*臨也さんは変わり身が早いのもありえそうだよね、という話 「ねえ、あれ静雄じゃない?」 昼休みに屋上に来てみれば、ぺたんとこちらに背を向けて座る女子生徒の姿が目に入った。 きらめく金髪、華奢な肢体、白い肌はこの炎天下の中にいるからか、じゃっかん赤みを帯びている。 そこまでなら、特に変わった様子のない風景。昼休みの屋上に少女がお昼を食べてきたように間違いなく見える。強いて言うなら、彼女が並外れの美貌を持っているところが平凡なこの画を際立たせているかもしれない。 しかし、この一見か弱そうに見える少女の周りには、まさに死屍累々と言えるような大量の気絶した男子生徒。当たり前だ、彼女はか弱いだけの女の子とは異なっているのだから。 「なんだ、また全員倒しちゃったんだ」 至極つまらなそうに臨也は呟く。それに新羅は苦笑しながら思った。また静雄にひとを差し向けたんだ、と。 けらけら笑う臨也は、新羅でも多少の苛立ちを感じる。それならば、静雄はどれだけの怒りを感じていることだか。新羅はいつでも避難できるよう、細心の警戒体勢を取った。 しかし、静雄は黙ったままぴくりとも動かない。これには新羅ばかりか臨也まで小首を傾げる。 あまりの怒りに呆然としているのだろうか? 危険は承知で、怒りで顔に青筋を浮かべているであろう彼女の顔を見ようと、ふたりして静かに静雄の正面まで歩いていくと―――、 「え!」 「し、静雄? ちょ、なに、どうしたの!?」 正面から見た静雄は、どこから見てもか弱い少女だった。そう―――まるで周りに倒れ伏せている男子生徒たちに苛められて、泣いている少女のように。 あまりのことに固まったふたりだが、臨也の方がいち早く復活した。 「シズちゃん。こいつらに、なにか、されたの……?」 罪悪感から多少震える臨也の声。なにも答えない静雄の肩を優しく掴めば、彼女はびくりと身体を震わせた。 涙は水量を増す。小さな押し殺すような嗚咽。それが逆に胸が痛むような光景を作り出している。 「臨也……」 新羅の視線が痛い。当たり前だ。いくら傍観者のポジションにいる新羅だって、こんな静雄を見れば白い目でも向けたくなる。 臨也は困ったように頬をかき、恐る恐る静雄の髪を撫でる。それに静雄は驚いたように臨也を見上げ、すぐに本格的に泣き出してしまった。 「シズちゃん、えっと、その」 「いざや…………」 「うん、あのね、さすがに俺も今回は悪かったなあって思ったり、いや、今回だけじゃないよね。つまり、その」 「ごめん」 え? と臨也も新羅も固まる。今のどこに静雄が謝る要素があっただろうか? むしろ、逆であるはずなのに。 すると、静雄はおずおずと両手で隠していたものを臨也に見せる。薄い水色の弁当箱。中身は型崩れしてしまっていた。 「それ、シズちゃんのお弁当?」 「…………」 「えっと、もしかして喧嘩したら中身がぐちゃぐちゃになっちゃったのかな?」 静雄はこくんと小さく頷く。 よくわからないけど、静雄がたかがお弁当でここまで泣くだろうか? 彼女はそこまで食い意地を張ってないし、どうしても空腹なら購買に行けば良い。 臨也が疑問に首を傾げていると、後ろから「……あぁ」と小さく納得した声。 振り返れば、新羅が苦笑をしている。 「……うん、そっか。それは君のためのものじゃないんだね、静雄」 「え? どういうこと?」 「邪魔者は退散するけど、ちゃんと臨也に説明してあげるんだよ?」 そう言うなり踵を返す新羅を見て、臨也は更に混乱する。 新羅はなにを言っているんだ? 邪魔者? シズちゃんのためのものじゃないお弁当? 脳内をフル回転させ、臨也は思わず「あ」と小さく声をあげた。 こんな自分にも良心というものがあったようだ。臨也は人生で初めて良心の呵責を感じた。それも、自分をぶん殴りたくなるくらい。 「シズちゃんのお弁当美味しそうだね」 嫌味でもなくて、悪口でもなくて、そんな風に臨也から話しかけられたのは初めてだった。 思わずぽかんとしていると、ひょいっとおかずを取られる。臨也は満足そうに頷いた。 「うん、美味しい」 「な、な」 「シズちゃんのお母さんが作ったの?」 「あ、いや」 よくわからないけど、まともに臨也の顔が見れなかった。それを見かねたのか、新羅が微笑みながら臨也に話しかける。 「作ったのは静雄だよ。彼女は結構家庭的なんだから」 「へえ」 じゃあさ、と臨也はにっこり笑って言った。 「今度俺にも作ってきてくれない?」 本当に、初めてだったのだ。 嫌味でもなく、悪口を言うのでもなく、そんな会話が成り立ったのは。 すごい優しい笑顔。そんな顔を見たのは初めてで、それなら、たとえこの言葉が嘘であっても構わないと思うくらい嬉しかった。 なのに、どうして自分は失敗してしまうのだろう? こんな崩れた弁当。そんなもの渡せるわけがない。せっかく早起きしていつもより頑張って作ったのに、結果がこのザマなんて、悲しくて涙が止まらない。 「馬鹿だよな。お前の冗談を真に受けて、それがかなわなかったからってこうやって泣く。お前にはいい迷惑だ」 「なっ」 「俺には! ……俺にはそんな女の子みたいなことをする資格はなかったんだよ。だから、こんな結果になった。本当に、情けない」 短いスカートをぎゅっと握る。こうやってスカートを短くしたり、お弁当を作ったりして、自分はきっと勘違いしていたのだ。こうすれば、きっと臨也が女の子扱いをしてくれると。 本当に馬鹿だ。こんなことをしたって何も変わらないのに。こんなことをしたって、臨也は自分を好きになったりしないのに。 黙って涙をこらえていると、臨也はなにも言わずに静雄の弁当を取り上げる。 驚いて見上げれば、臨也は黙々と弁当を食べ始めた。 「臨也!」 「…………」 「食べないでいいから。そんなの美味しくないから」 「美味しいよ」 少し怒ったような顔で、臨也は静雄を見た。その真摯な瞳だけで静雄はなにも言えなくなってしまう。 臨也は大切そうに弁当を胸に抱いて、静雄に向かって微笑んだ。 「好きな子が頑張って作ってくれたのに、喜ばない男はいないよ」 「え……」 「ていうか、本当に作ってくれるとは思わなかった。……困ったな、すごく嬉しい。こんな俺のために、泣いてくれたりするし」 その言葉に、押し殺していた涙が溢れた。臨也はぎょっとしたが、すぐにおずおずと静雄の頬に流れる涙をぬぐってきた。 優しく撫でる手。決壊が壊れたような気がした。 「お、まえは、嫌味を言ったり、悪口を言ったり、すぐに俺を傷つけるくせに」 「うん、ごめん」 「けど、時々調子狂うようなことするから、こっちも調子狂うんだよ」 「うん」 「スカートを短くしたり、髪を伸ばしてみたり、お前に弁当を作ったり。お前のせいで、俺は自分に似合わないことばかりしてんだよ」 「……へぇ、そうなんだ」 「お前に女の子扱いして欲しいって、馬鹿みたいなことを考えたり、それから―――」 「ストップ。待ってほんとに」 臨也はいつの間にかうつむいていた。疑問に思い覗き込めば、紅潮した眉目秀麗な顔。 「臨也?」 「ああもう! ちょっと、不意打ちは卑怯だって。なにそのミサイル連発。こっちの心臓のことを少しは考慮してくれないかなあ?」 「へ?」 「ったく、こっちは君が俺にお弁当を作ってきてくれただけでハッピーなのに、これ以上の幸福を俺に与えてどうするの? なに、幸せで圧死させるわけ? はっ、シズちゃんにしてはかなりの上策だよ、畜生!」 臨也の気迫に押された静雄は、ぴたりと涙を止める。状況がまるでわからない。きょとんとした静雄に、臨也はちいさくため息を落としてから言った。 「シズちゃん、今まで喧嘩ばっかりしてごめんね。歪んだ愛情表現でした、反省してます。それからこんなところで言うのもなんだけど、 俺と結婚を前提とした交際をしてくれませんか?」 *** あまりの気迫に驚いて頷いてしまった俺だけど、家に帰ってもしっくりしない。 なにか変わるのだろうかと首を傾げて次の日に登校すれば、教室に入るなり視界が真っ暗になった。 「おはよう、シズちゃん」 耳元で囁かれる声、騒然とする教室。 抱き締められているという状況を認識するにつれて、熱くなってくる顔。 「ば、ばか! ここは教室だ馬鹿!」 思わず臨也を突き飛ばして教室から逃げる。どくどくとうるさい鼓動。なんだこれ、なんだこれ。赤くなった顔を隠しながら、俺は屋上までダッシュする。 今日はもう教室に行けそうにない。 「臨也、静雄行っちゃったよ」 突き飛ばされた身体を起こす臨也は、すごくいい笑顔を新羅に向けた。 「シズちゃん少し混乱してるみたいだからね、昼休みにまでひとりにしてあげようかな」 「……そう」 「ああ、今日のお弁当も楽しみだなあ!」 そう、と新羅は呆れたように笑った。 (変わり身がはやいというかなんというか、これじゃあある意味、静雄は残りの高校生活を全て今までと変わらず臨也に捧げることになるんだろうな。まあ、愛があるならいいけれど) back |