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邂逅



「なまえ、痩せたね」

 大学の友人の言葉に苦笑いを返すしかない。及川が部屋に来なくなって2週間が過ぎた。別になんてことはない、元の生活に戻っただけ。
……そう思う努力をしている。

 メッセージアプリのアカウントをブロックしてしまえば、彼と連絡を取る手段はない。それだけの関係だった。
 もう会わないと、言った言葉に後悔はない。
あの一言さえなければもう少しあの歪な関係は続いていたのかもしれないけれど、それが私たちにとって最悪の結末を連れてくることは痛いほどわかっていた。

 ハリネズミのジレンマというのだろうか。何事にも適正距離がある。私と及川は顔を見れば軽口を叩くくらいの同級生がちょうどいい距離感だったのだ。

 一度だけでも、あの熱を知れてよかった。端役者には充分すぎるくらい。それだけで生きていける。


 季節は盛夏を過ぎ、秋へ向かおうとしている。東京でも朝夕の涼しさに季節の移ろいを感じるようになった。故郷ではもっと色濃く秋を感じるだろう。
 図書館で課題を終わらせ帰路につく頃には、半袖一枚では肌寒さを感じるまでになっていた。

 同じ大学の学生ばかりが入居している学生マンションの2Fエントランスに着くと、自室の前に客人がいることに気付いた。ドアの前で体育座りをして、立派な体躯を折りたたむように縮こまる人影。
 見間違うはずもない、それは今一番会いたくない――…

「及川」
「こーんなイケメン待たせるなんて。ひどくない?」
「なんで」
「なんでって、みょうじ俺のことブロックしてるでしょ」

 だから待ってた、と平然と言い放つ男を唖然と見上げる。

「話したいことがあって」
「……私にはないけど」

 そういうと及川は、ふふっと静かに息を吐くように笑った。そのしぐさに胸がぎゅっと締め付けられる。

「お前、言ったよね。俺にとって自分は何?って」
「言ってない」
「ストーップ! ムキになんないで。俺の話最後まで聞いて」
「ムキになんかなってないし、聞きたくない」

 ――ダメだ、ここにいてはいけない。この人にこれ以上喋らせてはならない。

 今来た道を戻ろうと体を反転させたところで左腕を大きな手に掴まれた。ひんやりしているのに手のひらにはじっとりと汗をかいている。冷たい手、一体いつから待っていたんだろう。

「俺は、みょうじの期待に応えたい」

 そろりと顔だけ及川の方に向けると、今日初めて目が合った。彼の目に必死さをみた気がして、思わず逃げようとしていた身体から力が抜けた。

「みょうじに失望されるのが恐いよ。でも、お前が俺に期待してくれるなら、俺はその期待に応えたいと思うんだけど、どう?」
「え? ごめん、ちょっと意味がわからないです」
「だーかーらー! 好きだっつってんの! みょうじも俺のこと好きなんだから付き合おうってことじゃん」
「待って! 私及川のこと好きなんて一言も言ってない!」
「ハァ? お前は好きでもない男を家にあげるわけ?」
「それは及川が……私たち付き合うの?」
「……ダメ?」

 計算され尽くした角度に傾げられた首も、ヘーゼルの目も、全てがまるで初めて見たもののように鮮やかに見える。

「私、劇だと村娘の役しかやったことないよ」
「は?」
「及川が付き合ってきた子たちみたいに、キラキラしてないし」
「うん」
「でも及川のことはずっと好きだったよ」
「エッ」
「期待に応えてくれるんでしょ?」


 恥ずかしくなって、ぶっきらぼうにそう言い切ると、返事の代わりにゆっくり抱きしめられた。

 なまえ、という声とともに唇が降ってきた。さすがに付き合った途端に我がもの顔で名前呼びしてくる男ってどうなの、と少し笑ってしまったけれど、その忍び笑いもすぐに飲み込まれた。


 私たちは今日、遅すぎる“始まり”を始めることにした。


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