をひそめて眉間にシワが寄ると、彼のカストルとポルックスも中央に寄る。
マネージャーの仕事というのはいまいちピンと来ないけれど、この2人がバレーをするところに少し興味があった。

「じゃあ見学だけ、行ってみようかな」


***


男子部の女子マネージャーというものは、少し図太い、もしくは鈍感でないと出来ないものだと思っていた。

かわいくてもかわいくなくても容姿のことが話題になるし、うっかり同じ部活内で彼氏が出来ようものなら「やっぱり男狙いだったんだ」と陰口を叩かれる宿命にある。

けれどマネージャーとして男子バレー部に正式に入部してみて、そんなことを気にしていられるのは呑気に構えている部外者だけだということを思い知らされた。

それぐらい目まぐるしく日々は過ぎて行く。

基本的に部員の多い井闥山はAチーム、Bチームに別れて練習するので、それぞれに別の練習試合日程が組まれていたりする。
雑務はチームに振り分けられなかった下級生が一緒にこなしてくれるが、ドリンクを作りボールを磨きビブスを洗ってようやくひと息つける頃にはいつも、平日最後のメニューであるサーブ練が始まっている。

3年のただ1人の女子マネの先輩はとても優しくよく気が付く人で、わたしはすぐに彼女のことが好きになった。彼女の仕事ぶりから視線から、バレー部を心から愛しているのが伝わってくる。

そしてインターハイを終え、その年の夏が終わろうとする頃にはわたしもまたバレー部のことを心から大切に思うようになっていた。


そしてそんな、わたしの青春を捧げた心安らかな記憶の中には、いつも佐久早がいるのだ。


佐久早は1年の春からBチームで活躍していたけれど、夏には古森とともにレギュラー陣がしのぎを削るAチームに繰り上がった。

彼の洗練された動きは素人目にも美しく、プレー中はいつも心踊った。
口に出して言ったことはないけれど、わたしは佐久早聖臣のファンだった。



***


「まぁ俺が声掛けたから、責任は感じるんだけどさー」

ズコっと紙パックのいちごみるくをすすりながら、古森が言う。


「まさかみょうじが佐久早のこと好きになっちゃうとは思わないじゃん」
「ちょっと、声大きい」
「まぁわかる。あいつバレーやってる時だけはめちゃくちゃかっこいいもんな」
「……………バレーやってない時もかっこいいよ」
「あーはいはい」


休み時間の教室は雑音で溢れていて、秘密の話をするのにかえって都合がいいかもしれない。
誰もわたしたちの声を拾い上げたりしないだろう。

「別に、告白とかするつもりないし」
「いやほんっと部活に色恋沙汰は持ち込むのは勘弁して」
「……古森口が悪い」


クラスも部活も同じ、古森は1番気の置けない異性の友達になっていた。
古森と過ごす時間が増えると必然的に佐久早とも行動する時間が増える。

佐久早は知らない人間に対する警戒心が強いので、最初の頃はわたしと古森の会話をただ聞いているだけだったなと感慨深く思う。

初めて会話らしい会話をしたのは梅雨に入った頃だった。


「え、みょうじって中学はテニス部だったんだ」
「うん、高校でやるつもりなかったけど」
「へー、うち見学来る前は?さすがに候補あったでしょ?」
「りっちゃんと家庭科部に入ろうかなって思ってたんだけど…」
文化祭でファッションショー出なくちゃいけないって言われたから辞めたの。正直に話すと古森が目を丸くした。


「ファッションショーくらい別にいいじゃん」
「……やだよ!だって自作のウェディングドレスとか着るんだよ?」
「別によくない?」
「よくはない。わたし自意識過剰だから」


そのときふっと隣で人が笑う気配を感じた。
佐久早だ。今までわたしと古森のやりとりをただ静観していた彼がマスクの中で小さく息を漏らしたのだ。

わたしがびっくりして佐久早に目を向けたので、彼は仕方なくというように言葉を発した。

「……いや、俺も嫌だなと思って。その、ファッションショー出るの」
「お前が出たら気持ち悪いだろ、どう考えても」
「古森うるさい」


2人のやりとりをみながら思わず「佐久早くんて笑うんだ……」と呟くと、古森がブフォっと吹き出した。

彼は不機嫌そうに眉を寄せジロリとこちらを見ると「佐久早でいい」と、ぶっきらぼうに言った。

その様子が拗ねた子供みたいでなんだか可愛らしく、わたしは思わず笑ってしまった。

確かこの時からだ、佐久早と細々と言葉を交わせるようになったのは。

気付いた時には好きだったので、明確にいつが始まりなのかは分からない。
ただ、彼が話す言葉には全身全霊を持って応えたかったし、彼が笑うと嬉しかった。


わたしが髪を短く切って、佐久早を聖臣と呼ぶようになるのは、まだ誰も知らない未来のお話。




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