「あああぁー!」

突然の臨也の叫び声に静雄は身体をびくりと震わす。さっきから流し読みをしていた雑誌を放り投げて臨也の仕事部屋に向かうと、そこには珍しく余裕のない臨也の姿。
臨也が叫んだりとか頭を抱える姿を見たのは初めてかもしれない。だから、それはひどく新鮮で不可解な光景だった。

「ああ……、もう嫌だ、やだやだやだ」
「い、臨也? どうしたんだ?」
「シズちゃん……」

臨也はフレーム無しの眼鏡をかけて、デスクの上のパソコンに向かっている。その知的な姿にどきりとすることは、最近、付き合ってから知ったことだ。
落胆した様子の臨也は椅子に身体を深く沈め、静雄の方に疲れた赤い瞳を向けた。

「あともう少しで終わりそうだった書類をね、間違って消しちゃったんだ。あー、上書き保存しとくんだった。いちからやり直しだよ」
「それは大変だな」
「本当だよ!」

臨也は机を手のひらで叩き、柄にもなく声を張り上げた。
その迫力に、静雄はぱちくりと瞬きをする。この余裕なさげな男は、本当に折原臨也なのだろうか? どうにも今日の臨也は少し感情的だ。
疑問に思い首を傾げていると、臨也は「ああ……」とひどく絶望したように呟いた。

「これが終わったら仕事はもう終わりだったのに。またやり直しだなんて、これじゃ地獄だよ」
「地獄ってなあ……」
「そうだろ? せっかくシズちゃんが俺の家に来てくれたのに、俺が触るのはシズちゃんじゃなくてパソコン。俺はキーボードじゃなくて、君の長い指に自分の指を絡めたり、君の細い腰を撫でたり、君の熱い口内を指でまさぐりたいの。それなのに、書類を作り直す為のあともう数時間それをお預けされるなんて……悪夢だ」

あああ、と呻いて肩を落とす臨也に静雄は少し苦笑する。
まあ、気持ちはわからなくない。最近互いに忙しくて、なかなか会う機会がなかったのだ。
だから、臨也は久しぶりに会う今日を楽しみにしてくれていたのだろう。それは純粋に嬉しかった。

「あー、もう。なんか色々溜まってるのに」
「色々ってお前」
「キスして愛撫して押し倒して愛を交わして一緒に寝る。そんな俺の完璧なプランをどうしてくれるんだよ」

はぁ、と意気消沈する臨也は、もうパソコンにも向かいたくないようだ。身体を預ける黒い椅子をくるくるゆるやかに回転させ、不機嫌そうに顔を歪める。
一度作ったものを、同じように作る。それは結構気疲れする行動だと思う。
けれど、それでも臨也に仕事をやってもらわなければならない。それも、できるだけ迅速に。
静雄はデスクに近づき、少し疲れているように見える臨也の頭を撫でる。さらさらと綺麗な黒髪の感触が気持ち良い。すると、ようやく臨也の顔が少し穏やかなものになった。

今しかない。

そう思って、静雄は隙だらけの臨也に息が当たるくらいまで近寄り、唇に軽くくちづけた。

「し、ずちゃん?」
「ほら、キスの続きをやりたきゃ、早く仕事を済ませよ。お前が本気になれば、これくらい一時間でできるだろ」
「で、できる! むしろ一時間もかけないでやるから。すぐに終わらせるから」

途端、スイッチが入ったようにパソコンに向かう臨也はひどく真剣で、静雄は彼の邪魔をしないように静かに仕事部屋から退出した。
そして再びリビングに戻って雑誌を開く。けれど、色とりどりのきらきらとした記事のいくつかを見ても、静雄はため息を吐くばかりだ。

「……はやく終わんねーかな」

雑誌に出ている弟も、今日ばかりは静雄を慰めてくれない。
今、静雄が必要としているのはただひとり。キスされて愛撫されて押し倒されて愛を交わし合って一緒に寝たいのはひとりだけ。寂しかったのは、なにも臨也だけじゃない。

ああ、本当に、いつかあのパソコンを壊してやりたい。

静雄は退屈と寂しさを紛らわすように、まだ熱を持っている自分の唇にそっと触れた。







***

消えた小説の代わりに書いたお話。
教訓>上書き保存はこまめに




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