月光が透けて、影が間延びする日の夜にだけ、会える。 「いらっしゃい」 ぽつぽつとリンドウの花が咲いている。勝手に領域に引き摺り込まれたと思ったら、いつの間にか水辺で膝を抱えていた。 「綺麗な領域だな」 会うのがこれで何回目になるのか、よく覚えていない。最初にここに来たのは多分、自分がまだ九つくらいの時だった。 「いらっしゃい」 あの時も、足の爪で水面をなぞりながら、月と同じ温度で笑っていた。 それがすごく綺麗だったことだけ、よく覚えている。 「生得領域ってのは、心の中みてえなもんだろ」 「そうだね」 「あんたの心は、すごく綺麗なんだな」 どうだろう、と女は首を傾げて、気怠げな指先でリンドウを摘んだ。 ああ、いいな。羨ましい。そのまま唇まで持っていって、啄むように花弁に口付ける。 ああ…。 「あんたがどこの誰なのか、そんな事もうどうでもいい」 そんな下らないことなど、気にするだけ無駄なのだ。気にしたところで、女に焦がれるこの心臓は二度と元の形に戻りはしない。 「恵、こっちにおいで」 涼しそうな眼差しで呼吸している。その瞳に誘われる。月と同じ温度だ、と思う。影を形作るあの温度。 「俺…あんたの名前、知らないな…」 頬に伸ばされた手を掴み、うっとりと見上げると、女神みたいな顔で黙ってこちらを見ていた。 「△」 「あ…」 ゆったりとした動きで近付いてくる。その唇。そう、それ。ずっと欲しかったんだ、俺は。 「△」 はじめて名を呼ぶ。瞼を閉じる。何も見えない暗い中で、唇に柔らかさを感じる。 その感触をよく確かめながら、薄っすらと瞼を開けた。 「私の恵」 女は笑っていた。ほんとうに女神様みたいだと、水の音を聞きながら思った。 水星の海月 |