*静雄がやけに乙女




【浅茅生の 小野の篠原 忍ぶれど 余りてなどか 人の恋しき】


教科書に乗っているこの歌を発見した時、胸の中のどこかがふるりと震えた。あぁ、そうだ、俺のこの複雑な気持ちを表すのに、この歌はなんてぴったりなんだろう。時代は違えど、ひとはいつも同じ思いをするらしい。もっとも、俺にこんな技巧を凝らした歌は作れないけれど。
そうして、しばらくの間、静雄は暇な時ならいつでも教科書を開いていた。見るのはその一点だけ。歌をじっと見つめ、少しして隣に記されている現代語訳に目を通す。「たけの低い茅の生えている小野の篠原の『しの』という言葉のようにじっとこらえて忍んできたけれど、こらえきれずどうしてこんなにもあなたが恋しいのだろうか」 静雄には古典どころか現代文学の素養だってない。けれど、繰り返し目で追ったその言葉を、いつの間にか暗唱できるくらい、理解することができるようになった。

「静雄、最近何を見ているの?」

近づいてきた新羅は、古典の教科書を見るなり、「ああ、源等の歌だね」とさらりと言った。こいつに色んな教養があるのは知っていたが、まさか古典にまで精通しているとは。感心し、それを正直に顔に出せば、新羅は照れたように笑った。

「それはそうと、静雄はこの歌が気に入ったんだね」
「ああ。それがどうした?」
「いや、せっかくなら他のものも読んでみなよ。僕、良い歌集を知っているよ」
「本は眠くなるしな……」
「少しずつで構わないから。それに、そんなに分厚いものじゃないよ。いくつかの歌集から歌を抜粋したものでね、薄い文庫本で出てるんだ」

その本について語る新羅が、静雄の目には魔法使いのように映った。その本は静雄の頭の中できらきらと輝き、思わず胸が高鳴る。
新羅はにこりと微笑んで、手にしていた本を指差した。

「今から僕は図書室に本を返しに行くんだけど、静雄も来る?」

力一杯頷いた静雄を見て、「静雄は教えがいがあるなぁ」と感嘆したような声を新羅は出す。
馬鹿な子ほど可愛いとはこういうことかな。あれ、でもセルティは馬鹿じゃないのに可愛いなぁ。
瞳を輝かせて従順な犬のようについてくる静雄を見て、純粋なところは同じか、と少しだけ納得した。










図書室という場所は、静雄に全く関係がない所であった。
少なくとも、昨日まではという条件付きだ。たくさんの本に圧倒されて、本を手にすることすら躊躇った自分が嘘のように、今日の静雄はすんなり図書室の中に入った。

「静雄、これだよ。じゃあ、僕は借りる本探しているから」

手渡された文庫本は確かに薄い。けれど、ある程度年代を重ねたような姿には風格があった。
ぺらぺらと捲って、あの歌を見つけた。「浅茅生の」という五文字を見て、馴染み深さと共に微かな胸の痛み。
新羅はともかく、臨也にこんな姿を見られたらどれほど馬鹿にされるだろう? 静雄はため息を吐く。いや、馬鹿にするどころではないかもしれない。「気持ち悪い」と嫌悪感丸出しな台詞を吐かれれば、さすがの静雄でもつらい。
自覚はしている。これは抱くべきではない感情だと。それでも、その思いは押し隠せても消えることはない。所詮、見ないふりをして隠し続けているだけなのだ。だから、ふとした瞬間に溢れ出す。「じっとこらえて忍んできたけれど、こらえきれずどうしてこんなにもあなたが恋しいのだろうか」我ながら女々しいとは思う。けれど、正々堂々認めているところだけは、誇りを持てる。

ただ無心に文庫本を眺めていたら、誰かとドンッとぶつかった。
「悪い!」と慌てて謝ると、「大丈夫だ」という落ち着いた声。恐る恐る相手の顔を見れば、静雄のよく知った顔が苦笑していた。

「門田……」
「珍しいな。お前が図書室にいるなんて。何を読むんだ?」

すっと大きな手が伸びて、静雄が手にした本を触れようとする。その時、静雄の手を触れたから、思わずその手を払ってしまう。

「静雄?」
「……悪い」

触れられたところが熱い。鼓動も門田に聞こえているんじゃないかというほどうるさく鳴る。

「どうかしたのか? 表情が暗い」

心配そうにこちらを見てくる門田に、どうしようもなくときめいた。「好き」という感情が溢れそうで、それを声にしてしまいそうで、静雄は門田に背を向け逃げようとする。
けれど、世話焼きな彼はそんな静雄を許さず、今度はしっかりと静雄の手首を握った。

「……っ!」
「待て。本当にどうしたんだ」
「はな、せよ」
「駄目だ。ちゃんとそんな悲しそうにしているわけを話せ」

臨也か? と真剣に聞いてくる門田に、お前だよ、と叫びたかった。だが、それによって今までの我慢は水の泡になる。この気持ちをさらけ出せば、門田はもう近づいて来てくれないだろう。もう、優しく笑いかけてくれない。
泣きそうになった顔を見られたくなくてうつむけば、視界に入る文庫本。あ、そうだ。静雄の頭の中は急に晴れ渡る。これを使えば良いんだ。これを使えば、自分の気持ちを曝け出しても気づかれることはない。
伏せた顔を上げて門田の顔を見る。心配そうな彼は、静雄の真剣な顔に疑問符を浮かべた。それに構わず、静雄はただ口を開いた。










その静雄の気持ちを表した歌を読むと同時に、ちくりとした痛みと爽快感が彼を襲った。よくわからないが、一区切りついたような心地がする。ぱちくりと瞬きを繰り返す門田は、いつの間にか静雄の手首を解放していた。だから、静雄は「じゃあな」と一声かけて、図書室を後にする。
一区切りはついた。けれど、それによってひどく痛む「何か」があるのも確かなのだ。
階段を登って、登って、登って、到着した屋上の隠れたところに腰を下ろす。手にある本を見て、貸出しの手続きをしていなかったことを思い出した。律儀な静雄は、慌てて本の最後の部分に貼り付けてある貸出し記録に名前を書いた。
時間を見計らって図書室に寄ろう。そして、このカードを出さなければ。
そう考えた静雄の目は、貸出しカードの下から二番目を見て一瞬動きを止めた。

「門田?」

門田京平という名前がそこにはあった。










「あ、門田君。君も本を……」

新羅が門田に声をかけた時、彼は見事に硬直していた。

「どうしたの?」
「いや、何でもない……ような気がする」

よくわからないが、新羅は敢えてつっこまないことにした。ひとには誰しも言いたくないことのひとつやふたつはあるだろう。
だから、新羅にとっては「無難な話」に話題を変えた。

「そういえば、静雄に会った? いやね、門田君にこないだ薦めた和歌集あるじゃない。あれをね、静雄にも渡してみたんだ」
「……何でまた」
「いやねぇ、門田君も意外に思うだろうけど、最近静雄が古典の教科書に載っている源等の『浅茅生の』で始まる有名な歌をね、ずっと凝視してたんだよ。だから、そういうの好きなのかなって」

休み時間に一心に教科書を見る静雄。その光景を思い出し、新羅は面白い冗談を思い付いた。

「いや、もしかして、静雄はその歌に共感していたのかもしれないね。叶わぬ恋を、秘めた恋を嘆く歌。誰か好きな人でもできたのかな?」
「……やっぱり」
「え、何?」
「やっぱり、そう思うか?」

ひどく真剣な顔をした門田を見て、新羅は首を捻る。

「何が?」
「……質問を変えよう。その歌を誰かに対して言う行為は、何を意味すると思う?」
「何って、門田君もその歌の内容を知ってるでしょ。和歌を告白に使うような、古風でちょっと素敵な女の子がいるとは思わないけど、使うとしたら『あなたを好きだと隠してたけど、その気持ちは溢れて隠せそうにないわ!』じゃないかな?」
「…………」

黙り込む門田を見て、新羅は疑問に思ったことをそのまま聞く。

「門田君。顔が凄い赤いよ」
「…………誰かのせいでな。なあ岸谷、静雄が逃げる場所といえばどこだ?」
「逃げる場所? 多分屋上かな」
「礼を言う。今のことと、俺にあの本を薦めてくれたことの両方に」

走って図書室を出ていく門田を見て、新羅はあまり釈然としなかった。釈然としなかったが、静雄が関係しているんだろうな、ということと、もしかしたら今日、来神高校に新しいカップルができるかもしれないなぁ、とぼんやり思う。

「褒めて、セルティ。もしかしたら僕、恋のキューピッドかも」

その予感は当たり、三十分後の図書室でできたてのカップルが顔を赤く染めながらあるひとつの本を借りていた。






キューピッド







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