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追憶


 けたたましく響く呼び出し音で目が覚ます。ディスプレイに表示された幼馴染の名前をみて、吐き出したい溜息を無理やり飲み下した。大きく息を吸って通話ボタンをタップする。

「もしもーし、及川さんでーす」
「んなことは分かってかけてんだよ、このクソ川!」

 飛び出た罵声は、相変わらずの音量だった。

「ごめんごめん。どうしたの、岩ちゃん」
「どうしたの、じゃねーよ」

 画面越しに仏頂面の幼馴染の顔が、見える気がする。

 ――お前、ケガでもしたのか。

 岩泉は重苦しい口調で続けた。いっそ、怪我であってくれればよかった。不謹慎ながら自分でもそう思う。

「ううん、怪我なんてしてないよ」

 今日のオープン戦は散々だった。地元宮城の大学に進学した岩泉のチームとの対戦。セッターとしてスタメンで出場した及川は、しかし1セット目の中盤でベンチに下げられてしまった。

 個人の技術はもちろん、それを上回るチームワークと、高度なコンビネーションが要求される大学バレーにおいて、最も致命的なコンビミス。その綻びの中心にいるのはまず間違いなく、セッターである及川だった。

「調子、悪いのか」
「……ちょっとね」

 何と続けるべきか少しの間逡巡して、今更この鈍感な幼馴染相手に取り繕っても仕方のないことだと気付く。

 ――ねえ岩ちゃん、俺って本当にクソ野郎かも。

「何か、あったのか」

 岩泉の問いかけに努めて軽く、明るくを心掛けながら及川は答えた。

「フラれちゃった。みょうじに」
「……そうか」
「驚かないの?」
「みょうじなまえだろ? 中学から一緒の」

 彼女と自分の関係を、岩泉に打ち明けたことはない。てっきり混乱するとばかり思っていた幼馴染の予想外の反応に面食らった。

「お前ら、仲良かったじゃねーか」
「は?」
「なんだ。気付いてねェのかよ」

 呆れているというより、素直に驚いたという声音で幼馴染は相槌を打った。

 俺が彼女と? クラスメイト以上の接点を持ったことなんて――…。


 昔から、異性にはよくモテた。周囲よりも頭ひとつ分高い長身に、細く、やわい毛質は太陽の光に当たると茶色く輝く。同じく色素の薄いヘーゼルの瞳のせいで、小さい頃はよく女の子に間違われた。

 勉強はそれほど得意ではなかったけれど、要領がよく成績もそこそこ。社交的で人当たりもいい。加えて人の気持ちには聡い方で、ここを超えてはいけない≠ニいうラインは間違えない。そんな自分が好きだった。

 女の子は好きだ。柔らかくて、いい匂いがして。出来ればあんまり難しいことを言わない子の方がいい。

 ――徹くんは、わたしよりバレーが好きなんでしょう?

 初めて出来た彼女にそう言われたとき、及川はひどく驚いた。バレーと恋人は全くの別物だ。それを比べることになんの意味がある?
 彼女は彼女でとても好きだし、自分なりに大切にしてきたつもりだ。そのうち何人かの女の子と付き合ってみて、気付いた。

 彼女たちは、バレーを頑張る及川徹が好きなのではなくて、わたしのために<oレーを頑張る及川徹が好きなのだ。

 ――なんだ、そうか。

 その事実を受け入れるには、彼は余りに幼く、潔癖過ぎた。そしてとても傷付いた。

 女の子は好きだ。でも、同時に諦めてもいる。きっと自分に、バレー以上に大切なものはできない。

じいさんになるくらいまで幸せになれない

 忘れもしないあの敗北の日に、幼馴染が言った言葉はある意味正しい。
 恋愛は、一見完全無欠に見える及川が唯一不得手とするものだった。


 みょうじなまえと中学で始めて同じクラスになった時の印象は、正直そんなに残っていない。

 彼女をはっきりと認識したのはあの日だ。2年に進級して1週間ほど経った昼休み、グループができ始めた女の子の群れから外れ、ぽつんとひとりで昼食を食べる女子生徒。
 及川は昔からそういうことには目ざとく気付いてしまうタチで、生来の育ちの良さというべきか、そういうことを放っておけなかった。
 なんとかしてあげたい気持ちはあるものの、少し内気そうなその少女に声をかけるべきか戸惑っていたその時ーー。

 ちょうど購買から帰ってきたと思わしき3人組のひとりが、すっと孤立した少女の座る席に近寄ったかと思うと徐ろに、前の席を回転させて机をくっつけた。

「三浦さん、一緒に食べよ」

 みょうじの一声に、一瞬の沈黙後、おそるおそる寄ってきたあとの2人も同調した。

「えっ、三浦さんのお弁当おいしそー」
「自分で作ってるの?! すごーい!」

 東北の遅い春の木漏れ日が漏れる昼下がりの教室で、とても深く心を打たれた自分がいることに、及川は気が付いた。
 いいプレーほど目立たないという、バレーボールの核を目の前の少女が体現して見せた。
 周りにいるクラスメイトも、生徒想いを自負する熱血担任も、下手をすれば当事者である女子生徒ですら、それと気付かぬほどのさり気なさで。純粋に、みょうじなまえという人間に興味を持った。



「俺、みょうじさん、結構タイプ」

 チームメイトの言葉に、加えていたストローを、ポロリと落とした。

「どの子?」
「ほら、俺の後ろの席の。この前来た時松川も話したデショ」
「ああ」

 動揺する及川に気付きもせずに、花巻と松川は会話を続ける。

「及川仲良いんだよな? みょうじって今、彼氏とかいる?」
「ちょっと待って! マッキーってみょうじのこと好きなの?!」

 及川の剣幕に驚いた花巻が目をパチクリさせる。

「かわいいじゃん。普通に話しやすいし」
「……かわいい?」

 みょうじが、かわいい? 
 そういう対象として、今まで彼女を見たことがなかった。
 チームメイトの言葉に衝撃を受ける及川に松川が追い打ちとばかりに口を挟んだ。

「……Cカップはあるな」
「出たよむっつり。ま、及川はぶりぶりの正統派がすきだもんな」
   
 彼らの言葉にどうしてこんなに胸がざわつくのか、及川には解らなかった。



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