恋人である折原臨也を、ある意味馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、まさかこれまでとは思っていなかった。
さっきのときめきを返せ。静雄はそう怒鳴る気力も失せて、ただ深くため息を吐く。
なにが悲しいって、こんなのが恋人であると認識している自分自身が悲しい。

静雄はぶちまけられて身体中にまとわりつく蜂蜜に顔をしかめ、加害者である恋人に再び諦めのため息を送った。お前、そんなんだから友達少ないんだぞ。










「シズちゃん、ホットケーキ作ってあげる」

その言葉に柄にもなく胸が躍った。
かっこわるいかもしれないが、静雄は蜂蜜のたっぷりかかったホットケーキが大好きだ。香ばしいバターの風味と、甘い甘い蜂蜜の味。口にするだけで、とても幸福になれる。
待っててね、と言った臨也は、黒いエプロンをさっと纏い、キッチンに入っていく。静雄は黙ってそれに続いた。

「なあに? 牛乳でも飲む?」

自分についてきた静雄に驚いたのか、臨也は赤い目をぱちくり瞬かせている。静雄はとりあえず頷いて牛乳を受け取り、料理を始めた臨也をじっと見た。

(……ノミ蟲のくせに)

熱くなった頬を隠すように、静雄はダイニングに戻る。かっこいいんだよ、ばか。
黒いエプロンを身につけた恋人の姿。本人に言うつもりはないが、静雄はホットケーキだけではなくて、臨也が料理をするその姿もたまらなく好きだった。
その両方を与えられたのだから静雄の機嫌は上々で、その幸せそうな恋人の顔をこっそり盗み見て、臨也もふわりと優しげに笑う。

「そこまではほのぼのタイムだったのにねえ……」

そのほのぼのタイムを壊したのはお前だろ。
そういう意味をこめて睨み付けてみるが、臨也はちっとも動じなかった。それどころか、にこりと笑みを返されたものだからたまらない。
うっすら染まった赤い頬をごまかすように、静雄は金の髪から滴る蜂蜜を軽くぬぐう。ああ、もう、べたべたする。気持ち悪い。早くシャワーでも浴びて、すっきりしたいものだ。

「こら、駄目でしょ」

臨也は静雄の手首を掴んで、蜂蜜をぬぐうのをやめさせる。いたって真剣な顔。眉目秀麗なそれは、見てるこっちが惚れ惚れとするほどのものである。
けれど、静雄はため息を吐きたくなった。経験上、この男が真剣な顔をする時は大抵、

「俺がなめるんだから」

こういう馬鹿なことを考えている時がほとんどなのだ。









丁寧に丹念に、臨也の舌は静雄の顔をなめる。なんだかそれがくすぐったくて、思わず小さな笑いがこぼれた。
臨也もふふと笑って、静雄に応える。

「シズちゃんも満更でもないみたいだね。かわいい」
「うるせえよ」

ひどく穏やかに呟かれたそれに、臨也は口角を上げた。その捕食者のような表情に、少し納得がいかない。
そうこうしてるうちに、臨也の舌は静雄の首筋をいやらしくなめ始める。
一気に妖しくなった雰囲気。それに静雄は眉をひそめた。お前は子猫みたいにぺろぺろなめてりゃいいんだよ。

静雄は視界の端に移る蜂蜜の瓶を手にとる。そして、自然な動きでその蓋を開いて、

「……なにするの?」
「はっ。いきなり台所からエプロンしたまま蜂蜜を持ってきて、俺に頭からそれをかけた野郎にだけは言われたくねえな」
「せっかくいいとこだったのに。まさかこういう妨害をされるとはね」

瓶に残っていた蜂蜜はそれほど多くはなかったけれど、臨也の顔には十分かかった。
臨也はそれを厭って顔をしかめる。そして皮肉るように呟いた。

「俺はかける趣味はあっても、かけられる趣味はないんだけど」
「俺にもねえよ」
「あーあ、これどうするのさ。……そうだ、今から一緒にシャワー浴びようよ」
「は?」

ぎろりと睨めば、臨也は肩を竦める。

「はいはい、わかりました。じゃ、ひとりで浴びるよ」
「ふざけんな」
「……しょうがないなあ。いいよ、先にお風呂に入っておいで」
「まだ用事は済んでない」

え? と瞳をぱちくりとさせる臨也をフローリングに座らせる。そして、彼の膝の上に向かい合う形で座り、ためらわずに蜂蜜のついた頬をぺろりとなめた。

「し、シズちゃん!」
「うるさい。俺だけこんな恥ずかしい目にあうのも、お前だけこんな贅沢なことができるのもずるいだろ」
「贅沢?」
「お前だけ、ずるいだろ。俺だってなめたい」

当たり前のようにそう言い放ってこちらを見てくる静雄に、臨也は頭が痛くなる。
目の前には蜂蜜まみれの恋人。しかも、その恋人が自分についた蜂蜜を執拗になめてくる。加えて、今の爆弾発言。こんな楽園、自分の妄想の中でしか存在しないものだと思っていた。
しかも、更に悪いことに、この恋人は純粋な気持ちでこんなことをしているのだ。決して、臨也を誘っているわけではない。
けれど、その禁欲的なバーテン服と蜂蜜まみれの静雄にこんなことをさせると、臨也の知的な思考もショート寸前だった。
いけない。ただでさえ、ほのぼのとしたふたりの時間を蜂蜜をぶっかけるという行為で壊したばかりなのだ。それに、このまま目の前の恋人を食べてしまうなんて、盛り時の中学生でもあるまいし。
臨也は猫みたいにぺろぺろなめてくるかわいい恋人に微笑みかけた。なんとかして、普段のような余裕を取り戻さないと。
だから、そんなことを言ったのも、静雄をからかっていつもの自分に戻ろうとしただけだったのだ。

「まあ、蜂蜜もシズちゃんもなめられるなんて、確かにすごい贅沢だよね。あ、シズちゃんもそう思ったんでしょ? 蜂蜜だけじゃなくて、大好きな俺のこともなめたかったわけだ」

ぽかんとした静雄は、臨也の予想通りに悪態を吐かなかった。
ただ、頬を真っ赤にしてうつむいただけ。
ああ、そうですか。そうなんですか。そんな素敵な展開になっちゃうんですか。ぷつんと切れた糸のような何かに、臨也は静雄への気遣いもプライドも投げ捨て、静雄の頬をいやらしくなめ上げる。

「ひ、」
「ほら、なめてよ。俺ばっか、ずるいんでしょ?」
「な、いざやっ」
「悪いのは君なんだから。おとなしくいただかれなさい」

せっかく蜂蜜がかかって美味しそうなんだしね。にやりと笑った臨也は、もう完全に捕食者の顔だった。




食べるのは俺で
(食べられるのは君だよ)










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