いつも耳につく蝉の騒音は、雨だからかひとつも聞こえない。 ぼんやりと窓の外を見ていると、「静雄さん」と優しく名前を呼ばれた。 「ミルクティーを淹れたんで、よかったら飲みませんか」 にこりと笑う彼の顔は、“外”で見せるような軽薄なものではない。少し真面目なまだ幼い表情。けれど、どこか大人びていて、胸の内が静かにとくんと鳴った。 「お菓子はなににしましょうか? 確か、紅茶のクッキーがあったような」 「悪いな、正臣」 「いいですよ。最近仕事が忙しくて疲れてるんでしょう? 俺がお茶の準備くらいしますから」 にこりと笑う正臣はきっと気づいていない。俺の謝罪の理由、とくりとくりと僅かに早まる鼓動のわけを。 気づかれたくなくて、でもやっぱり気づいてほしくて。相反する思いは、俺の動揺から生じるのだろうか? 俺だって驚いている。だって、まさか本当にそういう感情を抱くとは思っていなかった。だって、これはおままごとの恋だったはず。俺にとっても、正臣にとっても。 「静雄さん。早くこっちに来てくださいよ」 甘いミルクティーのように優しい彼の声。 ああ、馬鹿みたいに好きだ。少し傷つきやすい、でもだからこそ俺の傷を理解してくれる彼が。 でも、これは抱くべきではない感情。正臣は俺を愛しているふりをしているのだから。俺も彼を愛しているふりをしなければならない。 傷をなめあう関係。 それ以外では、この年下の少年を俺のもとに引き止めることはできないのだ。 好きなやつは別にいた。折原臨也。忌々しいあいつだ。 けれど、厳密に言えばそれは少し違う。確かに俺は「折原臨也」が好きだけど、それは学生時代のあいつであって、今のあいつではない。 よくわからないが、昔のあいつは今よりも甘かった気がする。 何回か、級友としての会話も成立したし、俺を陥れるために法的手段を利用しなかった。 だから、決定的に今の臨也を嫌いになったのは、あいつが俺に罪をなすりつけたあの時。 それ以来、俺は現在の臨也を憎悪し、学生時代の臨也に思いを馳せるという、なかなか歪んだ恋をしている。 「報われませんね」 いつだったか、ぽつりと紀田にそのことを話した時にそう言われたことを記憶している。 その言葉に俺はキレることもなく、泣きそうな顔で頷いた。あんな弱気な顔は、いつもなら誰にも見せないのに。 そうしたら、紀田は少し考えるようなポーズをとって、やがて決心をしたようにこちらを見てきた。 「ねえ、静雄さん。俺にもね、取り戻せない恋があるんですよ」 寂しそうに遠くを見る紀田に胸が痛む。これが同胞意識だろうか? 理由は違うかもしれないが、現実は同じ。俺も紀田も一番大好きな相手と共にいることができない。 「だから、痛みを好きなひとにさらけ出せない同士、傷のなめあいをしませんか?」 その提案に思わず頷いてしまったのは、おそらく紀田の瞳が妙に寂しげだったから。 きっと俺も同じ目をしていたのだろう。同意した俺を、紀田はめいいっぱい優しく抱き締めた。 そう、あの時、彼の提案を冗談として受ければ良かったのだ。 そうすればこんな事態に陥らなかったし、もしかしたらもっと友人めいた付き合いができたかもしれない。 全ては遅すぎる後悔。今の俺は、たとえ偽りの愛でもいいから正臣から貰いたいと思っている。 だって、こんな風に優しく甘く接せられたことはないから。 紀田正臣という人間を知ってしまったから。 おままごとでもいいんだ。このミルクティーのように甘い幻想なら、せめて消えるまで酔ったって構わないだろう? 「静雄さん、今日は随分ぼんやりしてますね。あ、もしかして俺に見とれてました?」 「ああ」 「そうでしょ? ああもう困っちゃうなあ…………って、」 正臣の驚いたような顔に、鬱々とした心が愉快になる。 おままごとだからこそ、きちんと演じなきゃ成り立たないだろう? そういう意味をこめて固まった年下の恋人に笑みを送り、痛む心を口に含んだミルクティーでなんとか打ち消した。 ミルクティーとおままごと (せめて遊びが終わるまでは) |