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 体を伸ばして水に浸る。投げ出した腕は温く浸る。春暖。暖かいのに、今年は稲が育たなかった。伸ばした爪を蟻が食う。甘いのか。汚濁した呪いでさえ餌になる。

「娘、何をしている」

 縁側で船を漕ぐ悠仁の頬が俄に口を開く。緋色の隻眼は峻厳な眼差しをしている。春水に濡れる指が震えた。

「水浴び」

 小屋は竹林の奥まった所にひっそりと建っていた。古びたものを繕い直したのだった。冬は寒くて到底暮らせないので、暖かくなってから此処で過ごした。春は雪解け水の川が側に流れた。

「血浴びの間違いではないのか」

 愉快そうに宿儺が嗤う。小屋にはよく呪いが溜まった。それを殺し、汚れた手指は雪解け水で洗い流した。

「何故に下らん呪霊など殺しては安逸を貪るのだ」
「何故って」
「貴様程の手練が有れば塵界の全てが思うままだろう」

 悪戯のような口振りで舌を出す。悠仁は静かに眠っている。己の頬が物騒な物言いをしているなど夢にも思わないのだろう。

「ただ、来たるべき時まで暇を潰したいだけだ」

 ほう、と罪障の唇が聞き返す。その唇が、この黒髪に夢中なのを知っている。

「殺せる人間は多い方がいい」
 
 指を何度も川に浸す。その冷たさの中で呪いが死に絶えてゆくのを見る。呵呵大笑、と頬が笑い転げると、流石の悠仁もぱっちり目を覚ました。

「え、びっくりした、なに」
「愉快愉快」
「お目覚めか、悠仁」

 怪訝な顔をしながら目を擦る。無垢な瞳の奥で川が流れる。

「貴様は実に愉快な娘だな」
「ええ、だから何の話」
「此れ程に面白味のある女に邂逅出来たのだから、千年暇していた甲斐があったというものだ」
「めっちゃ喋るじゃん…」

 珍しいらしい。随分と意気揚々と喋る。気味悪いくらい笑うので、悠仁は嫌そうな顔をして己の頬を睨んだ。

「△さん絡みになるとこいつめっちゃ喋るんだよな」
「呪いの王の寵愛を受けられるとは光栄だね」

 呪詛は未だ腹の皮が捩れるほどに嗤っている。うざったそうに頬を手で叩くと、悠仁は制服の上を脱いで川の水にささくれた指を突っ込んだ。

「あー、きもちいね」
「暑いか」
「だってこの小屋クーラーとかねえもん」

 日焼けした皮の厚い手が水の中で揺らめく。王の風格の欠片もない。春の微睡の中に違和感なく生きる。これが時に女子供を手にかけるのかと思うと戦慄する。

「小僧、俺に代われ」
「はあ、なんで」
「水浴びだ」
「お前暑いとかあんのかよ」
「宿儺も涼みたいようだね」
「さっさと代われ」
「へいへい」

 心底うざそうな顔をして悠仁が俯く。途端、妖異な香りの中から紋様が浮き出る。赤く射抜く。闇。突き刺すような眼光で、宿儺は冷えた掌を私の頬に添えた。

「まこと陰鬱な呪いよな」

 水浴びなど口実なのだろう。悠仁と同じ顔なのに、と思う。重く垂れ込める黒さが呪詛の夜に誘惑する。

「この黒々とした髪、眼、総てがこの俺を蠱惑する」
「もしかして口説いてるのかい」
「そうだと言ったらどうする」

 どうする、と選択肢を委ねてうっとりと頬をなぞる。それに笑って、蟻に食われた指先を宿儺の唇に押し付けた。

「食んで」

 王は素直に指先を食む。愉悦に至る。恥ずかしげもなく血塗られた欲を嚥下する。

「やはり血の味がするではないか」
「甘いだろう」
「貴様の指は甘い」

 貴様だけだ、と今度は唇同士を擦り合わせる。

「これが小僧の身体だと言うことが実に惜しい」
「私は宿儺も悠仁もどっちも好きだから一石二鳥だけど」
「貪欲な娘だ」
「嫌か」
「いいや、貴様はそれでよい」

 淀んだ目元が唇をねだる。舌を差し出して、春の雪解けの温度で二人と交わる。


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