*来神時代





キスをする時、シズちゃんは大抵目を開けている。驚いて目を見開き、そのまま硬直してしまうからだ。まあ、それは俺がいつも突然キスをするからいけないんだろうけど、まさか事前に許可を取るわけにもいかない。だって、絶対に許してくれるわけがないじゃないか。

ともかく、俺はいつも、見開いた瞳と同じように固まった彼の背中に手を回し、キスする時には閉じていた自分の瞳を開いて、彼の綺麗な茶色い瞳を間近で見る。すると、羞恥から必ず彼は瞳を固く閉じた。すがるように俺の学ランを掴む手も、同様にぎゅっと力が入る。可愛いな。そう、シズちゃんとキスする時、彼はひどく可愛い。

そういったお決まりの順序を繰り返し、今日の長いキスも佳境に入る。名残惜しいのは確かだが、いつまでもディープキスに慣れない彼は、さすがにもう息が限界だろう。
俺は唇を離してからの自分の行動を頭の中でしっかり組み立てた。腰が抜けたシズちゃんなら、急いで逃げてしまえば捕まることはない。いつも通り、「いざやああぁっ」とキレたシズちゃんとのおいかけっこが始まるわけだ。
それは幾度も繰り返された順序であり、決して覆されることのないひとつの事象であった。

そう、そのはずなんだけど、

シズちゃんの唇から自分のものを解放し、「ごちそうさま。じゃあね」と言って逃げようとした瞬間、いつもとは違って、シズちゃんの右手が素早く俺の腕を掴む。
え? あれ? もしかして捕まっちゃった? やべ、どうしよう。
いつもシズちゃんはキスでぼんやりとした頭と体から立ち直るのに少し時間が必要だから、その隙をついて逃げれば良かった。けれど、どうしてだろう。さすがのシズちゃんも、ようやくキスに慣れたのか?

しかし、俺の腕を掴んだなりうつむいてしまったシズちゃんは、耳まで真っ赤で肩で息をしていて、つまり全然立ち直ってない。
むしろ、今日のはいつもより一分くらい長めだったから、きっと酸素が足りなくてつらいのだろう。優しく彼の背中をさすってあげながら、ふと、あ、逃げなきゃやばいだろ! と思った。
きっとシズちゃんは、いつもより長いキスにいつもより怒り、俺をぼこぼこにしようと素早く捕まえたはいいものの、酸欠状態で俺を殴れないのだろう。
つまり、シズちゃんは回復したらすぐに、俺のことをぎったぎたにする気なのだ。俺の腕をぎゅっと握って離さないシズちゃんの手を見て、背筋に冷たい何かが過る心地がした。逃げなければ。

彼の手を振り払うように教室から出ていこうとすると、力があまり入らない(いつもの馬鹿力に比べて)であろうシズちゃんの手は何とか離れた。
しかし、シズちゃんはそれを許さず、荒い息のまま俺を教室の扉付近で捕まえ、ずるずると再び無人の教室の中に引きずり込む。

こうなったら、仕方がない。非常に不本意ではあるが、とりあえず一回謝ってみよう。そうすれば、殴るのを一回にしてくれるかもしれない。人間、アピールというものは大切だ。

「シズちゃん、ごめ……」
「行くなよ」

未だ濡れた瞳と唇は、とても色っぽい。思わず、色んなものがとびそうになった。
しかし、この「行くなよ」は、ちっとも可愛らしい意味ではないのだ。「行くなよ。その前にてめえ、一発殴らせろ」の紛らわしい略であり、おそらく、そんなことを言いながらも、俺が殴られるのは一発では済まないだろう。
だがしかし、瞳をうるうるさせて、こちらを上目遣いで見てくるシズちゃんを見て、逃げようとした足はぴたりと止まる。
だって可愛いんだもん! 
いいさっ、一回でも二回でも殴れば良い。シズちゃんのこの顔を少しでも長く見るためなら、それぐらい我慢してやる。

しかし、おずおずとこれまた可愛らしい顔でこちらを見てきたシズちゃんの口からは、全く予想外の言葉が飛び出てきた。

「足りない」
「は?」
「だからっ、その、もっと、してほしいというか……」
「何を?」

いくら頭の回転が光速並みの臨也さんでも、この状況はかなり意味不明だった。
シズちゃん、何を言ってるの? 首を捻りながらシズちゃんを凝視すると、あろうことかシズちゃんはぽろぽろと涙を流し始めた。

「もう、いいっ!」
「し、シズちゃん?」
「うるさいばかっ。いつもいつも好きな時にキスしてくるくせに、俺がしてほしいって言っちゃ駄目なのかよ!」

文学の中で度々登場する、頭に雷が落ちたような描写。なるほど、確かに今の状況にはひどく似つかわしい。
なるほどなるほど。俺は慎重だから常に最低な事態を予想しているが、どうやら今回は夢を見てもいいらしい。
そう、まさかシズちゃんがキスのおねだりをしてくるという、宝くじが当籤するよりも稀な出来事を。

「シズちゃん、シズちゃん」

こっちを向いて、と優しく言うと、ゆっくりとこちらを伺うように、シズちゃんは振り返る。ああ、どうしよう。可愛くてたまんない。シズちゃん人間じゃないのに、俺は見事にたぶらかされてしまったなぁ。
そうして、涙の跡が残るシズちゃんの白い頬を両手で優しく包み、俺はにこりと本心から笑った。

「シズちゃん、キスして良い?」

シズちゃんがいつもと違って瞳を閉じたのを合図に、俺は飛び付くように再び口づけを落とした。



法則は役立たず




(そうだった。シズちゃんにパターンが当てはまる訳がない。
彼はいつも、俺の予想の外を行く)










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