いつもと同じ男は、今日はちょっとだけ違った。
 ごうんごうんとうなるようにまわる洗濯機に目もくれず、六条は手元にある分厚い本に視線を落としている。小難しいタイトルが刻まれた古い本と今時のスタイルをした彼。違和感にその姿を凝視していると、ちらりと優しい瞳がこちらを向いた。

「静雄」

 ふわりと笑む顔はいつも通りのものだ。甘く囁くような声も、おそろしいほど邪気のない笑顔も常と変らない。
 課題がたまっちゃってさ、と苦笑する六条は分厚い本を困ったように見つめる。自業自得だ、勉強しろ大学生。そうやって告げた言葉に動揺が混じらないように、俺は冷静さを保つのに少し苦労をした。コインをコインランドリーの投入口に入れ、洗濯物を豪快に放り込む。洗濯機がまわり出すと、うるさいはずのコインランドリーに静寂が舞い降りたような感覚に陥った。
 はじめて話しかけてきたときも、そしてその後も、決まって最初にしゃべりだすのは六条の方からだった。やかましいとは違うけれどにぎやかな男は、今は真剣に分厚い本の文字を目で追っている。真剣なまなざし、引き結ばれた口許。整った彼の顔を見ていると、時間を忘れた。
 ピーッとブザー音が鳴る。たぶん、先に来ていた六条の洗濯が終わったのだろう。ブザーが鳴りやむと、六条は黙って洗濯物を取出しにかかった。黙々と作業に取り掛かる彼の顔はなぜだかうっすらと赤い。コインランドリーの室温は、顔を赤らめるほど暑くないと思うのだが。

 きょとんとしてしばらく六条の顔を眺めていると、彼はひとつ溜息を吐いて、次に俺に強いまなざしを向けた。
 その表情は意を決したもののようにも見えたし、照れた少年のようにも見えた。

「あのさ、静雄」
「なんだよ」
「さっきから、なにか用でもあるのかな」
「いや、特にはねえけど?」

 突然の六条の言葉にぽかんと呆けた顔をしていると、彼は常日頃の彼らしくなく歯切れの悪い様子でそうなんだと呟いて、黙った。
 しばらくの沈黙の後、ぼそりと呟いた言葉を聞いて、俺は思わず吹き出すように笑ってしまった。

「あんたがらしくなく俺のことを見てくるものだから、まともに一文も読めなかった」

 やつあたりのようにそう告げる六条は普段の大人びた顔に反して子供っぽくて、俺はこらえきれずに小さく声をあげて笑った。そんな俺に六条はひどく驚いた顔をしたが、すぐにいつもの憎めない笑みを浮かべてこう言った。

「今日はもうまともな頭じゃないから勉強はやめた。だからさ、もしよかったら――」
「飯なら行かねえぞ」
「……ですよねー」

 今日こそはいけると思ったんだけどな、と不満そうな顔をする六条は、諦めたのか洗濯物を抱えてコインランドリーを後にしようとしている。それはいつも通りの光景だ。俺はそんな六条の背中に、いつもとは違う言葉を投げかけた。

「学生の学業を邪魔して悪い成績を取らせるわけにはいかないからな」

 ぴたりとコインランドリーの入り口で六条の体が止まる。相変わらず聡い男だ。俺の失言を右から左へ聞き流してはくれないらしい。
 いつも砂糖のように甘い言葉を吐く彼が、この程度でこうも動揺するのか。後ろから見える六条の耳は淡く赤く熱を持っているように見えた。
 手のひらに汗がにじむ。

「じゃあ」

 歯切れ悪く、ぼそぼそと六条が呟く。じゃあ、課題が終わったら一緒にごはん行ってくれる? いつもと違ってしおらしく聞いてくる彼に、なんだかこっちの方が恥ずかしくなってきた。頬に集まる熱を振り払い、無愛想にその質問に答えた。

「さっさと課題終わらせて来い」

 しばらくの沈黙の後ひとつうなずいた六条は、今度こそコインランドリーから立ち去った。
 あれほど深く立ち入ることをよしとしなかったのに、俺はこれほどたやすく最初の一歩を踏み出してしまった。けれども、それもしょうがない。
 思い出すのは黙ったままの六条。俺はにぎやかさより静寂を好むはずだ。それなのに――――そう考えていると洗濯機のブザーが鳴った。
 洗剤のにおいが色濃いシャツを顔に押し付ける。まだわずかに熱を持った顔に、そのひんやりとした冷たさは心地よい。

 つまるところ、今日頭がまともじゃないのは六条に限った話じゃないらしい。






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