あの人は世界の全てだった。今だってあの人は俺の世界の全部だ。 「△さん」 だからあの人の身の回りの世話はなんでもやったし、興味のないことでもなんでも覚えた。 「全部覚えた」 あの人の読む本はいつも棚に綺麗にしまった。花は枯らさないように毎日水遣りした。薬の順番も間違えなかった。いつもそうやって過ごした。 「偉いな、恵」 ちゃんと全部できると褒めてもらえた。十三の自分にはその世界が全てだった。 「△さん」 変だな、と思い始めたのは十五を超えた頃だった。 「△さん、あんた、ずっと綺麗だな」 気味が悪いくらい綺麗だった。何年経ってもずっと見た目が変わらなかった。それが変だと気がついても、知らないふりをした。本当のことを知るのは怖かった。 「お前はどんどん男らしくなるな」 恵、と自分の名を呼ぶ声はずっと同じだった。その変わらなさが、確信に変わったのはあの日の夜だった。 「ばれちゃったか」 あの人は少し悲しそうな顔をしていた。そんな顔しなくてもいいのに、と心の中で思った。 「あんた、半呪霊だったのか」 体の半分が鱗に覆われて、まるで人魚だった。尾鰭があり、その先を水を張った桶に浸していた。 「やはり陸では息が辛くてね」 そのままあの人は桶の水をすべてひっくり返した。辺りは水浸しになった。水を求めて、そこに寝そべった。鱗は青や銀の色をしていた。それは真夜中の美しさだった。 「恵、騙すつもりなかったんだ、ごめんな」 そして水浸しの床の上であの人は啜り泣いた。不謹慎にも、その涙に欲情した。 「騙されたなんて思ってませんよ」 傍にしゃがんで、濡れた髪を一束掬うと、微かに海の香りがした。 「まあ、驚きはしましたけど」 「お前はずっと、人間だと思って世話してくれてたんだろ」 「△さんが人だろうが呪霊だろうがどうだっていい」 「私を責めないのか」 「責める理由がありません」 この人が一番だった。だからこの人の姿形を全て愛した。なんでもよかった。人でも獣でも、変わらず美しかった。 「あんたは最高に綺麗だ、△さん」 水に濡れた鱗を撫でる。細い肩を揺らす。その一瞬を捉えて逃さない。こっち、と誘うように唇が動く。 「あ」 濡れてつやつやしている唇を噛む。あ、と白い肌が粟立つ。これがずっと欲しかった。もっと早く欲張ればよかった、と少し後悔した。 「△さん、もっと」 もっともっと欲しい。強請る自分をこの人は拒絶しなかった。ふたりして水浸しになりながら、何度も唇をあわせた。その間中ずっと、夢のような心地だった。 「恵…」 「△さん、愛してる」 この人の全てを愛している。全部が欲しい。隅から隅まで総てが自分を誘っている。そう思うと、たまらなかった。 「ずっと、こうしたかった、あんたと」 唇を吸うと、その隙間で熱い息が漏れた。たまらない。全部自分のものなんだと思うと、この世を支配したような気分になった。 あの青だけは永久に |