起爆スイッチ


始まりは、いつも通り些細なことであった。
任務が終わって基地に戻って報告書を書きに行く過程で、先輩と討論になった。
そのなかで、先輩がミーにいつものようにいったのだ。
『死ねばいいのに』
いつもなら聞き流す程度の罵倒であったが、ミーも相手も任務終わりで、隣の先輩から噎せかえる血の臭いとチリチリとした殺気に、少なからず気がたっていた。
興奮していた。
それで、思わず売り言葉に買い言葉で言ってしまったのだ。
『じゃあ、殺せばいいのに』
瞬間、特に深く考えもせず呟いた言葉が、ミーの首を絞めた。
「ミーは、首を絞められた模様。応答願いますー」
「首を絞められている、だろ。ほら絞殺続行中だぜ、このまま殺してやるよ」
正確に言うと、呟いたミーの言葉を聞き取った堕王子に首を絞められている。
ニヤニヤと口角を吊り上げて、楽しそうな声を出している。全く、悪趣味だ。
「本当に殺そうとするなんて、やっぱり頭おかしいんですねー」
もういいでしょうか、と。そろそろ首を絞められているミーが苦しそうだ。
先輩が首を掴んで宙ぶらりんにしている、幻覚のミーを霧散化させて消した。
「チッ、また幻覚かよ」
腹いせに、どこからか取り出したお馴染みのナイフで、ヒュッと風を切って投擲してきやがった。
「げろっ…痛いじゃないですか、ベル先輩」
「刺さったんだから、さっさと死ねよ」
これまた毎度お馴染みの会話を展開する。
先輩の空気が、最初より幾分か和らいだ気がした。
そう、和らいだ気がしていただけだった。
「じゃあ、ミーは自室に帰りますからー。お疲れさまでした」
「フラン」
「なんでしょうか、ッあ」
振り向いた、刹那。目を見開かざるを得なかった。
「つーかまえた」
首に伝わるひんやりとした、けれど無機質ではなく自然なそれが、ミーの首をしっかりと捉えた、捕らえた。
「あ、ぐっ…う…!せん、ぱい」
これは、本格的に危険だ。
つ、と冷や汗が背中を伝ったのが、総毛立つ感覚が、鮮明に伝わってくる。
喘ぐように呻きながら先輩の腕に、やっとのことで爪を立て、脚を振り上げて蹴ろうとする。
だがそれはあっさりと避けられ、変わりにミーの首を掴んでいる手とは、反対の手で鳩尾を殴られた。
「ガハッ、あ、ぁ…ぅ…」
ただでさえ息が吸えない状況なのに、更に息を激しく出してしまった事で、目の前がぐらりと傾いた。
黒い靄が視界を覆い尽くそうと、縁からじわじわと迫ってくる。
生理的に浮かんだ涙が、靄と合わさって更に視界を不明瞭にしていく。それを晴らそうと、必死で瞬きを繰り返して頭を振った。
「ししっ」
愉快そうに笑う先輩が、ミーの口端を伝った唾液を舐めとり、口内に舌を這わせてくる。
「ん、ぅぅ…」
苦しい、苦しい、苦しい!!!早く手を口を離してくれないと、死んでしまう、苦しい!!
「ぶはあっ、はあッ!はあッはあッ!はッ…!」
やっと手と口から解放されて、床に倒れ込んだ。
みっともなく喘ぎながら、浅い呼吸を繰り返して涙をボロボロと溢した。
みっともなく、はしたない。そんなことは十分わかっていた。それでも死ぬよりはマシだった。
先輩を睨み付けて、やっとのことで戦闘体制に入る。
「死ぬ、かと思いました、よ…!」
「殺す気だったんだから当たり前じゃん」
さも当たり前かのように、あっけらかんとした表情で言われた。
「やっぱり、ミーはあんたにだけは殺されたくないです」
声を一段と低くして、カエルメットを床に叩きつけた、ゴトンと無機質な音が、二人だけの廊下に虚しく響いていく。
「勝手に脱いでんじゃねぇよ、ししっ」
ミーの宣言を聞いてから、十秒たっぷり。転がされたカエルメットを見つめた先輩は、怒るかと思いきや、楽しそうに笑って、そう言った。
それから踵を返し、ミーに背を向けて歩いていく。
「報告書、書いてきてやるよ。感謝しろ」
得意気な声で告げて、手をヒラヒラとふってから、顔だけを、ぐりんっ。と効果音がつきそうな勢いでこちらへ向けると、先輩は続けた。
「せいぜい、生き延びろよ」
「…は……」
自分が一番殺そうとしているくせに、戯れ言を言うのは、ミーが簡単に殺せる相手ではないと、よく分かってくれているからだと思う。
文句を言ってやろうと息を吸ったが、ちょうど先輩は角を曲がり、階段を飛び降りた所だった。
言ってやろうと思った言葉が、吐き出さなかった空気が。溜まり、脳を圧迫するような感覚に襲われた。
いいじゃないか、やってやろう。
こちらとて、強制的とはいえ伊達に暗殺者をやっている訳ではない。
ミーは、カエルメットを拾い上げるとパンパン、と軽く静かに埃を払って両手で掴み、顔と向かい合わせになるように掲げた。
それから、鬱陶しいくらい光沢のある目にカリ、と爪を立てた。







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