革命ユートピア宣戦
レボルチオン王国。
一見華やかで美しい街並みが広がる小さな国であったが、郊外に目を向けると、その日の食や身に着けるものでさえ満足に得られない人々で溢れていた。
その一つ、フィルス地区にその集会場はある。 薄汚れた外観は築年数の長さと手入れが十分に行き届いていないことを物語っており、それは室内にも表れていた。
もともと数十人規模を想定したであろう広さのそこに、今、二百人を超える人々が詰めかけている。 入りきれず、出入口にたむろしている者たちもいた。継ぎ剥ぎだらけの服を着た彼らの顔は皆不安げだが、どこか熱気が漂っている。
がやがやとした喧騒の中、一際目立つ男の声が聞こえた。
「――でな、コイツはスゲェと思うじゃん! なぁ、オージュロー!」
唾を飛ばす勢いで喋っているのは、よれたシャツに、えらく薄っぺらいジャケット(胸には憲兵の証である紋章が入っている)を羽織った黒髪の男である。 どうやら隣りの白髪の男――オージュローと言うらしい――に対し、チラシについて力説しているようだ。
だが、そのオージュローは、興奮冷めやらぬ男とは対照的に懐疑的な様子で、腕を組み、訝しげにチラシを眺めていた。
「これでよーやく、このクソみたいな生活から抜け出せるじゃん! 前みてーに三食飯食って綺麗な服着てさ!!」
「だがよ、マッセナ。 国王家っつーのは、そもそもこの国の守護神・レボルト様から任命されたってハナシだろ? 改革ってこたァ神様含めて反逆するってことじゃねェか。 罰当たりなんじゃねェの?」
その言葉に、マッセナと呼ばれた黒髪の男は、居心地悪そうに視線をそらした。
「全部前王のせいなんだよ。 あいつが国の金で贅沢三昧しなけりゃレボルト様もお怒りにならなかったろうし。 ――革命なんて罰当たりなことしてみろ、それこそ、レボルト様が何するか」
先ほどからしきりに空腹に唸る腹をさすりながら、オージュローはそう言った。
そんな会話を物陰からこっそり見ていた青年が一人。
ぼさぼさな赤茶色の髪に、うっすらと涙が光る赤い目はこの国特有のもの。 その上にある眉毛は八の字に下がっている。
青年――エドガー=フェルマンは心底後悔していた。
足も手もがくがくと震え、今自分が立っているのかさえ分からない。 昨日まで必死に練習してきた演説文は、すでに綺麗さっぱり頭から抜け落ちている。
もともと人前に出るタチじゃないのだ、僕は。 このひどいアガり症のせいで何度恥をかいたことか。
「ロ、ロアぁ……。 や、やっぱり僕がでないと――」
友人に助けを請うように後ろを振り返るより早く、
「貴様も男なら腹くくれ! とっとと出ろッ!!」乱暴な言葉と共に背中を蹴飛ばされた。
あ、と気付いたときにはもう遅い。
衝撃に耐えられなかった身体は呆気なく壇上に飛び出し――そして、床に激突する。
同時、騒がしかった室内が時を止めたように静まり返った。
どたりと無様に倒れ込んだエドガーへ向けて失笑が漏れる。 嘲るような眼差しが矢のように身体中に突き刺さり、羞恥と緊張で今にも口から心臓が飛び出そうだ。
思い切りぶつけた額が痛い。 いや、全身が痛い。
エドガーは震える四肢に力を込め、ゆっくりと起き上がる。
転がってしまったマイクを拾い上げ、顔を前に向けた瞬間。 ――目の前が眩んだ。
目の前にいる、人、人、人……。
思わず縋り付くように見た先、シスター服のロアが、促すように大きく頷いて見せた。
ごくりと唾を飲み込む。
さぁ、言え。 言うんだ。
だが、気持ちとは裏腹に肝心の身体はかちこちに固まっていた。
あの、フェルマンとこの泣き虫エドガーか。
ヤツが本当にこんな大層なことをやるつもりなのか。
期待はずれだ。 役不足だ。
声無き声に気圧され、エドガーの声帯や口輪筋は硬直したまま。 一向に喋ろうとしない彼に、ひそひそ話は徐々に大きくなり、室内の空気が殺伐としていく。
袖からその様子を見ていたナブリオは大きく舌打ちをした。 「あの馬鹿」と毒づくと、静止するブーリエンヌを突っぱね、肩を怒らせながら出てくる。
「貸せッ!!」
エドガーが持っていたマイクを奪い取る。
投げかけられる批判にも動じず、力強い声で言い放った。
「いい加減静まらんか貴様ら! いいかよく聞け!! 余はなぁ、フランス王国の――――」
その瞬間。
「何を仰ってるんですかへい――えぇと、ナ、ナブリオ!」
「なにでしゃばってるのあなたは! 馬鹿なの!? 計画を台無しにする気!?」
ブーリエンヌが後ろから羽交い締めにし、ロアがマイクを毟り取って口を塞ぎにかかるという見事な連係プレーでナブリオを止めにかかる。
「お、おい貴様らやめろ!! 離せ!!」
「落ち着いてください陛下! ここはエドガーさんに任せて……」
「えぇい! あんなへなちょこに任せられるか! マイクを貸せ! 余がやるわ!!」
「馬鹿! エドガーじゃないとダメなんだってば!!」
一人は棒のように突っ立っているのみ、残りの余所者三人は内輪揉め……――これでは皆がどう思うか想像に難くない。
人々からため息が漏れた。「やっぱりな」と、誰かが諦めにも似た口調で呟く。
浴びせられる罵詈雑言の中、肩を落とした人が一人、また一人と出口の向こうに消えていくのがエドガーには見えた。
待って!
話を聞いて!!
言いたい言葉はちゃんとあるのに、それは喉の奥でピタリと止まる。
視界がじわりと滲んだ。 堪らず俯くと、着古したパンツにぽたぽた、染みが。
――あなたの考えは素晴らしいわ、エドガー。
ロアの顔が脳裏をよぎる。
――神から与えられた王なんて神話が愚かだと、あなただけが気付いた。 このままいけばこの国は間違いなく破滅する。
――あなたしかこの国を救えない。
握った拳が震える。
言葉は何の為にある? 気持ちを、思いを、人に伝えるためにある。
今言わないで、いつ言うんだ。
気持ちが駆り立てる。
心臓が熱を帯び、熱く滾る血液が一瞬で全身を駆け巡った。
「信じる者を救う神が、民を無下にする王を王と認めるはずがない!」
……それは、皆の注目を集め、動きを止めるには十分すぎる熱と、声量を持っていた。
一体誰が予想できただろう。
内気な苛められっ子が、こんな、大きくて力強い声を出すなどと。
ごしごしと乱暴に目元を拭ったエドガーは、自然に立ち上がっていた。
「みんなだって、わかってるんだろ!? 薄々、感づいてるんだろ!? おかしいって!! だから、このチラシを見て集まってくれたんだろ!?」
沈黙は肯定か。
腹の底から出る声は、物音一つしない室内に、人々の心に響く。
「ここに集う者たちよ! 戦う意思を持て! 胸を張れ! 我等は神から王の座を授かった者に反逆するのではない!」
その時、人々の目に映ったのは弱虫で臆病な青年ではなかった。
――数十年前。 この国を治め、平和と繁栄をもたらした、あの名君としての前王の姿が、そこにはあった。
「――――そう嘯くただの男に鉄槌を下すのだ!」
………………。
…………。
……。
その後。
エドガー=フェルマンを筆頭として組織された革命軍によって、現王が前王を不当に処刑したことが判明。 断罪することとなるが、それはまた別のお話。
written by 叶ニナ (@Ninaaaaaaaaaaa7)
illustrated by らむ (@r1am9u)