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 初めて見た時から、綺麗だと思っていた。最初、会った時は泣いていた。ベンチに座って、コーヒーの缶を両手で持って、地面を見つめながら、静かに泣いていた。なんと声を掛けたらよいのか分からなくて、あの、とも、その、とも、なんとも言えずに立ちすくんでいたら、髪の隙間から、太陽が涙に反射した双眼が自分を射抜いた。それっきり、その瞳の虜になった。

「虎杖くん」

 幾分か年上だった。体が華奢で、白くて、いつも死にそうと思っていた。あの細い手足がぽきぽきいいながら折れるのを、何度も想像しては、一人で勝手に怖くなった。

「△さん」

 名前も好きだった。響きがいい。口に出すのが嬉しくなる。あの人に会って、名前を呼ぶと、必ず自分の名前も呼んでくれるから、尚更嬉しい。
 あの小さい唇が、自分の名前を紡ぐのを、いつもじっと見ている。虎杖くん。呼ばれる度にしっかり覚えて、寝る前に何度も思い出す。虎杖くん。虎杖くん。何度でも呼んで欲しい。夢にみたい。そうして懇願しているうちに、気がつくと、次の日になっている。

「△さん、そんな細いのに、呪霊と闘うとか、信じらんねえ」

 軽く突いただけで折れそうなのに、あの人は特級の呪術師だった。

「遠隔攻撃が主だからね」

 五条先生にも、自分と張り合える唯一の呪術師だと聞かされた。嘘みたい、と今でも思う。あんなに華奢なのに。それで、一回だけ、手合わせを頼んだことがあったけど、指一本触れられないまま簡単にぼこぼこにされた。

「私の勝ち」

 綺麗な顔で自分を覗き込みながら、あの小さい唇でひっそり笑った。もう勝ちとか負けとか、強いとか弱いとか、どうでも良かった。ただ綺麗で、その事で頭はいっぱいだった。

「△さん、あのとき、何で泣いてたの」

 手合わせが終わって、ふたりで道場の端っこで休憩している時、不意に聞いてみた。実は知らなかった。高専のベンチでぽろぽろ泣いてた理由。あの時持ってたコーヒーが、この人の慰めになったのかどうか。知りたくても聞かなかったのは、いつも、名前を呼ばれるだけで満足して、お腹いっぱいになるからだった。

「ああ、あの、初めて会った時か」
「そう、泣いてたでしょ」
「泣いてた」
「なんで?」
「知りたい?」

 知りたい?と聞き返す目は、完全に自分の事を男として見てくれていなかった。悪戯されるのかもしれない。子供だからと弄ばれるのかもしれない。悔しくて、唇を噛んで下を向いた。

「唇噛むなよ、なに?どうしたの?」
「△さん、俺のこと、からかってるだろ」
「からかってないよ」
「じゃあ舐めてるんだ、子供だからって」
「舐めてなんかないよ」
「じゃあなんで泣いてた理由教えてくんないの?そんなに言い辛いこと?」

 普段だったらこんなに食い下がったり意地の悪い言い方をしたりしなかったと思う。他の人だったら、言いたくないなら言わなくていいよって、言えたと思う。こんなにムキになってるのは、偏に相手がこの人だから。ただそれだけ。

「じゃあ、証明してあげるよ」
「え、」

 おもむろに、立ち上がって、自分の前に来たと思ったら、しゃがんで顔を近づけてきて、するりと手の甲で頬を撫でられた。あ、近い、触られた。好き、綺麗。一気に感情が雪崩れて乱れて、かあっと顔が熱くなった。

「△さん」
「虎杖くん、私にキスしてごらん」
「え」
「キスできたら、ご褒美に教えてあげるよ」

 なんで泣いてたのか。そう言ってもう一度頬を撫でる。あ、頭くらくらしてきた。熱ある。風邪ひいてるみたいに頭が熱い。目頭もいっぱいいっぱいになる。綺麗な顔で、いい匂いさせて、誘惑してる。女神様みたいだった。この時の顔。この世の綺麗なもの全部集めたら、この人になるんだって、そう思った。

「からかってるの、」
「本気だよ」
「俺なんかがキスしていいの」
「虎杖くんじゃなきゃ、こんな事言わないよ」
「なんで?なんで急に」
「それも、キスできたら教えてあげる」

 意地悪だ。やっぱり子供だからと下に見られているのか。悔しい。

「キスくらい、できる」

 緊張して、声が震えた。近い。いい匂い。好き。ほんとにキスしていいのか。ちらちらと様子を伺いながら唇を近づける。ふ、と笑ったと思うと、向こうから唇がちゅっと触れた。あ、と思う間も無く離れてゆく。あ、キスされた。

「あ、△さん、あの」
「いまのはノーカンね」
「え」
「だって私からキスしたんだから」
「えっ、ズルくね!?」
「大人ってのはズルいんだよ」

 でも、と急に細い体が自分に巻き付いてきて、あれ、俺、抱き締められてる、と思考が追いつかなくなって硬直した。

「いまのが私のファーストキスだから」

 責任とってね。と、本当か嘘か分からないようなことを言って道場から出て行ってしまった。


その優しさが一番ずるい
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